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新撰組4番隊組長・松原忠司は女性と心中して亡くなった?松原忠司はなぜ死んだ?その謎を徹底解説!

新撰組

新撰組4番隊組長であった松原忠司は、4番隊組長に就任してからわずか4ヶ月ほどで亡くなっているんだ。

その死亡の原因については、病死とも言われているし、女性と心中したのでは?という説もあるの。
ここでは松原忠司の死の謎に迫ってみよう。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
隊長就任から、たった4ヶ月で。。。

 

【松原忠司の死については諸説ある】

 

松原忠司が亡くなったのは、慶応元年(1865年)9月1日のこと。
新撰組組織再編で松原忠司が4番組組長になったのが同月4月のことだったから、すぐに亡くなってしまうんだ。

松原忠司の死に関しては、新選組の記録上では病死とされているよ。
しかし実際には松原忠司の死については諸説あるんだ。
ここでは松原忠司の死に関する諸説をまとめてみよう。

 

<切腹説1(理由:殺害した浪人の妻を妾にしたこと)>

松原忠司はある時酒に酔って、浪人と口論になってしまうんだ。
その浪人を殺害してしまい、自分が殺害した浪士の妻を妾として面倒を見ていたの。

そのことがばれて、土方歳三に厳しくとがめられたと言われているんだ。
その責任を取ろうと思いつめてしまった松原忠司は、切腹を行うものの失敗。

4番組隊長で幹部隊士であった松原忠司は、上層部からの信頼を失い、6月の時点で平隊士に降格しているんだ。

切腹をして一度は一命を留めたものの、その傷が悪化して結局死んでしまうの。

これが切腹説だよ。
何らかの理由で切腹が未遂に終わって、その後に平隊士に降格させられたという点は多くの諸説で共通している内容なんだ。

 

<切腹説2(理由:無断で訴訟に介入しようとしたこと)>

松原忠司は無断で訴訟に介入しようとして成功報酬をもらおうとしたんだ。

このことが新撰組の上層部に疑われてしまい、その責任を取るために自ら切腹。
しかし運よく生き残ってしまい、その傷が原因で病気したという説だよ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
諸説1も2も切腹自体は失敗してるんか〜ぃ!!

<切腹説3(理由:隊務の失策)>

松原忠司はある隊務の失策が元で、その責任を取るために切腹をはかるものの失敗。
回復して平隊士として復帰したものの、傷跡が悪化して死亡したという説。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
やっぱり諸説3でも切腹は失敗してるんか〜ぃ!!!

<壬生心中説>

松原忠司はある夜お酒を飲んだ帰り道に、反対側から歩いてきた浪人と口論になり、勢い余って相手を切り殺してしまったんだ。

我に返った松原忠司は、自分のしてしまったことに責任をとろうと、浪人の身元が分かる品はないかと探したそう。
身元を確認した松原忠司は、その浪人の遺体を背負って家族の元へと向かったんだ。

 

浪人には美しい妻と病気がちの子供がいたそう。

松原は妻や子供の姿を見て「この方が浪人と斬り合いをしていた、助けに入ったものの間に合わなかった」とつい嘘をついてしまうんだ。

松原忠司はその後も自分の犯した罪と罪悪感で、その家族のことを忘れられないでいたの。
ついに松原忠司はいてもたってもいられなくなり、お金を持ってその家族に会いに行くようになるんだ。

そんな日が何日も続き、病気がちだった子供は死んでしまうの。
子供が亡くなると、残された妻と松原忠司は男女の関係へと変わってしまうんだ。

 

それから数日後、松原忠司が、自分が殺した浪人の妻を妾として囲っていることが新撰組副長である土方歳三にばれてしまうの。
その責任を取って松原忠司は切腹を図ったものの、隊士の篠原泰之進がいち早く発見して、一命を取り留めたんだ。

 

男女の関係になってしまった松原忠司は自分の犯した罪に耐え切れず、ついに妻に本当のことを話したよ。
「夫を殺したのは実は自分だった」と自分の罪のすべてを女に告白。
女はそれも理解した上で「それでも松原忠司を愛している」と答え、2人の立場を悲観して一緒に心中することを決意したんだ。

 

ある日、松原忠司は新撰組から突然姿を消した。
隊士が松原を探しに、その女の家にやってくると、2人は血の海の中倒れていたそう。

 

なんとも悲しい結末だよね。
この説に関しては創作の部分も大きいのでは?と言われているよ。

この説に関しては新撰組屯所・八木家子息の八木為三郎が、篠原泰之進や斎藤一から聞いた松原についての話を「新撰組物語」にて「壬生心中」として再構成したもの。

または、子母沢寛が創作したものでは?と言われてもいるよ。
子母沢寛の作品や八木為三郎の談話には脚色や創作が多く見られる為、創作とする疑いも考えられているんだ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
この説は脚色されてそうだね〜

 

<女性による殺害説>

酔って浪人を殺してしまった松原忠司は、その浪人を妻のもとに届けるよ。
その際、松原忠司は自分の罪を隠して、「浪人同士で斬り合いしていて、助けに入るものの間に合わなかった」と女に嘘をついたんだ。

しかし、実は女は松原忠司が夫を殺したことを知っていて、夫の仇として松原忠司を殺してしまうの。
その後、松原を探しに来た新撰組隊士によって女は殺されてしまうという説だよ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
この説は恨みがこもっていて説得力はありますね。。。

【松原忠司の墓には身元不明の女性の骨が埋葬されている?】

 

壬生心中説については創作では?という声も多いんだけど、実は気になることがあるんだ。

松原忠司の墓には身元不明の女性の骨が一緒に埋葬されていることが分かっているの。

その女性の骨が誰かは分からないけれど、もしかしたら心中した女性の骨なのかもと言われているんだ。
そう考えると壬生心中説はつくり話ではないのかもしれないね。

その優しさがあだとなって心中することになった松原忠司はなんとも悲しい一生を終えている新撰組組長の1人なんだ。

松原忠司の死因に関しては色々な説があるけれど、どれも切ないものばかり。
若くして亡くなった松原忠司は新撰組組長の中でもあまり目立たない存在であると言えるね。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
優しすぎるがために何かしらのトラブルに巻き込まれたのかもですね。