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池田屋事件の2日後に手入れをしたとされる新撰組三番隊組長・斎藤一の愛刀とは?

1897年に撮影された藤田五郎(斎藤一)のポートレート。当時数え54歳。 PD from wikipedia

新撰組三番隊組長を務めた斎藤一は、副長助勤や隊の撃剣師範も務めている新撰組屈指の剣術を持っていたよ。

池田屋事件をはじめ、数々の激闘に参戦してきた斎藤一はいったいどんな刀を愛用していたんだろう?
ここでは斎藤一の愛刀についてまとめてみよう。

 

新撰組レモン
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斉藤一さんと聞くと、るろ剣の牙突しか思い浮かばないでござる。。。

 

【斎藤一の愛刀は「鬼神丸国重」】

 

無敵の剣士と言われていた斎藤一は、天才剣士・沖田総司とも肩を並べるほどの剣の腕前を誇っていたんだ。

そのため局長・近藤勇や、副局長・土方歳三からの信頼も厚く、隊の中での規律を破った隊士たちの粛清にはいつも斎藤が駆り出されていたと言われているんだ。

そんな斎藤一が愛用していた刀は「鬼神丸国重(きじんまるくにしげ)」だよ。

 

鬼神丸国重は長さ二尺三寸一分の刀で、天和2年(1682年)9月に作られたんだ。

大阪池田に住んでいた鬼神丸国重という刀鍛冶が作った刀で、鬼神丸国重は江戸や秋田、薩摩などでも刃作していたと言われているよ。
作刀は大乱れという刃文が得意だった刀匠なの。

 

新撰組レモン
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鬼神丸国重(きじんまるくにしげ)、めっちゃかっこいい名前の刀なんですけど。

 

 

【池田屋事件でも鬼神丸国重を使っていた】

 

池田屋事件の2日後に刀研師が鬼神丸国重を手入れした記録が残ってるんだ。
京都・壬生の刀研師であった源龍斎俊永が遺した「会津守護職様御預新撰組一等様刀改控」の記録によると、「元治元年六月七日」の日付で32名の隊士たちの刀の銘や状態が記されているよ。

 

池田屋事件の2日後、新撰組隊士たちは損傷した刀のメンテナンスをするために、源龍斎俊永俊永に刀を預けていて、そのときの記録ではないかと推測されているの。
その記録の中で、斎藤一の刀に関しては「摂州住池田鬼神丸国重 二尺三寸一分 刃毀レ小サク無数」と記されているんだ。

 

「摂州住」とは、現在の大阪府池田市の地域のことで、江戸時代の刀工であった池田鬼神丸不動国重による業物であることが分かるね。
斎藤一がどうやって鬼神丸国重を手に入れたのか?については分かっていないものの、池田屋事件の際にはこの刀を使い活躍したことは確かなんだ。

 

また「刃毀レ小サク無数」とあることから、鬼神丸国重には小さい刀傷が無数にあったことが分かるよ。
池田屋事件がどれだけ激しい戦闘であったかが想像できるね。

 

新撰組レモン
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池田屋事件での死闘で、永倉新八さんの刀のように折れなくて良かったですね〜

 

【斎藤一の刀は鬼神丸国重ではなかったという説もあるって本当?】

 

一般的に斎藤一の愛刀は鬼神丸国重であったと言われているけれど、実は斎藤の愛刀は鬼神丸国重ではなかったという否定説があるのも事実なんだ。
刀研師・源龍斎俊永が遺した「会津守護職様御預新撰組一等様刀改控」の記録のメモを発見したのは、子母澤寛氏なの。

 

子母澤寛氏と言えば「新撰組始末記」や「新撰組異聞」などでもおなじみの作家で、新撰組に関する資料を収集していた際に偶然、このメモを発見したと言われているんだ。
しかし、そのメモについてはメモの存在そのものの信憑性を疑う声も多くて、斎藤一の愛刀は鬼神丸国重ではなかったのでは?という声も少なくないの。

 

実際、局長・近藤勇が池田屋事件の前の年に、郷里の佐藤彦五郎に宛てた手紙の中には「剣は大坂者は決して御用いなさるまじく候」と記しているんだ。
つまりこれは「大坂の刀工による刀は用いるな」という意味だよ。

これは新撰組の山南敬助の刀であった赤心沖光(大坂の刀工によって作られた刀)が折れてしまったことが原因と言われているんだ。

 

大坂で作られた刀は、実用性よりも装飾性を大切にする傾向にあったとされていて、他の刀に比べて刃の焼きが強く、折れやすいとされていたそう。

 

そのため実戦が想定される池田屋事件で、大坂で作られた刀が使用されたとは考えにくく、斎藤一の所持していた鬼神丸国重は大阪・池田で作られたものであることから、本当は違うのでは?と言われるようになったんだ。
実際のところ、鬼神丸国重が斎藤一の愛刀であったか、そうでなかったのか?については、鬼神丸国重が現存していないため分からないんだよ。

 

 

【同じ鬼神丸国重の刀は現存している】

 

斎藤一が実際に使用していたとされる鬼神丸国重は、現存していないんだ。
しかし、同じ鬼神丸国重作の刀の中には現存しているものもあって、「倉敷刀剣美術館」に展示してあるよ。

 

また鬼神丸国重の脇差であれば「土方歳三函館記念館」にも展示してあるんだ。
ちなみに土方歳三函館記念館には、近藤勇の愛刀・長曽祢虎徹と同作の刀もあるよ。

 

新撰組レモン
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倉敷刀剣美術館は刀剣好きなら一度は訪れて欲しいところですね♪

 

【斎藤一の愛刀は1つではない?もう1つの愛刀「関孫六(せきのまごろく)」とは?】

 

斎藤一の愛刀に関しては、鬼神丸国重の他にもあったという説があるよ。

 

「新撰組十勇士伝」の記録によると、「斎藤一においては、関孫六の一刀を引き抜き、エイとばかりに(中略)斬って落とした」という記載があるよ。
この「新撰組十勇士伝」は明治時代中期の講談師・松林伯知が、永倉新八などから取材した内容を編んだ一席で、1868年12月に起きた天満屋事件を題材としてるの。

 

「斎藤一においては、関孫六の一刀を引き抜き、エイとばかりに(中略)斬って落とした」の「関孫六(せきのまごろく)」は刃物の町として有名な岐阜県関市で作られた刀のこと。

 

4種類の異なる鉄を組み合わせて鍛える「四方詰め」の技術を採用していて、頑丈で折れにくい刀であったとされているの。
実用性に富んだこの関孫六を、斎藤一も実践刀として愛用していたのでは?と言われているんだ。

 

新撰組レモン
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斉藤一さんほどのお方なら所持していた刀は1本だけでは無いと思いますよね!
新撰組レモン
新撰組レモン
戦闘時に折れては元も子もないから耐久度の高く切れる実用性の高い刀の方が実戦向きですよね