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鶯丸 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【鶯丸の歴史と概要】

鶯丸(うぐいすまる)は、平安時代に作られたと言われている日本刀だよ。
この鶯丸は皇室の私有財産にあたる「御物」で、現在は宮内庁侍従職が管理している太刀なんだ。

鶯丸を作ったのは平安時代に活動していた古備前派の刀工である友成。
友成は古備前派を代表する刀工であり、古伝書によると永延(987~989年頃)に活躍したと言われているんだ。

ただ友成という同じ名を名乗る刀工は異なる時代に複数存在したと見られており、鎌倉時代の嘉禎頃(1235~1238年)に作られた日本刀もあるよ。
鶯丸はその作風から10世紀末~11世紀初頃の作品だとみられていて、刀工の個名が分かる日本刀としては、最も古いものの1つなんだ。

次に鶯丸の来歴についてまとめてみよう。

<足利将軍家>

元々鶯丸は足利将軍家の所蔵だったんだ。

<小笠原政康>

嘉吉元年(1441年)に起こった結城合戦で功のあった小笠原政康が、室町幕府6代将軍・足利義教より永亭11年に褒賞として鶯丸を拝領。
拝領した感状は太刀に付属しているよ。

結城合戦は、鎌倉公方・足利持氏の遺児である春王丸、安王丸が室町幕府に対して挙兵した戦いなんだ。

信濃国の守護であった小笠原政康は幕府方の副将軍として参戦し、女装して逃走をしていた春王丸、安王丸を捕らえる功績を上げたよ。
その後、政康の子孫である越前大野郡勝山藩主・信嶺系小笠原家に伝来したんだ。

<徳川吉宗>

小笠原家に伝来した鶯丸は元文元年(1736年)9月13日に、徳川幕府8代将軍・徳川吉宗のところへ台覧に供されたよ。
この時、鶯丸と義教から与えられた感状が合わせて供されたんだ。

<対馬藩主・宗重正>

その後、対馬藩主・宗重正が伊勢家伝来の「小烏丸」と同じ頃に買い取ったと言われているよ。

<近代>

江戸後期に対馬藩主・宗家の所蔵となった鶯丸だったけれど、明治維新後、秋元子爵が1,500円で譲り受けたとされているよ。
さらに鶯丸は秋元子爵から売りに出されて、田中光顕伯爵の所有となったの。

明治40年(1908年)11月に茨木県で陸軍大演習が行われたときに、茨木県結城にゆかりがある刀であるとして鶯丸は田中光顕伯爵より明治天皇へ献上されたんだ。
この時、田中光顕は2つの圀風を添えたとされているよ。

また献上前には高田庄左衛門が鶯丸の研磨を行ったと言われているんだ。
明治天皇は刀剣好きとして名高く、鶯丸は皇室の御物となったよ。
御由緒物の刀剣の多くは宮中祭祀などで役割を担っているんだけど、鶯丸も鶴丸などと同様に毎年1月1日に実施される宮中での歳旦祭の際に使用されるんだ。

刀剣うさぎ
刀剣うさぎ
宮中お抱えの名刀なんですね!

【鶯丸の作風】

刃長2尺7寸(約81.81cm)、反り9分(約2.73cm)、元幅2.97㎝、先幅1.70㎝、元重0.69㎝、先重0.52㎝。
形状は鎬造り、庵棟、腰反り高く踏ん張りがあって茎にても反り、鋒は小鋒となる。
鍛えは地鉄が肌立ち、板目肌よくつみ、地沸が厚くつき、棟寄りに沸の乱れ映りが表れているよ。

刃文は、直刃調の小乱主調に大模様の乱刃を交え、足・葉頻りに入る。
上半は焼幅広く湾れ刃を交える。
帽子は、僅かに乱れ込み、先小丸、表裏とも二重となり、小沸よくつき、掃きかける。

茎は生ぶ、鑢目勝手下りで先栗尻となり、目釘孔は1個。
佩表(はきおもて)に「備前国友成」の5字銘を切っているんだ。

鎬造り、庵棟、腰反り高く、踏ん張りあり茎にても反る。小切先。
生ぶ中心、栗尻、目釘孔1個。

【鶯丸の豆知識】

鶯丸のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

<鶯丸の名前の由来は?>

鶯丸という独特な名称が付いているけれど、その名前の由来は分かっていないんだ。

ただ「小笠原系図」にある感状には「鶯太刀友成」と書かれていて、「慶元古文書」にも「鶯丸友成」とあるので、鶯丸と呼ばれているよ。
室町時代には「鶯の太刀」と呼ばれていたと伝わっていて、名物として扱われていたんだ。

<鶯丸を作った友成は古備前を代表する刀工の1人>

鶯丸の作者は古備前友成だよ。
この古備前友成は古備前派の刀工の1人であり、三条宗近、伯耆安綱と並んで平安時代の三名工とも呼ばれているの。
備前鍛冶の始祖としても伝わる友成は正恒と並んで古備前鍛冶の双璧と言われ、備前を代表する刀工なんだ。

実はこの友成は1人ではなく、同じ名前の刀工が数名はいたと言われているよ。
製作年代や銘振りが異なる作刀がいくつか現存しているの。

古い刀剣書においては、最古の友成の作刀時期は平安時代の中期・永延頃としているよ。
友成には鎌倉時代初期の嘉禎年紀の作が現存していて、一代限りではなくて複数の同名工の存在が考えられているんだ。
これが襲名だったのか、昔の名工の名を慕って名乗ったのかどうかは定かになっていないよ。

銘文は「備前国友成」と切るもとが多く、「友成」「友成作」などもあるんだ。
友成の在銘品は、古備前の中では比較的現存数が多くて、その中でも国宝2点、重要文化財4点、重要美術品8点の計14点が指定・認定品になっているよ。

古備前物の中で最も古様な作風を示していて、なお且つ品位の高いのが友成の日本刀なんだ。
友成と並んで古備前派の双璧と言われる正恒に比べると、地金に少し黒みがあって肌立ちごころとなり、映えは淡く中には全く目立たないものもあるんだ。

また刃文は丁子がほとんど交じっておらず、小乱れ主体で如何にも古色蒼然たるものなの。
一方、正恒の日本刀は地金がよく約んで映りが鮮明に立ち、刃分は焼深く、小丁字ごころを交えて友成よりも技巧味が加わった感じのものが多いよ。

<友成の作刀の中でも屈指の出来映えを誇る>

鶯丸は現存する友成の日本刀の中でも古い部類に属するんだ。
作風は華やかで、友成の作った日本刀の中でも屈指の作として、斯界では広く知られているよ。
また友成の作品は棒樋が施された作品が多く見られるんだけど、鶯丸においては施されていないのも鶯丸の特筆するべき点の1つなの。

<鶯丸はめったにお目にかかることはできない>

鶯丸は王室御物なので、滅多に展示されることはないんだ。
ただ1997年には特別展「日本のかたな・鉄のわざと武のこころ」で鶯丸が特別展示されたので、今後も展示の機会はあるかもしれないよ。

刀剣うさぎ
刀剣うさぎ
いつかはこの目で見てみたい名刀です〜

【鶯丸(うぐいすまる)・オリジナル歴史イラスト】

平安古備前・友成作|将軍家から皇室へ伝わる優美な御物太刀

鶯丸(うぐいすまる)は、平安時代の古備前派を代表する名工・友成(ともなり)が制作したと伝わる太刀です。

刃長は約81.8cm、反りは約2.73cm。腰反りが高く、踏ん張りのある優美な姿と小鋒が特徴で、古備前の伝統的な作風を今に伝える名刀として知られています。

刀身は鎬造りで、板目肌を基調とした地鉄には地沸や映りが見られ、刃文は直刃調の小乱れを主体として湾れを交えています。茎には「備前国友成」の銘があり、棒樋などの彫物が施されていないことも特徴です。

鶯丸は、かつて足利将軍家に伝わり、室町時代の結城合戦で功績を挙げた小笠原政康に与えられたと伝えられています。

その後、小笠原家など複数の所蔵家を経て、明治時代には明治天皇に献上されました。現在は皇室の御物として宮内庁が管理する、歴史的にも貴重な太刀です。

本イラストでは、鶯丸の長く優美な太刀姿を中心に、春を告げる鶯、梅の花、遠くに霞む山並み、金彩の雲を組み合わせました。

春の穏やかな風景は「鶯丸」という名前から着想した象徴的な表現であり、名称の由来を確定するものではありません。

古備前の名刀が持つ静かな気品と、武家から皇室へ受け継がれてきた歴史を表現しています。

日本画・水墨画・透明水彩画を融合した、当サイト独自の歴史イラストです。

※本イラストは歴史資料を参考に制作したイメージ画であり、実物の刀身や刃文、刀装、当時の景観を精密に再現したものではありません。

刀剣乱舞とは

刀剣男士と共に―いざ出陣!

西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、
最強の付喪神“刀剣男士(とうけんだんし)”と共に過去へ飛ぶ――。

▼刀剣乱舞-ONLINE-とは?
名だたる刀剣が戦士へと姿を変えた“刀剣男士”。
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様々な合戦場を攻略していく、刀剣育成シミュレーションゲームです。

(公式サイトより引用)

 

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