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平野藤四郎 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【平野藤四郎の歴史と概要】

 

平野藤四郎(ひらのとうしろう)は、鎌倉時代に製作された日本刀だよ。
短刀である平野藤四郎は、皇室の私有財産「御物」であり、現在は宮内庁侍従職が管理しているんだ。

この平野藤四郎は、鎌倉時代の刀工として有名な藤四郎吉光によって作られた短刀だよ。
ちなみに藤四郎吉光は、粟田口派の粟田口則国あるいは、粟田口国吉の子として知られているの。

 

短刀をたくさん製作してきた刀工として有名な藤四郎吉光だけど、この平野藤四郎は吉光の他の短刀と比べても大振りで、吉光の粟田口派の特色がよく出ているんだ。
この平野藤四郎は、藤四郎吉光が制作した刀の中でも抜群の出来と評されているほどなんだよ。

次に平野藤四郎の来歴についてまとめてみよう。

 

<平野道雪>

元々は大坂の商人であった平野道雪が所持していたんだ。
はじめの所有者であった平野道雪の名前が、平野藤四郎の名前の由来となっているんだよ。

 

<木村重茲(木村常陸介)>

木村重茲(木村常陸介)は、摂津国平野町の豪商であった平野道雪から金30枚で平野藤四郎を買い取ったんだ。

 

<豊臣秀吉>

金30枚で平野道雪から平野藤四郎を買い取った木村重茲(木村常陸介)は1分磨き上げた上で、豊臣秀吉に献上したの。
この時、平野藤四郎は1尺(約30.3㎝)ほどあったと言われているよ。
それを区送りして9寸9分の短刀にしたんだ。

 

<前田利長>

豊臣秀吉が所有していた平野藤四郎は、その後前田利長が拝領するよ。

 

<徳川秀忠>

前田利長は慶長10年(1605年)6月28日に隠居の挨拶で、2代将軍・徳川秀忠に平野藤四郎を献上したんだ。

 

<前田利常>

元和3年(1617年)5月13日、前田邸に2代将軍・徳川秀忠が渡御の際に、前田利常が徳川秀忠から拝領して、それ以来前田家に伝来したの。
この時、秀忠は前田利常に畠田守家の太刀、一文字の刀(浅井一文字)、平野藤四郎の脇指を与えたんだ。

一方、前田利常からは徳川秀忠に畠田守家の太刀、貞宗の刀、新身藤四郎の脇指(江戸新身)を献上しているよ。

 

前田家では、折紙はついていないものの1000貫以上の脇差の筆頭に平野藤四郎を上げて、金沢城内の宝蔵に保管していたそう。
文化9年(1812年)3月には本阿弥長根がお手入れに出張して、平野藤四郎のことを「新刀の如し」と感嘆しているんだ。

 

<明治天皇>

明治維新後も加賀前田家に伝わった平野藤四郎は、1879年(明治12年)は、加賀藩の第12代藩主であった前田斉泰より明治天皇に献上されたんだ。

明治天皇所有の日本刀の一部は、大正天皇、昭和天皇など代々相続された後、第二次世界大戦後の財産税や昭和天皇崩御の際の相続税として国庫に物納されたよ。
一方、平野藤四郎は小烏丸などと同じように引き続き御物として取り扱われているの。

御物の刀剣の多くは宮中祭祀などで役割を担っているんだ。
平野藤四郎に関しては「御物調書」にも記載されていて、状皇后陛下(美智子様)の枕刀としても使用されていたと言われているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
前田家〜豊臣秀吉から現在の皇室へ〜!
刀剣レモン
刀剣レモン
状皇后陛下(美智子様)の枕刀!!すごい事ですね♪

 

【平野藤四郎の作風】

 

刃長30.15cm、内反、茎反なし、元幅2.85cm、元重0.82cm、茎長11.67cm。
平野藤四郎は平造りの三つ棟。
地鉄は小板目肌よく約み地沸美しくつく。

表裏に刀樋があるものの、差し表の下に、添え樋の跡が残っているよ。
刃文はもと互の目乱れ、先は広直刃に足入りとなり、差し裏には葉が多いんだ。
鋩子は小丸となり、中心は1分(約0.3cm)区送りのうぶ。
栗尻、瓢型の目釘孔の下に「吉光」と二字銘が入っているよ。

 

 

【平野藤四郎の豆知識】

 

平野藤四郎のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<平野藤四郎は藤四郎吉光の作品の中でも短刀の筆頭であった>

平野藤四郎は「享保名物帳」にも記載されている名物なんだけど、本阿弥氏がまとめた控帳を原本とする写本には吉光の項の第一に記載されているんだ。
このことからも、平野藤四郎が藤四郎吉光の短刀の筆頭として扱われていることがよく分かるよね。

 

 

<平野藤四郎の名前の由来とは?>

平野藤四郎という名前は、木村重茲(木村常陸介)が摂津の商人であった平野道雪より金30枚で入手したと伝えられていることが由来となっているんだ。
商品・平野道雪の「平野」をとって、平野藤四郎という名前が付けられたと言われているよ。

木村重茲は平野道雪から金30枚で入手した短刀を1分摺り上げて、豊臣秀吉に献上したんだ。
さらに豊臣秀吉は前田利長に譲って、さらに前田利長が徳川秀忠に献上。

元和3年(1617年)には秀忠が前田利常に譲って以後加賀藩主・前田家に伝えられたとされているの。

 

 

<元々の平野藤四郎の所有者・平野道雪とは?>

平野藤四郎の名前の由来ともなり、平野藤四郎の元々の所有者であった平野道雪。
大坂の商人であった平野家は坂上田村麿の子孫で、田村麿の子=広野の領地だったから、もと広野庄といったけれど、後に平野庄に改称されたんだ。

その子孫は「平野殿」と呼ばれて連錦江戸期まで栄えることになったよ。
1596年頃には、伏見銀座の頭役にもなっていたんだ。
平野とは摂津国住吉郡平野庄または郷で、現在の大阪府大阪市平野区のあたりになるよ。

 

 

<めったに見ることができない平野藤四郎>

平野藤四郎は御物として特別な役割を担っていることから、特別な機会がない限り一般に公開されることはないんだ。

これまでに一般公開されたことがあるのは東京国立博物館で開催された「日本の武器武具」(1976年10月5日 – 11月23日、東京国立博物館)「日本のかたな」(1997年10月14日 – 11月24日、東京国立博物館)「御即位20年記念 特別展「皇室の名宝-日本美の華」」など数回だけなんだよ。

 

刀剣レモン
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当時、実際に見れた人はとても貴重なことだね!次はいつ一般公開されるかわからないものね!

 

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刀剣乱舞とは

刀剣男士と共に―いざ出陣!

西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、
最強の付喪神“刀剣男士(とうけんだんし)”と共に過去へ飛ぶ――。

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(公式サイトより引用)

 

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