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2020年11月15日
今剣 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2020年11月15日目次
【岩融の歴史と概要】
岩融(いわおとし)は三条小鍛冶宗近作の長刀で、刃の部分だけで三尺五寸(106cm)もあったとされている伝説の長刀なんだよ。
岩融に関しては、長享の刀剣書である「長享銘尽」にも記載されているんだ。
現在も、岩融は見つかっていないため、架空の武器ではないか?と言われることもあるそう。
岩融という武器銘の由来は分かっておらず、「義経記」の中には弁慶が所持している「岩透(いわとおし)」と刀が、大薙刀と混同されたのでは?という説もあるそう。
また、岩でも貫くほどよく切れることからついたとも言われているんだ。
けど実際のところは良く分かっていないの。
というものの、弁慶が岩融という薙刀を持っていたという言い伝えはあるものの、それを裏付ける確かな出典は見つかっていないんだ。
源義経と武蔵坊弁慶の活躍を描いた室町期の軍記物「義経記」には、「岩透という刀」という記載は3か所あるものの、(長刀)薙刀とは書かれていないの。
また、三条宗近に関する記述に関しても「今剣」では「三条小鍛冶」という記述が出てくるのみで、弁慶が所持している薙刀に関しては一度も出てこないんだ。
このことからも、三条小鍛冶、長刀、岩透の3つが混合して、「武蔵坊弁慶の持つ三条小鍛冶が作った岩透という長刀」が出来上がった…とも考えられているの。
ちなみに愛媛県今治市にある大山祇神社では弁慶が寄贈したと伝わる大長刀が所蔵されていて、重要文化財にも指定されているよ。
【岩融の作風】
「義経記」においては、薙刀ではなく、太刀の脇にさした刀であると記載されているの。
岩融は刃の部分だけで三尺五寸(106cm)であったというのは有名で、当時の薙刀の標準的な刃の大きさが80cmだったことからもどれほど大きいかがよく分かるよね。
岩融は現存していないため、作風に関しては分かっていない部分が非常に多いんだ。
【岩融の豆知識】
岩融は刃の部分が三尺五寸(106cm)もある巨大な武器で、武蔵坊弁慶が多くの武芸者などと戦い999本もの刀を集めるときに手にしたという薙刀でもあるの。
この岩融を杖のようにして体を支えて、仁王立ちのまま息絶えたことから「弁慶の立ち往生」という言葉も生まれているんだ。
弁慶といえば、この岩融の薙刀を思い浮かべる人も少ないはず。
ただ弁慶の存在自体が確実ではないので、岩融もまた伝説の人物が所持した伝説の武器である可能性もあるんだよ。
ちなみに弁慶(武蔵坊弁慶)は、元比叡山の僧侶で、五条大橋で源義経と運命的な出会いを果たすの。
その後、義経に仕えたとされているよ。
また「弁慶に薙刀」ということわざを知ってるかな?
この意味は、弁慶に薙刀を持たせたように、強いがうえにも強くなることを意味していて「鬼に金棒」と同じ意味になるんだよ。
<武蔵坊弁慶ってどんな人物だった?>
岩融を所持していたと言われている武蔵坊弁慶はいったいどんな人物だったんだろう?
弁慶についてまとめてみよう。
弁慶は、源義経に最後まで付き従った怪力無双の僧兵で、一度は名前を聞いたことがあるというほど有名な人物だよね。
「弁慶に薙刀(鬼に金棒と同じ意味)」ということわざがあるくらい薙刀を持っているイメージがすごく強い人物なの。
他にも弁慶にまつわることわざはたくさんあって「弁慶の泣き所」「内弁慶、外地蔵」などよく使われているよね。
弁慶は、鎌倉期の歴史書である「吾妻鏡」にも名前があるので、実在の人物として考えられているものの、よく分かっていない部分も多いんだ。
弁慶は母の胎内に18ヶ月おり、生まれた時には2〜3歳の体つきで、髪の毛は肩を隠すほど伸び、奥歯も前歯も生えそろっていたと言われているよ。
そのため、生まれてきた弁慶を見て父親は、「鬼の子供だ」と思い、弁慶を殺そうとしたそう。
弁慶は「鬼若」と命名されて叔母のもとで育てられることになるんだ。
大きく成長した弁慶は比叡山へ入れられるものの、勉強もせず暴れてばかりいたため追い出されることに。
追い出された鬼若は自ら剃髪して「武蔵坊弁慶」と名乗るようになったんだ。
弁慶は「京で人の太刀を千本奪って自分の宝にしよう」と誓いを立てたの。
弁慶は道行く人を襲っては、通りかかった武者と決闘して、ついに999本まで太刀を集めることに成功。
あと1本というところで、腰に見事な太刀を身につけた若者と出くわしたんだ。
その若者こそが源義経だったの。
義経の太刀に目をとめた弁慶は、挑みかかるものの、攻撃をひらりと交わされ返り討ちとなってしまうんだ。
降参した弁慶は、義経の忠実な家来として活躍することになり、平家伐採では功名を立てたんだよ。
その後、兄・源頼朝と対立した義経と共に、奥州平泉へ辿り着き、藤原秀衡の元へ身を寄せていたの。
しかし、最後には多数の頼朝軍を相手に、弁慶は薙刀をふるって孤軍奮闘するものの、全身に矢を受けて立ったまま絶命したんだ。
これが「義経記」に書かれている弁慶の生涯になるよ。
【岩融(いわとおし)・オリジナル歴史イラスト】
武蔵坊弁慶に伝わる幻の大薙刀
岩融(いわとおし)は、平安時代末期の武将・源義経に仕えたと伝わる武蔵坊弁慶(むさしぼうべんけい)が所持していたとされる、伝説の大薙刀です。
平安時代の名工・三条小鍛冶宗近(さんじょうこかじむねちか)が制作したとも伝えられ、刃長は三尺五寸、約106cmに達したといわれています。しかし、現在まで岩融と確実に確認できる刀剣は発見されておらず、実際の姿や制作年代、刀工については明らかになっていません。
岩融に関して興味深いのが、室町時代に成立した軍記物語『義経記』との関係です。同書には、弁慶が所持する「岩透(いわとおし)」という刀が登場しますが、必ずしも大薙刀として描かれているわけではありません。
そのため、岩透という刀の伝承と、弁慶が巨大な薙刀を振るったという後世のイメージが結びつき、現在知られる岩融の物語が成立した可能性も指摘されています。
武蔵坊弁慶は、源義経に忠義を尽くした怪力無双の僧兵として、数多くの物語や芸能作品に登場する人物です。京都の五条大橋では、千本の太刀を集めようとした弁慶が、最後の一本を求めて牛若丸に挑み、敗れたことをきっかけに義経の家来になったという伝説が知られています。
また、奥州平泉で義経が最期を迎えた際、弁慶は迫り来る敵と戦い、全身に矢を受けながらも立ったまま息絶えたという「弁慶の立ち往生」の逸話も有名です。
ただし、これらは軍記物語などで語り継がれた伝承であり、実際の出来事として詳細まで確認されたものではありません。
本イラストでは、岩融を長大な刃と木製の柄を備える大薙刀として想像し、画面全体を横切るように大きく配置しました。通常の日本刀とは異なる薙刀特有の反りや、長柄武器としての迫力を重視しています。
背景には、武蔵坊弁慶と牛若丸の出会いの伝説を象徴する京都の橋、僧兵を思わせる人物、山並み、古寺の塔を描きました。これらの景観は、特定の歴史的場面を精密に再現したものではなく、義経と弁慶の物語を象徴的に表現したものです。
さらに、秋の紅葉、白梅、松、金彩の雲、藍色の青海波文様を組み合わせ、武蔵坊弁慶の豪勇と、長い年月を経て語り継がれてきた幻の大薙刀の存在感を表現しました。
日本画・水墨画・透明水彩画を融合した、当サイト独自の歴史イラストです。
※岩融は現存する実物が確認されていない伝承上の刀剣です。本イラストの刀身、刃文、柄、刀装および背景の景観は、歴史資料と伝承に着想を得た想像図であり、実物の姿や当時の情景を精密に再現したものではありません。
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