新撰組一番隊組長・沖田総司の3つの愛刀とは? その1
2021年4月10日新撰組二番隊組長・永倉新八の愛刀は池田屋事件で切っ先が折れた?
2021年4月12日前回は沖田総司の愛刀「菊一文字則宗」についてまとめたよね。
今回は、残りの愛刀「加州清光」と「大和守安定」についてまとめてみるよ。
目次
【沖田総司の愛刀・加州清光とは?】
加州清光は加賀国(現在の石川県)の刀鍛冶であった六代目藤原清光が打った名刀だよ。
清光は加賀藩第4代藩主・前田綱紀時代に窮民収容所(現在でいうホームレスの支援センターのようなもの)に住んでいた経歴もあることから「乞食清光」とも呼ばれているの。
幕末には清光九代目・藤江清次郎が刀を打っているんだけど、沖田総司が所持していた加州清光は、六代目・藤原清光の作品と言われているよ。
この加州清光は、二尺三寸三分で、刃文は中直刃。
沖田総司がいつ頃手に入れたかは定かではないものの、西暦1864年前と言われているよ。
【池田屋事件で沖田総司は加州清光を帯刀していた】
加州清光は、沖田総司が池田屋事件で、長州過激派を襲撃した際に帯刀していた刀として有名だよ。
沖田総司は新撰組局長の近藤勇や永倉新八、藤堂平助らと尊王攘夷派の志士たちが潜伏していた池田屋に斬り込みにいくんだ。
この時、池田屋にいた志士の数は20名以上いたんだけど、池田屋に攻め入った新選組はわずか4名だったの。
沖田総司はこの激戦の末に、愛用の加州清光の帽子(刀の先)が折れたとされているんだ。
戦闘終了の後、沖田総司はこの加州清光を鍛冶屋に持って行き修復に出したものの、修復不可能で戻ってきたという記録が残っているの。
刃先の折れてしまった加州清光は、鍛冶屋から戻った時点で捨てられたのでは?と言われていて、現存しないんだ。
【5つの胴を真っ二つにした大和守安定とは?】
大和守安定は紀伊国(現在の和歌山県)出身で、江戸時代に武蔵国で活動していた刀工なんだ。
安定の刀は茎に裁断銘が多くあり、抜群の切れ味が有名だったの。
裁断銘とは、江戸時代に刀の切れ味を試した時に、どこまで切れたかを記録したもので、三つ胴、五つ胴などがあるよ。
ちなみに五つ胴は、死体の胴体を5つ重ねた「五つ胴」を真っ二つにしたという意味なんだ。
五つの胴体を真っ二つにしてしまうほど優れた斬れ味を誇っていたんだよ。
ちなみに大和守安定の刀は、沖田総司だけではなく、新撰組では諸士調役兼監察でだった大石鍬次郎も所持していたと言われているんだ。
そのほか、箱館戦争の遊撃隊隊長であった伊庭八郎も使用していたそう。
【最先端の刀であった大和守安定】
大和守安定は菊一文字則宗には劣っているものの、良業物の銘刀として知られているよ。
ちなみに菊一文字則宗は鎌倉時代に作られた刀剣なんだけど、大和守安定は江戸時代に作られたものであったのでその当時の最先端の刀だったの。
沖田総司がどのようにして大和守安定を手に入れたのか?については分かっていないものの、大和守安定は新撰組局長・近藤勇の愛用していた長曾祢虎徹に似ていたと言われているよ。
近藤勇のことを兄のように慕っていた沖田総司は、その影響を受けて長曾祢虎徹によく似た大和守安定を差していたのでは?とも考えられているんだ。
この大和守安定は、池田屋事件以降に沖田総司が差料としてしていたとされていて、総長であった山南敬助の介錯をしたのも大和守安定である可能性もあるよ。
【沖田総司が所持した愛刀は3本とも現存していない】
沖田総司の死後、愛用していた刀は3本とも現存していないんだ。
菊一文字則宗に関してはフィクションの説もあるの。
また、沖田総司が所有していた刀の1本は姉・みつに渡され、みつが神社に奉納したとされているものの、その神社がどこなのかが分かっていないんだ。
この刀が菊一文字則宗であったという説もあるものの、現存していないのではっきりとしたことは不明だよ。
大和守安定についても現存していないため、沖田総司が本当に使っていたのかどうか?も定かではないんだ。
加州清光に関しては、切っ先が折れてしまい修復不可能になった時点で破棄されてしまったため、刀は現存しないよ。
どの刀も現存していないのは、ファンとしては残念だよね。