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小竜景光 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【小竜景光の歴史と概要】

 

小竜景光(こりゅうかげみつ)は、鎌倉時代に作られた日本刀だよ。
日本の国宝に指定されている太刀で、現在は国立文化財機構が所有し、東京都台東区にある東京国立博物館が所蔵しているんだ。

作者は備前長船派・長光の子である景光だよ。
この小竜景光は景光作の中でも最上級の出来と言われている太刀なんだ。

それと同時に、鎌倉時代末期の備前伝を代表する名刀の一口で、第一等の評価が与えられているよ。

次に小竜景光の来歴をまとめてみよう。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
人の名前の様な刀だね♪ 国宝ですよ〜♪

 

<河内の農家で発見>

江戸時代末期(1830年頃)、河内(現在の大阪府)の農家にあった小竜景光を刀屋が見つけ出し、河内の百姓家にあった楠正成の佩刀という触れ込みで、本阿弥家に鑑定を依頼。
しかし本阿弥家は小竜景光とは信じ難くそれを偽物として、折り紙を出さなかったんだ。
刀屋が落胆しているところを、江戸幕府の代官であった中村八太夫(覚太夫)が三島(現在の静岡県三島市)まで追いかけて買い取ったと言われているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
農家で発見なんてびっくりですね!

<中村八太夫から網屋へ>

中村八太夫の死後、弘化3年(1846年)に網屋という刀屋が小竜景光を買い取るよ。
そして、網屋が長州藩・毛利家に売ったんだ。
しかし、毛利家は本阿弥家で折り紙を出さなかったという話を聞いたため、小竜景光を返却したよ。

 

<網屋から山田浅右衛門吉昌へ>

毛利家から返却された小竜景光を網屋は、首切り役(幕府公式の試斬者)の山田浅右衛門吉昌に売ったよ。
山田浅右衛門吉昌は土佐藩と張り合った末に、当時の貨幣で五万両を出して小竜景光を買い上げたと言われているんだ。

 

<井伊家>

弘化4年(1847年)浅右衛門吉昌の義兄弟である三輪徳蔵を召し抱えるという交換条件で、小竜景光は時の大老・井伊直亮に召し上げられたよ。
井伊直亮の死後、その跡を継いだ井伊直弼が小竜景光を所持。

しかし、安政7年3月3日(1860年3月24日)に桜田門外の変で、井伊直弼が暗殺されてしまうの。
井伊直弼が亡くなると、三輪徳蔵も解雇されたため、小竜景光も山田家のもとに戻ったんだ。
ちなみに井伊直弼は井伊直亮の実弟で、兄の世子である井伊直元が死去したため、直弼が兄の養子という方隊で彦根藩の後継者となったんだよ。

 

<明治天皇>

明治に入っても山田浅右衛門吉利のもとにあった小竜景光。
明治6年(1873年)4月に、山田浅右衛門吉利から当時の東京都知事であった大久保一翁を通じて宮内省に献上されたよ。
皮包み鞘の拵えが附帯していたとされているの。

また、山岡鉄舟が買って献上したという逸話や、明治天皇が軍刀にされたとの逸話もあるんだ。
明治天皇は数ある名刀コレクションの中でも小竜景光をたいそう気に入っていたとされているよ。

 

<戦後>

第二次世界大戦後に小竜景光は東京国立博物館に移管されたよ。

昭和24年(1949年)2月18日に当時の国宝保存法に基づく国宝(旧国宝、現在の重要文化財)に指定。

昭和27年(1952年)11月22日、文化財保護法に基づく国宝に指定されたよ。

 

小竜景光:小竜景光(2018年9月、東京国立博物館にて撮影) from wikipedia

 

 

【小竜景光の作風】

 

小竜景光は名実ともに景光の代表作と言われており、国宝にふさわしい備前伝を代表する一口となっているよ。

総長100.7cm、刃長73.93cm、反り3.03cm、元幅2.94cm、先幅2cm、鋒の長さ4.5cm。
小竜景光は、後世に寸法を切り縮める「磨上げ」がされているが、今なお腰反りが高く、踏ん張りが残っているのが特徴。
形状は、鎬造、庵棟、磨上げながら腰反りやや高く、鋒は中鋒となる。

鍛えは、小板目が最もよく詰み、鮮やかに乱れ映り見事に立つ。
小板目肌とは細かく目の詰んだもののことを言うよ。

刃文は、中直刃調に、小丁子、小互の目交じり、足・葉頻りに入り、総体に逆ごころがみられ、匂口締まって冴える。
変化の多い刃文を焼いているのが特徴なんだ。

帽子は、表裏ともにのたれ込み、深く小丸となり、僅かに尖りごころとなる。
彫物は表裏に棒樋と腰を彫り、樋の中の表には名前の由来となった倶利伽羅竜の浮彫り、裏には不動明王の梵字の浮彫りを施していて見事な書体となっているんだ。

茎は、磨上げられて浅い先栗尻となり、鑢目は勝手下がり、目釘孔は3つだよ。
また茎は6㎝ほど磨りあげられているの。

佩表に「備前国長船住景光」、佩裏に「元亨二年五月日」と銘が切られているんだ。
このことから、元亨2年(1322年)の作であることが分かるね。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
きゃー!!とってもカッコイイ刀ですよね!!

【小竜景光の豆知識】

 

小竜景光のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<小竜景光の名前の由来とは?>

小竜景光という名前は、はばき元に精緻で小さな倶梨伽羅竜の彫り物があることが由来となっているんだ。

また、楠正成が所持したと伝わることから小竜景光は「楠公景光」や「楠籠龍ノ太刀」と呼ばれることも。
しかし、楠正成が所持していたという確たる資料はないため、疑問視されているよ。

他にも、「覗き龍景光」と呼ばれることも…。
これは、元は二尺七寸ほどあった刀が磨上されているために、彫られた倶梨伽羅竜が柄に隠れてしまい、わずかに竜の頭だけが顔を出していることから「覗き龍景光」と言われるようになったそう。
ちなみに磨上とは、刀の茎を切りつめて全長を短くする加工のことだよ。

 

<小竜景光を作った景光とは?>

景光(かげみつ)は、備前長船派の光忠、長光に続く長船正系の3代目になるよ。

備前長船派2代目・長光の子である景光の作刀年紀は、鎌倉末期の嘉元~南北朝初期の建武までの30年あまりにわたるんだ。
前期と後期では作風がやや異なるのは、時代の過渡期であったためと言われているよ。

 

数多くいる備前の刀工の中でも景光は短刀の指折りの名手として知られているの。
父である長光は短刀が少なかったから、短刀が多いというのは景光の特色の1つだよ。

備前で作られた短刀の中で国宝に指定されているのは、景光と長重の二工のみなんだ。
景光は作刀数が少なく名刀揃いなんだけど、その中でも小竜景光は白眉であると刀剣研究家・佐藤寒山は評しているよ。

 

また景光は片落ち互の目を完成したことで名高く、作風は直刃仕立てに互の目を交えて逆がかるものや、片落ち互の目を主調するものなどが見られるんだ。
父・長光よりは穏やかな出来口であるものの、鍛えはよく錬れてつみ、父・長光以上に優れた肌合のものが見られることもあるんだ。

 

<明治天皇がこよなく愛した小竜景光>

明治天皇と言えば、誰もがよく知る愛刀家で様々な刀剣をコレクションしていたよね。
小竜景光もまた、明治天皇がこよなく愛した名刀の1つだったんだ。
明治維新後に宮内庁に献上された小竜景光。

明治天皇は、小竜景光を常に座右に置いていたそう。
さらにそれだけではなく、わざわざ小竜景光にサーベル形式の軍刀拵の外装を作製させて、軍装の際には自ら佩用したという伝説が残っているんだ。

だだこの伝説に関しては、専門家でも誤りであるという人と、正しいという人がいて意見が分かれているの。
ちなみに刀剣乱舞で登場する小竜景光は、服装が軍装風で、拵も軍装拵になっているのは、この明治天皇の伝説をイメージしていると思われるよ。

刀剣レモン
刀剣レモン
刀剣乱舞の小竜景光もめっちゃカッコイイキャラデザです

 

<室町時代以前の伝来は明らかになっていない>

名刀として知られている小竜景光だけど、室町以前の伝来は明らかになっておらず、享保名物帳にも記載はないんだ。

南北朝時代、後醍醐天皇を奉じて鎌倉幕府を倒して、のちに足利尊氏に敗れて自害した南朝の忠臣・楠木正成の佩刀であったと言い伝えられているけれど、本当かどうかは分からないんだ。
その他にも、山田浅右衛門家の記録では、万里小路藤房が楠木正成に贈ったという説や、豊臣秀吉が徳川家康に贈ったという説などもあるよ。

 

<小竜景光は2度模造刀が作られている>

小竜景光は山田浅右衛門の元にあった時に二度、模造刀(写し)が作られているよ。
それぞれの写しについてまとめてみよう。

・弘化4年作

弘化4年(1847年)、井伊家に渡る前に作られたよ。
発注者は六代・浅右衛門吉昌で作者は固山宗次。
この写しは磨上る前の姿を模しているため、竜の彫刻が鐔の下に隠れていないよ。

 

・文久2年作

文久2年(1862年)、井伊家より戻ってきた後に作られたよ。
発注者は七代・浅右衛門吉利で、作者は弘化4年作と同じく固山宗次。

磨上げた後の姿を模していて、現物そっくりの姿になっているんだ。
昭和44年(1969年)「武将とその名刀展」では田口儀之助氏が所蔵していたよ。

 

2つの作者はどちらも固山宗次。
固山宗次は江戸時代末期を代表する刀工なんだ。
なお彫り物については、固山宗次の高弟で彫技の名人であった泰龍斎宗寛が施しているよ。

 

<小竜景光に彫られた竜とは?>

小竜景光の名前の由来となった竜とはいったいどんなものなんだろう?
小竜景光の佩表に彫られていたのは倶利伽羅なんだ。
倶利伽羅は、極めて立派なもので信仰対象として優れたものなの。

倶利伽羅の三鈷剣は、やや細身で簡素ながらも完璧な造型であり、三鈷剣に巻きつく倶利伽羅竜王の姿も斬新で流麗。
また倶利伽羅竜の顔は、まさに剣を呑まんとする烈しさを示しているよ。
特に倶利伽羅竜の四肢の踏張りを強調していて、誇張ともいえる力強さが特徴的なんだ。

 

この倶利伽羅竜王というのは、修験道において極めて重要な位置を占める崇拝対象。
倶利伽羅は竜そのものを不動明王としていて、4本の足がそれぞれ大威徳、降三世、軍茶莉、金剛夜叉の四明王で、合わせて五大明王として象徴するものなの。

そのため竜の足も重視されるべきものなんだけど、この小竜景光の竜ほど力強く見事に四肢を表現したものは他にはないと言われているんだ。
まさに古今随一の倶利伽羅であり、作者である景光自身も相当の宗教的素養を持っていたと考えられているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
三鈷剣に巻きつく倶利伽羅竜王、本当にカッコイイ!!
刀剣レモン
刀剣レモン
倶利伽羅の4本の足がそれぞれ大威徳、降三世、軍茶莉、金剛夜叉の四明王で、合わせて五大明王として象徴しているなんてカッコよさ5倍ですよ!!

 

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(公式サイトより引用)

 

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