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蛍丸- 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【蛍丸の歴史と概要】

 

蛍丸(ほたるまる)は鎌倉時代に作られた大太刀だよ。
阿蘇神社に保管されているから「阿蘇の蛍丸」という別名もあるんだ。

阿蘇氏の十代目当主「阿蘇惟澄(あそこれずみ)」が所持していた蛍丸は旧国宝に指定されていたものの、太平洋戦争終結時の混乱によって行方不明になってしまの。

次に蛍丸の来歴をまとめてみよう。

 

<阿蘇惟澄>

蛍丸は南北朝時代の南朝側の武将であった阿蘇惟澄(あそこれずみ)が佩用したと伝承されているよ。

また蛍丸という名前も、阿蘇惟澄所有時代についたんだ。
江戸時代の肥後熊本藩藩士・松村昌直の「刀剣或問」によると、阿蘇惟澄は延元元年(1336年)の多々良浜の戦いで、蛍丸を振るい菊池武敏を助けて足利と戦ったよ。

 

南北朝時代、足利尊氏は後醍醐天皇による建武の新政に反発し離反するけれど、楠正成や北畠顕家らと連絡した宮方勢に京都で敗れ、海路西走するんだ。
そこで播磨国・赤松則村らに助けられて、再興を賭けて九州での再起を図ったよ。

足利尊氏は足利方に味方した肥前国守護・少弐頼尚らに迎えられるものの、九州の諸豪族は肥後国・菊池武敏をはじめとして、筑前国・秋月種道、肥後国・阿蘇惟直など大半が南朝方側だったんだ。その兵力は2万以上にも膨れ上がっていたの。
宮方の軍勢は博多を攻め、少弐氏の本拠大宰府を襲撃して陥落。

 

延文元年3月、足利勢は筑前国宗像を本拠地としていた宗像氏範らの支援を受けて、筑前国の多々良浜に布陣した菊池武敏氏率いる宮方と対決。
これが「多々良浜の戦い」なんだ。

当初、宮方の菊池勢が優勢であったものの、菊池軍に大量の裏切りが出たために逆転。
菊池軍は総崩れで敗走することになるよ。

 

<阿蘇一族における争奪戦があった>

惟澄以降、阿蘇一族は北朝方と南朝方で分かれて争うようになってしまったんだ。

そのため、阿蘇一族における武力と領土のシンボルであった蛍丸を、南北間で争奪することもあったの。

実際に蛍丸を鑑定した江戸時代の肥後熊本藩藩士・松村昌直によると、梵字の刻印がすり減って何度も研磨されたことで刀身がやせ細っていたそう。
また刀の先端部分である切先には刃こぼれも見られたよ。

 

南北朝時代以降は、刃渡り1mを超える大太刀を所持するほど大将クラスの武将が合戦の最前線に立つことはまずはないと考えられているよ。
そのため、蛍丸のやせ細った刀身などからも、合戦で使用されたのではなく、一族内の抗争で使われていたのでは?と言われているんだ。

 

<阿蘇大宮司惟澄の後裔>

その後、阿蘇神社の大宮司家として最高した阿蘇惟澄の後裔、阿蘇氏の家宝として伝えられたんだ。
元禄年間には肥後熊本藩3代藩主・細川綱利が蛍丸を召し上げようとしたものの、阿蘇家はこれを頑なに拒否。
そのため、仕方なく一時借り上げという形で佩刀にしたという逸話が残っているよ。

 

<近代>

昭和6年(1931年)に当時の国宝保存法に基づく旧国宝の指定を受けたよ。
昭和14年(1936年)の記録では男爵阿蘇恒丸氏の所有となっているんだ。
太平洋戦争中は地元の警察に預けられたものの、終戦後の刀狩りによって、どさくさに紛れ行方不明になってしまうよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
刀狩りの時に行方不明になってしまうなんて。。。

 

蛍丸:肥後国阿蘇大宮司蔵蛍丸太刀図(『集古十種』より) from wikipedia

【蛍丸の作風】

 

総長4尺5寸(約136.36㎝)、刀身3尺3寸4分5厘(約101.35㎝)、元身幅1寸3分(約3.9cm)、重ね3分9厘(約1.2cm)
江戸時代に松平定信によって編集された「集古十種」では刃長は1m長、全体の長さは1m36㎝もあったと記録されているの。

また「肥後國阿蘇大宮司惟純螢丸太刀圖」として絵図が収録されているよ。
時代劇などでよく見る日本刀は、刃長が約70㎝程度、全長でも約91㎝以内だから、蛍丸はかなりの大きい日本刀であったことがよく分かるよね。
また厚さにおいても、蛍丸は厚さが1.2㎝ほどあったそう。

刀の厚さは作品によって多少の差はあるものの、通常の日本刀の厚さは6~8㎜程度と言われているから、1.2㎝の蛍丸はかなり厚みがあるよ。
製作時代などから見ても、研ぎ減っていることが考えられ、それを考慮すると蛍丸は相当な迫力のあった大太刀であっただろうね。
そのため、蛍丸には重量軽減のための溝である樋が表裏に彫られているんだ。

 

刃文は直刃丁子乱れ、匂い沈む。茎には目釘孔が一つ、表に「来国俊」、裏に「永仁五年三月一日」の銘があったそう。
三ツ頭から茎尻に渡って全体に樋あり。

表のはばき元には2寸1分(約6.36cm)の護摩箸の刀身彫刻が、裏にははばき元から切先方向に向けて6寸8分(約20.6cm)「長六寸八歩」の素剣の刀身彫刻があることが記されているよ。

護摩箸とは仏教(密教系)の不動明王を示しているんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
ずっしり重そうですな!!

 

【蛍丸の豆知識】

 

蛍丸のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<蛍丸の名前の由来は?>

蛍丸という名前は、南北朝時代の阿蘇大宮司である南朝方の武将・阿蘇惟澄(あそこれずみ)が所持していた時のエピソードから名付けられたんだよ。
この時のエピソードはいくつか説があるので、それぞれまとめてみよう。

 

・蛍が群がって刀を修復したという説

延元元年(1336年)の多々良浜の戦いで阿蘇惟澄が足利勢と交戦したとき、その激戦によって大太刀は刃こぼれを起こしてしまうんだ。

残り僅かな郎党を伴ない居館に引き返した惟澄は、その夜に傷ついた大太刀に無数の蛍が群がって、刃こぼれがすうっと消えて元通りの姿になるという夢を見るの。
翌朝目が覚めると、本当に大太刀の刃こぼれが嘘のように修復されていたと言われているよ。

 

 

・刃こぼれした欠片が蛍のように見えた説

延元元年(1336年)3月2日、筑前の多々良浜の合戦において肥後の阿蘇神社神職で、菊池武敏の軍に従っていた阿蘇惟澄は、蛍丸の太刀を使って奮戦していたんだ。
激戦を経た大太刀は鋸のように刃こぼれしてしまったの。

しかしその夜、刃こぼれしてしまった欠片が飛んで戻ってきて、元の場所に納まってひとりでに修復されたそう。
その様子がまるで蛍が飛んでいるように見えたことから「蛍丸」と呼ばれるようになったと言われているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
蛍にちなんだ名前はロマンがありますよね♪

<蛍丸を作成した刀工・来国俊>

蛍丸を作った作者は、鎌倉時代中期に山城で活躍した刀工・来国俊だよ。
来国俊は来(らい)派と呼ばれる一派の事実上の祖とされた国行の子供であり、高い技術力を誇った来派の中でも非常に優れた腕前を持っていたと言われているの。

国俊作とされる日本刀には「来国俊」と「国俊」と銘を切る刀がそれぞれあるんだ。
そのため2つの銘の違いによって作風も異なるため、2人は別人であるという説や、時代変遷などを考えると長生きした1人の刀工だったのでは?という説もあるよ。

 

来国俊と銘を切る刀工は通称「来孫太郎」と呼ばれており、「来源国俊」や「来太郎源国俊」という銘も確認されているよ。
来国俊は山伏だったとされており、蛍丸の刀身に彫られている彫刻も修験道と密接な関係がある不動明王の持ち物となっているんだ。

 

来国俊の作品は繊細でありながら力強さを感じさせる、来派の特徴的な鉄肌の模様のような「地鉄」にまっすぐな刃文「直刃」を焼いたものが多く見られるよ。
さらにそこに並行して入るもう1本の刃文である「二重刃」やメインの刃文から枝のように切先に向かって入る逆足なども特徴的なんだ。

初期に作成した来国俊の刀には、丁子の花のつぼみに似た形が小さく連なっている「小丁子」という華やかな刃文を焼いた作品が多く見られるよ。
国行や二字国俊と比べると、来国俊の刀は比較的細身の穏やかな作が多くて、匂口が沈むという特徴があるんだ。

 

<行方不明になった蛍丸はいったいどこにあるの?>

終戦直後の昭和20年(1945年)、連合国軍総司令部(GHQ)によって行われた「刀狩り」で、蛍丸は接収されてしまうんだ。
刀狩りは、戦後日本の非軍事化政策の一環であり、全国から日本刀を没収して廃棄するものだったの。

この時蛍丸は、長光の大刀や牡丹造りの腰刀などの名刀ともに地元の警察署に提出されて、熊本進駐軍の倉庫に運びこまれたよ。
その後、ぱったりと行方が分からなくなってしまうんだ。

刀狩りを行った際に、蛍丸も接収されて処分されたのでは?とされているんだけど、正式に廃棄されたという記録が残っていないため行方が分からないの。
行方不明になった蛍丸がどこに行ったのか?の説はいくつかあるからまとめてみよう。

 

・連合国軍総司令部(GHQ)が持ち帰った説

接収を指揮していた連合国軍総司令部(GHQ)のビーターセンが蛍丸をアメリカ持ち帰ってしまったのでは?と言われているよ。

 

・三角港に沈められた説

他の刀と一緒に蛍丸は熊本県三角港に沈められたのでは?と言われているよ。

 

・熊本県内のどこかにある説

進駐軍の倉庫から持ち出された蛍丸は今現在も熊本県内のどこかに隠されているとも言われているんだ。

台湾から復員した阿蘇神社宮司・阿蘇惟友氏は生涯かけて蛍丸を探し続けるものの、結局見つけることができなかったの。

また最近では文化庁が2013年~2014年にかけて蛍丸の行方を捜すものの、依然として見つかっていないんだ。
ちなみに国の重要文化財としての指定は、蛍丸の所在が不明になった後も継続されているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
見つかって欲しいです!!

<復元された蛍丸>

紛失した蛍丸が再び注目されるようになったきっかけは2015年に登場したオンラインゲーム「刀剣乱舞」だよ。
名刀を擬人化したゲームである刀剣乱舞に蛍丸というキャラクターも登場しているの。
この人気を受けて、蛍丸を復元しよう!という動きが活発になったんだ。

 

岐阜県と大分県に住む2人の刀鍛冶が蛍丸を復元して、阿蘇神社に奉納するというプロジェクトが始動。
実際に復元に取り組んだのは、岐阜県関市の福留房幸さんと、大分県竹田市の興梠房興さんだよ。

2015年11月にインターネット上で資金を募るクラウドファンディングで資金を募集したところ、目標額550万円をわずか5時間で達成。
刀剣ファンなど3000人を超える支援者から4512万円もの資金が集まったの。
また集まった出資金の一部は、平成28年熊本地震に際し、阿蘇神社へ見舞金として寄付されたんだ。

 

1年半の製作期間を経て、2017年6月17日についに完成。
阿蘇神社で蛍丸の完成を奉告する式典が行われ、復元計画の最高額出資者であった「刀剣乱舞」の制作会社ニトロプラスの小坂崇氣社長も出席したんだ。

蛍丸の復元は3振り作刀されて、真打1振りは阿蘇神社へ奉納され、影打ち2振りは岐阜県関市の関鍛冶伝承館と、最高額270万円の出資者(刀剣乱舞の制作会社社長)に贈られたよ。
復元された蛍丸は、刃渡り136㎝、重さ2.3kgの大太刀。
その姿を一目見ようと、全国各地から神社の境内を埋め尽くすほど、大勢の刀剣ファンが押しかけたそう。

 

刀剣レモン
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あっという間に目標額を達成して約8倍ものファンディングを達成したんだよ!
刀剣レモン
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最高出資者が得れたなんて、夢のある話ですね!

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(公式サイトより引用)

 

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