新撰組最強の隊士は誰?剣術、実戦など部門別No1を徹底解説
2021年3月29日新撰組内での役職は強さと比例しているの?強い隊士は役職についていた?
2021年3月29日
新撰組の隊士は、みな基本的には一定以上のレベルを持った優れた武芸者の集まりだったんだ。
最強の剣士が揃う新撰組の強さはいったいどれほどのものだったんだろう?
ここでは根拠となる証言など史料をまとめてみよう。
目次
【永倉新八の証言「沖田は猛者の剣、斎藤は無敵の剣」】
新撰組二番隊組長であった永倉新八は、神道無念流の使い手として有名だよ。
永倉新八は生き延びた新撰組メンバーの1人でもあり、後年、新撰組では「服部武雄は一、二の使い手であった」という証言を残しているんだ。
また、「沖田総司は猛者の剣、斎藤一は無敵の剣」という述懐も有名だよね。
さらに永倉新八は沖田総司に関しては別の証言もしており、「土方歳三、井上源三郎、藤堂平助、山南敬助などが竹刀を持っては子供扱いされた、恐らく本気で立ち合ったら師匠の近藤もやられるだろうと皆が言っていた」と話しているの。
同じ新撰組メンバーである沖田総司や斎藤一、服部武雄のことの腕前を認めていることがよく分かるよね。
【元新撰組隊士・阿部十郎の証言「新撰組最強第1位は永倉、2位は沖田、3位は斎藤」】
元新撰組隊士である阿部十郎は、新撰組を脱退し、伊藤甲子太郎の御陵衛士に加入。
さらに油小路の変にて仲間を新撰組に惨殺されてしまうため、近藤勇に対して嫌悪感を抱いている反新撰組派の人物になるんだ。
そんな阿部十郎は生き残り、後年明治に入ってから史談会で以下のように証言しているの。
「沖田総司、これがまあ勇の一番弟子で、なかなかよく仕いました。その次は斎藤一と申します。それから是は流派が違いますが、永倉新八という者がおりました。この者は沖田よりもちと稽古が進んでおりました。」
この証言から阿部十郎的に新撰組最強剣士は1位:永倉新八、2位:沖田総司、3位:斎藤一であったことが分かるよね。
袂を分かった阿部十郎の証言だからこそ信憑性も高いよね。
また阿部十郎はこのほかにも「藤堂平助はなかなか剣術はよく使いまして、また文字もございます」と述べていて、新撰組隊士の証言をいくつかしているよ。
【屯所・八木為三郎の証言「永倉新八は強い」】
新撰組が壬生の八木邸に屯所を置いていたころの八木家の息子が八木為三郎だよ。
八木為三郎は後年に「永倉新八は新撰組の隊士中で一、二を争う使い手であった」と証言しているんだ。
剣術No1ともいわれる永倉新八に関する最強エピソードはたくさんあるよ。
【西本願寺・西村兼文の証言「沖田総司は近藤秘蔵の部下にして、局中第一等の剣客なり」】
新撰組は西本願寺に屯所を置いていたんだ。
その頃、侍臣であった西村兼文は「沖田総司は近藤秘蔵の部下にして、局中第一等の剣客なり」と証言しているの。
また藤堂平助についても「経済に達し、撃剣を能くす。」と述べているよ。
【桑名藩士・小山正武の証言「沖田、永倉、斎藤、藤堂は新撰組四天王」】
桑名藩士である小山正武は、史談会の記録で「藤堂平助もまた有名の智勇ともに衆に秀でたる人」と述べているの。
また、小山正武は藤堂平助のことを「沖田、永倉、斎藤とともに新撰組四天王と呼ばれていた」とも語っているんだ。
この証言から、藤堂平助は剣も強かったことがうかがえるよね。
新撰組の中で、誰が強かったか?についての証言はいくつかあるけれど、その証言に登場してくるメンバーはだいたい決まっているんだよね。
その多くの証言は、沖田総司、永倉新八、斎藤一、藤堂平助なんだ。
彼らは新撰組メンバーも認める最強の剣士であったと言えるだろうね。