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大般若長光 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

 

【大般若長光の歴史と概要】

 

大般若長光(だいはんにゃながみつ)は鎌倉時代に作られた日本刀だよ。
日本の国宝に指定されている太刀で、、現在は東京都台東区にある東京国立博物館が所蔵しているんだ。

備前長船派の長光の代表作と言われている大般若長光は室町時代以来の大名物だよ。
ただ経緯から享保名物帳などには所載されていないんだ。

次に大般若長光の来歴をまとめてみよう。

 

<足利将軍家から三好長慶へ>

元々は室町幕府将軍・足利義輝が所持していた大般若長光は「小虎之太刀」とも呼ばれていたの。
永禄8年(1565年)5月19日、に足利義輝が重臣・三好長慶に下賜されたよ。

 

<織田信長>

その後、織田信長の手に渡るよ。

 

<徳川家康>

元亀元年(1570年)6月の姉川合戦の際に、徳川家康が織田軍を来援。
その功績をたたえて、信長が家康に大般若長光を贈ったよ。

 

<奥平信昌>

元亀4年(1576年)7月に起こった長篠の戦いの際、長篠籠城の功によって、徳川家康は大般若長光を奥平信昌に与えたよ。
さらに家康は、自分の娘である亀姫を奥平家へ嫁がせているんだ。

 

<松平忠明>

その後、奥平信昌の4男で、家康の養子にもなった松平忠明が大般若長光を所持。
そのまま、忠明の家系である武州忍藩松平家に代々伝わり、明治年間を迎えたよ。

 

<近代>

大正2年(1913年)に近藤鶴堂氏が拝見。
さらに大正年間に武州忍藩松平家から松平頼平氏を通じて売りに出た大般若長光を、山下亀三郎氏が他の刀と一緒に購入したよ。

 

大正12年(1923年)の関東大震災の際には、崩れた土蔵の下敷きになって大般若長光は曲がってしまうんだ。
しかし、研師・吉川恒次郎の手によって元に戻されたよ。

大正14年(1925年)蔵品売立を行った際には、大般若長光も出品されるものの、大般若長光は結局親引きになっているの。

 

その後、愛刀家として知られている伊東巳代治伯爵が、庖丁正宗とともに大般若長光を買い受けたよ。
それ以後、伊東伯爵家によって所蔵。

昭和6年(1931年)12月14日に重要文化財(当時の国宝、旧国宝)に指定。
伊東伯爵が亡くなった後、昭和14年(1939年)に旧帝室博物館(現東京国立博物館)に買い上げられることになったよ。

昭和16年(1941年)、正式に遺族から帝室博物館へ譲渡。
戦後も引き続き、東京国立博物館で所蔵されていて、昭和26年(1951年)6月9日に文化財保護法に基づく国宝に指定されたよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
現在も現存するすごい名刀なんだね♪

 

大般若長光 from wikipedia

 

【大般若長光の作風】

 

大般若長光は長光前期作の典型的かつ代表的な作風を色濃く示した作となっているよ。
刃長73.6㎝、反り2.9㎝。
体配は鎬造で、庵棟。

刀姿は腰反り高く、切先は中切先詰まり猪首となるっているよ。
地鉄は小板目肌が約み、地沸細かにつき、乱映りが立つ。

刃文は高低のある丁子乱を主体に大丁子や互の目まじり。
足・葉はよく入り、ところどころ金筋が入り、総体に匂口明るく冴える。

帽子は乱れ込んで先は小丸に返る。
茎は生ぶで、先をわずかに切り、鑢目は勝手下り。

目釘孔は2つで佩表に「長光」二字銘が彫ってあるの。

表裏には重量軽減のための溝である「樋」が彫られているの。
また棒樋は丸止めとなっているよ。
上品な姿に、クローブのつぼみに似た華やかな「丁子」の刃文が焼かれているんだ。

 

鎌倉時代から南北朝時代に作られた太刀は、磨上が多いんだけど、この大般若長光に関しては制作当初の姿をよく残しているの。
高低の差が大きくて、華やかな刃文が特徴となっているよ。

 

 

【大般若長光の豆知識】

 

大般若長光のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<大般若長光の名前の由来とは?>

大般若長光という名前は、刀の値段が由来となっているんだよ。

室町時代、他の名刀の値段は最高でも100貫程度だったんだ。
そんな中で大般若長光は600貫という破格の高値が付けられたことから、600巻で構成される「大般若経(大般若波羅密多経)」に掛けて名付けられたんだよ。

600貫という値段は、現在の価格で6,000万円~9,000万円程度と言われているよ。
600貫=大般若経と同じという発想になるというのは、その当時仏教文化が広く根付いていたことを裏付けているよね。

室町時代末期の「諸国鍛冶代付之事」に記載された本阿弥家による名刀値付け一覧では、当時、国綱や吉光が100貫、正宗が50貫という代付だったの。
一方、この大般若長光は他には例を見ない、銭600貫という破格の代付がされたんだ。

ちなみに大般若経というのは、630年に唐の玄奘三蔵がインドから持ち帰って翻訳した大乗仏教の基礎的教義を記述した経典のこと。
全16部600巻に及ぶよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
6,000万円~9,000万円で取引されていたなんて!
刀剣レモン
刀剣レモン
あの名刀、国綱や吉光が100貫、正宗が50貫だったとなると600貫はずば抜けているね!!

 

<大般若長光を作った長光とは?>

大般若長光の作者は鎌倉時代中期から後期に備前長船で活躍した長光だよ。

長光は、備前長船派の創始者として知られる刀工・光忠の子で、長船鍛治の本家を継承する家系なんだ。
長船派の二代目を継いだ長光は、父・光忠の築いた長船派の礎を不動のものとしたの。

 

「長光」の二字銘のものを初代・長光、「左近将監」の受領銘のあるものを二代目・長光とする見方もあるよ。
ただ、両者を同一人の作と見なして、一代限りと見るのがほぼ定説となっているの。

ちなみに大般若長光は、「長光」の二字銘が入っているよ。
また「長光」と銘があっても、長光の弟子や兄弟らによる合作も多いとされているの。

それによって、時代による違いだけではなくて、同じ時期の作刀でもそれぞれの刀によって雰囲気に若干のばらつきがあるのでは?と言われているんだ。
「長光」の名前を持つ刀工は、備前だけではなく、陸奥、畿内、九州など全国に25工あまりが確認されているよ。

 

長光の作品には現存する作刀が比較的多くて、その中でも特に太刀が多いんだ。

初期には華やかな丁子の刃文、身幅は広めで猪首鋒の豪壮な体配、後期には身幅が尋常な体配にまっすぐな直刃や、直刃をベースラインとして小さい丁子が混じった控えめな刃文がよく見られるよ。
初期、後期どちらも長光の作品は、とても穏やかな雰囲気があって、上品な佇まいをしているんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
長光様、凄すぎるよね!

 

<長光作の刀国宝、重要文化財など国の指定・認定品が最も多い>

長光は指定・認定品数が最も多い刀工としても知られているんだ。

国の指定・認定品は国宝6口、重要文化財28口、重要美術品40口の計74口にもなるよ。
その数は全ての刀工の中で最も多い数になるんだ。

 

大般若長光は長光の作品の中でも名刀と言われているけれど、それに留まらず鎌倉期の備前を代表する名刀の1つと言えるよ。
その伝来や出来映え、健全さから見ても国宝にふさわしい、天下の名刀なんだ。

 

数多くの名刀を世に生み出している長光の名作中の中でも「大般若長光」と「津田遠江長光」はその筆頭で、双璧と並び称されているの。

二振ともさながら父である光忠に見紛う堂々たる風格を表していて、華やかな丁子主調の乱れが見事。
「津田遠江長光」は無類の健全さを持しているものの磨上げられているために、本来の踏張りのある太刀姿がやや失われているんだ。
それに対して「大般若長光」は生ぶ茎で猪首鋒の雄渾な太刀姿をそのまま保っているため、貫禄が十分であると言われているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
「大般若長光」と「津田遠江長光」、覚えておこう!!

 

<大般若長光は1億2000万円相当の価値>

 

大正年間の所有者であった伊東巳代治伯爵。
伊東巳代治伯爵は長崎県出身の政治家で、伊藤博文の側近となり、第2次伊藤内閣で内閣書記官長、第3次伊藤内閣で農商務大臣を務めたんだ。

伊東巳代治伯爵は愛刀家であったため、膨大な数の刀剣を所持していたの。

昭和9年(1934年)に伊東巳代治伯爵が亡くなると、その膨大な所持刀が何度かに分けて売立に出されたんだ。
その際の、大般若長光に提示された買い上げ価格は6萬円だったの。

当時の1円は現在の2,000万円に相当すると言われていて、現在の価値では6万円=1億2,000万円の価値があるの。
買い上げ価格を見て、どの札元も手を出しかねたと言われているよ。
結局、昭和16年(1941年)に旧帝室博物館に6萬円で譲渡されたんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
1億2,000万円の価値に跳ね上がってるじゃないですか!!

 

<徳川家康から大般若長光を与えられた奥平信昌とは?>

 

奥平信昌(定昌)は三河の作手の有力国人であった奥平定能の長男として、弘治元年(1555年)に誕生。
奥平氏は、信昌の祖父までは今川氏に属していたものの、桶狭間の戦い後は徳川家康の傘下に入り、遠江掛川城攻めに加わったよ。

しかし、元亀年間には武田氏にも属しているの。
その後、天正元年(1573年)には、信昌は武田氏に人質として贈っていた妻・おふうを離縁し、徳川方に寝返るよ。
この寝返りに怒った武田氏は、おふうや信昌の弟・千丸ら人質3人を処刑したんだ。

 

その2年後天正3年には武田勝頼による奥三河侵攻と長篠城包囲戦が開始。
落城必死の状況に追い込まれるものの、なんとか信昌は長篠城を守り切ったんだ。

 

 

<長篠の合戦の戦功によって異例の好待遇を受けた奥平信昌>

長篠の合戦において、長篠城攻城戦における籠城の功をあげた奥平信昌は、主君である徳川家康から大般若長光を与えられたんだ。
この時の功績は第一級の戦功であり、大般若長光以外にも信昌は様々なものを賜ったよ。

まず、主君・家康からは家康の長女・亀姫を正室として、家康の同名相手である織田信長からは備前福岡一文字の太刀(現国宝)と「信」の字、「武者助」の名乗りを与えられたんだ。

それ以降「定昌」から「奥平武者助信昌」に改名したと言われているよ。
その後、4人の男子が生まれ、そのうち四男の忠明は家康の養子として迎えられ、松平姓が与えられたんだ。

信昌の四男・松平忠明から始まる武州忍藩松平家には、この大般若長光以外にも、安国寺恵瓊が所持して関ヶ原の戦い後に分捕られた「庖丁正宗」や長篠の合戦の際の戦功により信長から拝領した一文字信房などが伝わったよ。

この待遇を見ても分かるように、信昌は異例の厚遇を受けていたんだ。

織田・徳川両家にとって、長篠の合戦がどれほど重要であったか、どれほど大きかったかを物語っているよね。

 

刀剣レモン
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長篠の合戦とのエピソードと相まってさらに凄さが際立ちますね!!

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(公式サイトより引用)

 

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