新選組最強の剣士と言われた一番組組長・沖田総司は病に倒れた?!
2020年11月24日比叡山・延暦寺のトップである覚恕はどんな人物だった?比叡山の焼き討ちはなぜ起きた?
2020年11月30日
沖田総司は美男子で剣術に優れていたと言われているけれど、どんな性格だったのかな?
ここでは剣の腕前と性格、容姿など沖田総司の気になる点をピックアップしてみよう。
目次
【優れた剣術を持っていた沖田総司】
沖田総司は9歳で天然理心流の道場・試衛館に入門。
この試衛館の同門が、近藤勇、土方歳三であることは有名だよね。
試衛館に入門した沖田総司は、若くして才能を見せて塾頭を務めたんだ。
15歳の時、八坂神社に奉納された天然理心流の額には、4代目を継ぐ近藤勇よりも前に沖田総司の名前が記載されているほど。
沖田家のお墓には、天然理心流の他に、北辰一刀流の免許皆伝を得ていたことも記されているよ。
沖田総司の腕前は、竹刀をとっては近藤勇の一段も二段も上を行ったと言われているの。
沖田総司の指導を実際に受けた者によると、「指導中すぐに怒り、荒っぽい」そうで、稽古は相当厳しいものだったため、師範である近藤より恐れられていたんだって。
【沖田総司の有名な剣技「三段突き」】
沖田総司の剣技の中でも特に有名なのが「三段突き」だよ。
平正眼の構えから踏み込みの足音が一度しか鳴らないのに、その間に3発の突きを繰り返すのが総司の三段付きだったんだ。
つまり、目にも止まらぬ速さで、相手は一突き貰ったと思った瞬間に、すでに三度突かれていたということなの。
沖田の剣術は師匠の近藤にそっくりで、掛け声までよく似ていたそう。
ただ、太刀先はやや下がり気味&前のめりで、腹を少し突き出し気味の平正眼を摂る近藤とは少し異なる構えをとる癖があったそう。
沖田総司の剣術の腕前は、新選組内部だけではなく、外部からも高く評価されていたんだ。
結核を患い、死に際には植木屋の庭に現れた黒猫を斬ろうとしても、幾度となく失敗したというエピソードが言い伝えられているよ。
【沖田総司はどんな性格だった?】
沖田総司は、凄腕の一番組組長としてのイメージが強いんだけど、当の本人はいつも冗談を言っては人を笑わさせる陽気な性格をしていたと言われているよ。
剣術から離れると冗談を言いながら笑って話すのが好きだったとされ、暇を見ては屯所周辺の子供たちとも笑顔で遊んでいたそう。
沖田総司は、新選組に表立って敵対した者以外には人当りのよい好人物であったと言われており、総司を酷評する人はいないんだ。
甲陽鎮撫隊が出陣する際、近藤勇が沖田総司を見舞った際には、普段は明るく強気な沖田が声を上げて泣いたというエピソードも。
近藤の死に関しては、周囲の者は固く口止めされていたため、沖田総司は近藤の斬首を知らず、死の直前まで師匠である近藤を気遣う言葉を幾度となく口にしたと言われているんだ。
【沖田総司はイケメンで美少年だったは嘘?】
天才剣士は、結核になり若くして亡くなってしまうという沖田総司はその人生がドラマティックで、その演出として多くの新選組を題材とした作品で「剣に強く、明るい性格で、病弱で色白の美少年」として描かれてきたんだ。
では、本当に沖田総司は美少年だったのかな?
沖田総司の容貌に関しては、肖像画が残っているものの、姉ミツの孫が総司に似ていることから、孫をモデルにして描かれたものなんだ。
そのため、生前の沖田総司を描いたものは残っていないの。
新選組に関わった人物の証言では、美少年であったと書き残しているものはなくて、「笑うと愛嬌がある」「色黒」「肩が張りあがっている」「猫背」「長身」と書かれたものが残っているよ。
この記述からすると、色白で美少年というイメージとはなんだか違うよね…。
【沖田総司の気になる女性関係】
フィクションの世界では、沖田総司は純情な青年として描かれることが多いんだ。
実際に、沖田の周囲では近藤勇や土方歳三などのように花柳界の女性の影は見えないの。
ただ、土方、松五郎、井上源三郎らとともに遊女を買うという記述が残っているため、女遊びがゼロであったというわけではなさそう。
しかし、自分が好意を寄せている女性に関してはとても真面目な男性だったと言われているよ。
また、壬生光縁寺にある過去帳には「沖田氏縁者」と書かれた女性の記録があるの。
これが沖田の恋人ではないか?とも言われているんだ。
一説には、この女性は石井秩という未亡人で、連れ子が1人いて、沖田はこの女性との間に1女をさずかって、「キョウ」という名を付けたという話もあるよ。
ただ定かではないそう。