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新撰組四番隊組長・松原忠司、五番隊組長・武田観柳斎、六番隊組長・井上源三郎はどんな刀を愛用していた?

新撰組

新撰組四番隊組長・松原忠司は柔術に長けていた新撰組剣士として知られているよ。

また五番隊組長・武田観柳斎は、医者であり甲州流兵法に通じた兵学者でもあったため、新撰組の軍師として活躍したんだ。

六番隊組長・井上源三郎は、池田屋事件では土方歳三の支隊指揮を担当したの。
では3人ははどのような刀を使っていたんだろう?
ここでは松原忠司と武田観柳斎そして井上源三郎の愛刀についてまとめてみよう。

 

【松原忠司の愛刀「加州住藤島友重」とは?】

 

松原忠司が愛用していた刀は加州住藤島友重(かしゅうじゅうふじしまともしげ)だよ。

加州住藤島友重は、二尺三寸五分の刀で、池田屋事件でも松原忠司はこの刀を佩刀していたんだ。
池田屋事件の後、研刀師の元へメンテナンスに出された加州住藤島友重には、刃こぼれがはばき元に大きいものが4箇所、物打ちに細かいものが19箇所もあったそう。

 

藤島友重は室町時代初期頃から始まったとされていて、室町時代後期頃に特に反映。
その後、江戸時代後期まで脈々と続いた刀工群なんだ。

元々は、山城の来一派が移住して、鍛刀を始めたので、藤島友重では京風の地刃が垣間見られるよ。
刃文や丁子に湾れ交じり、地鉄は板目、帽子は小丸、茎は生ぶ。

 

藤島友重に関しては詳細は不明ながら、来国俊門であった初代藤島友重以降は、徐々に衰えていき、貞亭頃の7代目・三郎右衛門の後は衰退したと見られているよ。
友重の流れを汲んだのが加州清光で、清光が藩主・前田家の記録に上作として残っているんだ。

 

新撰組レモン
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四番隊組長、松原忠司の愛刀は「加州住藤島友重」!!

 

【武田観柳斎の愛刀「越前住常陸守兼植」とは?】

 

武田観柳斎の愛刀は、越前住常陸守兼植(えちぜんじゅう ひたちのかみ かねうえ)という刀で、二尺二寸五分。
池田屋事件の激闘の後は、小さい刃こぼれが6箇所に見つかっているよ。

 

初代兼植の本国美濃関の刀工で、同族の兼法らと共に越前国の豪族であった朝倉氏に招かれて、越前一乗谷に住むようになるよ。
晩年は入道して、「道本」と号したんだ。

二代目・兼植は加賀での作刀を行っており、三代目は常陸守を受領しているの。
同族の兼植は江戸や越後での作刀も見られて、栄えたよ。

ちなみに武田観柳斎の愛刀「越前住常陸守兼植」は、三代目・常陸守兼植の作刀なの。

越前住常陸守兼植の刀は手持ちが重く、頑丈で地刃の出来も良かったといわれているよ。とても迫力がある日本刀だったんだ。
また、越前住常陸守兼植の作は、刃味にも定評があって、良業物としてもその名を知られていた越前を代表する名工の1人だったの。

 

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五番隊組長の武田観柳斎の愛刀は「越前住常陸守兼植」
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長い名前の刀ですな。

 

 

【井上源三郎の愛刀「奥州白河住兼常」とは?】

 

井上源三郎の愛刀は「奥州白河住兼常(おくしゅうしらかわじゅうかねつね)」という二尺二寸五分の刀だよ。

宝永2年2月の銘が切られていて、池田屋事件の後にも刀の傷みはなかったと言われているの。
ただ井上源三郎が所持していた奥州白河住兼常については詳しいことがよく分かっていないんだ。

 

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六番隊組長の井上源三郎の愛刀は「奥州白河住兼常(おくしゅうしらかわじゅうかねつね)」だ!
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みんなかっこいい名前の刀を愛刀として持っていたんだね〜!

 

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