新撰組十番隊組長・原田左之助のトレードマークと言えば槍!新撰組唯一の槍の名手だったって本当?
2021年3月29日新撰組に関わる人の証言など史料から分かる新撰組最強メンバーとは?
2021年3月29日新撰組は剣術に優れた志士の集まりというイメージが強いよね。
幕府側の警察組織として、過激な志士の取り締まりを行っていた新撰組は腕に覚えるのある集団なんだ。
では腕自慢の新撰組の中で、最強であった隊士はいったい誰だったんだろう?
ここでは新撰組内で最強の剣士を、剣術、実戦、槍術などそれぞれの部門で紹介してみよう。
目次
【総合力No1!新撰組最強の戦士は沖田総司!】
新撰組は剣術の習得を目的としているわけではなく、危険な任務を任された実務部隊だったの。
競技とは一線を画す実戦剣法であり、斬り合いにおいては1人の相手に対して味方は必ず複数で立ち向かう、暗殺時は相手を十分に酔わせる、寝込みを襲うなど正々堂々という精神とは無縁の戦法だったんだ。
稽古の実力ではなく、実戦での強さに重点を置くと、新撰組の最強隊士は、一番隊組長の沖田総司であると言われているよ。
沖田総司は、新撰組が起こした襲撃事件や暗殺事件などの経緯を見ても分かるように、重要な任務に常に抜粋されていたんだ。
また新撰組隊士からの信頼も厚く、最も頼りにされていたメンバーであると言われているよ。
沖田総司と言えば三段突きが有名だよね。
この三段突きで知られる必殺剣を武器にしていた沖田総司は、一番隊組長に抜擢されていたことからその実力が分かるよね。
一番隊組長を任されたことは、新撰組最強であった証拠と言えるだろう。
二番隊組長・永倉新八は、沖田総司を「猛者の剣」と評しており、普段の稽古においても並みの隊士では誰ひとりとして沖田総司の相手にはならなかったそう。
沖田総司が本気で立ち向かうと、新撰組の局長である近藤勇ですら打ち負かすと言われていたんだ。
残念ながら沖田総司は病に倒れてしまうんだけど、それがなければもっともっと活躍していた隊士になっていただろうね。
【実戦No1は新撰組三番隊組長・斎藤一】
実戦で最強の剣士と言われたのは、新撰組三番隊組長である斎藤一だよ。
斎藤一は剣術No1の永倉新八に「無敵の剣」の名で新撰組最強の剣士の1人と評されているんだ。
斎藤一は粛清を行うことも多く、新撰組の隊士の中で最も多く人を斬ったとも言われているの。
さらに在京中の任務においては、かすり傷ひとつ負わなかった…というエピソードも残っているよ。
寡黙な性格であった斎藤一は、新撰組隊士としてスパイや暗殺など特殊任務をこなす役目も数多く任されていたんだ。
大切な任務を任されていることからも、斎藤一の実戦で強さがいかにすごいかが分かるよね。
【剣術No1は新撰組二番隊組長・永倉新八】
新撰組の中で剣術No1と言われているのが、新撰組二番隊組長である永倉新八だよ。
永倉新八は卓越した剣術の技量から、神道無念流の撃剣師範でもあるんだ。
新撰組の生き残り・阿部十郎の述懐では「剣術の稽古においては永倉新八の方が沖田総司よりやや実力が上」と述べているんだ。
なんとなく新撰組最強剣士と言えば、一番隊組長を務めた沖田総司の名が挙がることが多いよね。
沖田総司は現在でも歴史ファンからの人気が根強いためどうしても名前が出てくることが多いんだけど、実は永倉新八の方が剣術は上であったと言われているの。
新撰組が活躍した池田屋事件においても、沖田総司ら他の隊士が戦線離脱する中、永倉新八は自らも手を負傷しながらも近藤勇とともに最後まで修羅場を戦い抜いているよ。
【槍術No1は十番隊組長・原田左之助】
新撰組の中で槍術No1と言われているのが、十番隊組長を務めた原田左之助だよ。
新撰組では槍術を行う隊士は少なく、幹部を務めた中では原田左之助だけだったんだ。
原田左之助は宝蔵院流槍術、種田流槍術を習得した槍の名手であったの。
実は戦国時代には、本多忠勝や加藤清正など名だたる武将たちが戦場で槍を使用していたんだ。
槍は刀よりも実戦的な武器として重宝されていて「槍の使い手こそが最強の戦士」という見方もあったと言われているよ。
【柔術No1は四番隊組長・松原忠司】
新撰組の中で柔術No1と言われているのが四番隊組長を務めた松原忠司だよ。
松原忠司は関口新心流の使い手で、柔術師範でもあるんだ。
新撰組に入隊する前には、自らの道場を開いており、柔術の達人だったんだよ。
この柔術を活かして、松原忠司は接近戦や組討を得意としていたの。
また松原忠司は柔術だけではなく、剣術も得意としていたんだよ。
【二刀流No1は服部武雄】
新撰組隊士の中で二刀流の最強であったのは服部武雄だよ。
播磨国赤穂出身の服部武雄は、並外れた体格と豪腕を活かし、二刀流を自在に操る達人であったそう。
その当時、二刀流というは非常に珍しかったと言われているの。
服部武雄は新撰組の内部抗争によって命を狙われるものの、自分1人で30人もの相手に死闘を繰り広げたというエピソードが残っているの。
この内部抗争で、服部武雄は二十数か所も斬られて絶命してしまうんだけど、10人以上の相手を負傷させたそう。
【砲術No1は阿部十郎】
新撰組での砲術No1は阿部十郎だよ。
阿部十郎は砲術師範でもあり、鉄砲や大砲の射撃を専門とする指南役だったんだ。
新撰組=剣術というイメージが強いんだけど、実際の新撰組は銃や大砲も所持していて、それらの訓練も日常的に行っていたそう。
阿部十郎は後に内部抗争によって新撰組を脱退。
新撰組への復讐のために、近藤勇を京都伏見墨染で銃撃し、近藤の右肩に負傷を負わせたことでも有名だよ。