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松井江 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

 

【松井江の歴史と概要】

 

松井江(まついごう)は、南北朝時代に作られたとされる日本刀だよ。
日本の重要文化財にも指定されていて、現在は静岡県三島市にある佐野美術館が所蔵しているよ。

別名「松井郷」とも呼ばれていて、享保名物帳にも所載されている名物なんだ。

 

松井江は熊本藩(現在の熊本県熊本市)の藩主・細川家の家老であった松井興長が所持していた刀としても知られていて、松井家に伝来した名刀だよ。
作者は天下三作の一人に数えられた郷義弘なんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
天下三作の一人、郷義弘の作だぞ♪

 

次に松井江の来歴をまとめてみよう。

<松井興長>

元々は熊本藩の藩主であった細川忠興の重臣・松井興長が所持していたんだ。

 

<徳川将軍家>

松井氏から徳川将軍家に入った経緯については分かっていないんだ。
松井氏は八代城主として入城しているので、代替わりの際に江戸城で将軍より朱印状をもらっているの。
そのため、松井興長が八代城を与えられた際に、松井江を献上したものと見られているよ。

 

<紀州徳川家>

貞享2年(1685年)徳川五代将軍・徳川綱吉の娘・鶴姫が紀州徳川家の徳川綱教に嫁いだ際に、嫁入りの引き出物としてこの松井江が贈られたんだ。
贈られる前に、刀の検定を行う本阿弥家12代当主・本阿弥光常に鑑定を命じ、金200枚と極められたよ。
この金200枚と極められた折紙を添えて、嫁入り引き出物として贈られたの。

 

ちなみにこの時、徳川綱教の父である二代藩主・徳川光貞からは返礼として名物武蔵正宗と当麻の刀が徳川将軍家に献上されたんだ。
その後も松江江は紀州徳川家に伝来。

 

<近代>

昭和8年(1933年)11月24日に行われた紀州徳川家第二回入札で売りに出されるよ。
その入札で「名物松井郷義弘刀」は2390円で落札されているんだ。

 

昭和10年(1935年)12月18日には重要美術品に指定され、この時には伊藤平左衛門が所持しているよ。
昭和29年(1954年)3月20日に重要文化財指定、この時は権藤尚一蔵。
昭和36年(1961年)「正宗とその一門」では実業家で美術品収集家として知られる佐野隆一氏が所持。
現在は佐野隆一氏の出身地である静岡県三島市に設立された佐野美術館の所蔵となっているんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
当時の貨幣価値2390円で落札ですが、ほんと現在と随分と貨幣単価価値が違うよね〜笑

 

【松井江の作風】

 

<刀身>

刃長は二尺二寸九分(約69.4cm)、反りは五分三厘(約1.6cm)
郷義弘の常の作風とは異なり、刃縁の締まった直刃の刃文を焼いているのが特徴だよ。
造り込みは、鎬造、庵棟、中鋒、時代に比してやや細身で中反りとなる。

 

地鉄は鍛小板目肌がきわめてよくつみ、地沸細かに厚くつき、細かな地景入り、地刃ともに艶があり冴える。
刃文は刃縁の締まった広直刃で、裏の物打のたれとなり物打より上は焼き幅広い。
丁子足、葉入り、元にやや逆足入り明るく冴え、総体に小沸よくつき、匂口やや深い。

 

上半にはところどころ棟焼も見られる。
帽子は焼き深くほとんど一枚となり、表小丸、裏尖りごころの小丸、やや長く深く返る。
茎は当初の部分をわずかに残して磨上げ、茎先は剣形、鑢目は勝手下がり、目釘孔は1個。

 

表茎先に「本阿(花押)」、指裏に「義弘」の朱銘がある。
「享保名物帳」には、元の茎が一寸ほど残るとあるが、佐野美術館の渡邉妙子氏は「二寸ほどが元の茎に見える」としているよ。

松井江は郷義弘作の中でも精緻な地鉄が特徴的な作刀と言われているんだ。

 

 

<外装>

熊本県にある松井家伝来の文化財を保存している松井文庫には、もともと松井江に付属していたとみられる朱塗鞘打刀拵が所蔵されているんだ。
この朱塗鞘打刀拵は安土桃山時代~江戸時代初期の作品と見られていて、全長は94.3cm。
頭は山金山道文高彫で、目貫は赤銅笠文高彫色絵、縁は銅皺革包、鯉口・栗形は角黒塗、返角は主漆塗、鐔は練革木瓜形に朱塗りを施してあるよ。

 

柄は白鮫革包に燻革菱巻で、打刀拵の鞘の表裏には金蒔絵で「長岡式部少輔」の文字が表されているんだ。
この長岡式部少輔を名乗ったのは、松井家二代・興長と三代・寄之の2人なの。
松井家二代・興長と三代・寄之は没年が5年の差しかないため、どちらが所有者であったかについては特定は難しいんだ。

 

華美な装飾を配した朱漆塗りの鞘が美しく、小柄や笄を収める穴がなう、下緒を通すための「栗形」と刀身を鞘から抜く際に鞘ごと抜けないように帯に引っ掛けるための「返角」の間隔が狭くなっているんだ。

これらの特徴は、桃山時代から江戸時代初期の古式を示していて、打刀拵の古作例としてとても貴重なんだよ。

 

 

【松井江の豆知識】

 

松井江のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

 

<松井江の名前の由来とは?>

 

松井江という名前は、この刀の所持者が肥後熊本藩細川家の家老・松井興長が所持していたことが由来しているんだ。

松井興長は、細川忠興の重臣であり、忠興から忠利・光尚・綱利の4代の細川主君に仕えたよ。
忠興が亡くなってからは、忠興の隠居場所であった八代城を預かっていたの。
八代城は一国一城令の例外であり、松井家が代々八代城主と肥後熊本藩の筆頭家老を務めていたんだ。

 

また松井江の「江」は、この刀の作者である郷義弘が由来していると言われているよ。
郷義弘は江戸時代以降、「郷」と同じ読みで「江」と称されていたので、松井江と呼ばれるようになったんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
なぜそのまま「郷」としなかったのかは命名センスの問題なのかしら?

 

<松井江の所持者・松井興長とは?>

 

松井江の所持者である松井興長は、肥後熊本藩細川氏の家臣・松井康之の次男として誕生したよ。
正室は主君である細川忠興の娘・古保で、熊本藩筆頭家老だよ。

 

関ケ原の戦い後、細川氏が豊前豊後39万石の大名となった際、松井興長の父である松井康之は豊後国杵築城を任せられて2万5千石の大名格の領地が与えられたんだ。
寛永9年(1632年)に細川氏が肥後熊本藩に国替になると、松井興長の父・康之には玉名・合志郡の内に3万石が与えられたよ。

慶長16年(1611年)に父・康之が隠居したので、松江興長が相続したんだ。

 

正保2年(1645年)、熊本八代城にて隠居していた細川忠興が死去すると、正保3年(1646年)からは松井興長が八代城3万石を預かることになったよ。
八代城は、南の薩摩島津家に対する備えとして一国一城令の例外とされて存続。
代々松井家が八代城主を務めたよ。

 

また、松江忠興の六男・松井寄之を養嗣子に迎え、細川別姓である長岡姓を賜り、長岡佐渡守と称したんだ。
松井氏は、米田氏、有吉氏と並び上卿三家の筆頭として代々熊本藩家老を努め、明治維新まで続いたよ。

 

松井家文書によれば、松井家は織田、豊臣、徳川それぞれから本領安堵された直臣であるとしているの。
織田信長の命により細川幽斎・忠興とともに丹波・丹後攻略を行った功により、山城神童寺村160石1斗7升を拝領。

さらに豊臣秀吉、徳川家康からも領安堵の朱印状を得ているんだ。
その後も元禄5年(1692年)~文久3年(1863年)にまで老中連署奉書により安堵されていて、将軍家直臣であったんだよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
織田家、豊臣家、徳川家からも領安堵の朱印状を得ていた由緒ある家柄だったんだよ!

 

<松井江の銘は本阿弥家によるもの?>

 

松井江は元々、正宗の作刀と同じように、磨上げられて銘が失われていたの。

そこで、刀剣鑑定で著名な本阿弥家12代当主の本阿弥光常が、古茎がわずかに残っているため裏側に「義弘」、表側に「本阿」の「花押」が朱銘で入れられたんだよ。
花押とは、印章のように図案化された署名の一種だよ。

 

 

<松井江に入れられた朱銘は珍しい?>

 

松井江には本阿弥光常によって朱銘が入れられているよ。

刀の朱銘例は珍しく、茎の朱銘は本阿弥家の約束に従って、磨り上げの折に元の茎を1寸(約3.0cm)ばかり残しているので、朱銘としているの。
本阿弥家では刀剣に鑑定銘を入れる際に、大磨上の場合は金象嵌銘を入れ、生ぶ茎の場合は朱銘を入れるならわしになっているんだ。

 

また、明治以降になってから朱漆で極めや、代付けなどを記したものは「朱書」と呼び、「朱銘」との混同を避けるために区別されているよ。

「朱銘」はあくまで生ぶ無銘、あるいは磨上げながらオリジナルであった古茎の残存の一部を留ている上作のもののみに本阿弥家でも使用していて、とても権威あるものなんだ。

松井江以外に、朱銘の入った刀と言えば、五代将軍綱吉から紀州徳川家二代・徳川光貞が拝領した相州正宗極めの小太刀があるよ。
この小太刀も本阿弥光常が朱銘を施しているんだ。

 

そもそも朱銘とは、中心に朱漆で刀工や鑑定家の名を書いたもの。
室町時代から行われていたのを、本阿弥家でも踏襲していったんだ。

はじめの頃は、作の上下によらず朱銘を入れていたんだけど、元禄年(1688年)になってからは、朱銘を入れるのは上作のみとしたの。
しかも生ぶ中心のみに入れることとしていて、名も朱判と改めたよ。

 

朱判とは、本阿弥家において元禄頃に従来の朱銘制度を改めて、上作の無銘物にのみ、中心に朱漆で刀工名を書くことにしたもの。
ただ朱判は年月とともに消失するのが欠点なんだ。
朱判として有名なのが、松井江とともに徳川綱教に与えられた「朱判正宗」や、「朱判貞宗」などがあるよ。

 

 

<松井江を作った郷義弘とはどんな刀工?>

 

松井江の制作者である郷義弘は、南北朝時代に越中国新川郡(現在の富山県魚津市)で活躍した名工。

越中国新川郡松倉郷に住んでいたことから「郷」もしくは「江」と称されているんだ。
また一説によると義弘の本姓が「大江」であったことから、一字とって「江」の文字を用いて、それが転じて「郷」になったという説もあるの。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
郷義弘の本姓が「大江」なら命名の由来も納得だな〜

 

郷義弘は、相州正宗の流れをくむ正宗十哲の1人。

享保名物帳では、郷義弘の師である相州正宗や粟田口吉光と共に、「天下三作(名物三作)」のひとりに数えられているよ。

天下三作は非常に評価が高い刀工として広く知られているんだ。

 

 

郷義弘による在銘の刀は皆無とされていて、鑑定家・本阿弥家が郷義弘の刀と極めたものと、伝承によって郷義弘の刀と言われているもの以外は、存在しないと言われるほど。

滅多にお目にかかることができないため、「郷とおばけは見たことがない」ともじられることもあるんだよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
郷義弘の刀はちょーレアモノですよ!!
刀剣レモン
刀剣レモン
郷義弘が生涯、刀を何本も作っていたとしたら一体、それらはどこに行ってしまったのかね〜

 

 

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(公式サイトより引用)

 

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