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後藤藤四郎 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【後藤藤四郎の歴史と概要】

 

後藤藤四郎(ごとうとうしろう)は鎌倉時代に作られた日本刀だよ。
短刀に分類される後藤藤四郎は、日本の国宝にも指定されている有名な刀剣なんだ。

現在は愛知県名古屋市にある徳川美術館所蔵で、国宝指定名称は「短刀銘吉光(名物後藤藤四郎)」だよ。

 

後藤藤四郎を作った藤四郎吉光は鎌倉時代に活躍した粟田口派の刀工だよ。
粟田口則国、国吉の子ともされている藤四郎吉光は、粟田口派の中でも最も著名な刀工であったと言われていて豊臣秀吉も愛した刀工なんだ。

江戸時代には正宗、郷義弘とともに藤四郎の作品は「三作」と呼ばれ、ことに珍重されたよ。
特に、藤四郎吉光は短刀や剣の名手として名高く、後藤藤四郎もまた短刀だよね。
藤四郎吉光が作る刀の刃文は直刃が多い中、後藤藤四郎は例外的に派手な刃文をしているのが大きな特徴となっているよ。
また藤四郎の短刀の中でも後藤藤四郎は大振りで華やかな作行であると言われているの。

次に後藤藤四郎の来歴についてまとめてみよう。

 

<後藤庄三郎光次>

江戸期の御金改役(金座の元締)であった後藤庄三郎光次の所持が始まりであると言われているよ。

 

<土井利勝>

享保名物帳によると寛永6年(1629年)8月29日に江戸幕府3代将軍・徳川家光が土井利勝の邸宅へ御成になった時に、後藤藤四郎が土井利勝より家光へ献上されたという記録があるそう。
このことから、それ以前に後藤庄三郎光次から土井利勝へ後藤藤四郎を贈り、その後に家光の元へ渡ったと考えられているよ。

 

<徳川光義(尾張徳川家2代藩主・徳川光友)>

寛永16年(1639年)9月、3代将軍・徳川家光の長女である千代姫が、徳川光義(後の尾張徳川家2代藩主・徳川光友)との婚礼の婿引き出物として後藤藤四郎を光義に贈ったの。

この時、家光から祝儀として後藤藤四郎の他にも名物「五月雨江」「上野貞宗」とともに拝領したよ。

 

<尾張徳川家3代藩主・徳川綱誠>

寛文7年(1667年)9月26日、尾張3代・徳川綱誠が広幡忠幸の娘・新君と婚儀を済ませた後、その翌日に市ヶ谷の屋敷を訪れた際に「五月雨江」と本刀「後藤藤四郎」を綱誠に贈ったと言われているよ。その後も代々、尾張徳川家に後藤藤四郎は伝来したんだ。

 

元禄の末頃には、老中から尾張藩付家老である成瀬隼人正正幸に対して、次の尾張藩主出府の際には、木曽の御料林を幕府に献上して、かつ江戸出府の手土産に「後藤藤四郎」を献上するようにと内示があったそう。

これに対して、成瀬隼人正正幸は「千代姫様の思し召しも測りがたい上、そんなことであれば藩主も出府しますまい」と撥ね付けたの。
これを聞いた成瀬隼人正正幸の父・成瀬正親は「わしもこれで安心して冥土に行ける」と喜んだと言い伝えられているよ。

 

<近年>

昭和16年(1941年)9月24日には重要美術品に指定され、この時には尾張黎明会所蔵だったの。
昭和28年(1953年)11月14日に重要文化財指定、翌29年(1954年)3月20日国宝に指定。
現在は愛知県名古屋市にある徳川美術館にて展示・公開されているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
国宝、至極級の名刀です〜!

 

【後藤藤四郎の作風】

 

後藤藤四郎は刃長が27.7㎝、造り込みは平造で、三つ棟。地鉄は小板目肌が約み、地沸つき、大肌交じり、強く冴える。
内反、やや大振りの短刀で、刃文は広直刃調に浅くのたれ、丁子交じり、足し切りに入り、匂深く、小沸つく。
鋩子乱れ込み、掃きかけ火焔となる。茎は生ぶ、茎尻は栗尻、鑢目(やすりめ)は勝手下がりで、目釘孔4個だよ。
目釘孔下に「吉光」の二字銘が入っているんだ。

 

藤四郎作刀としては非常に珍しく乱刃になっているのが、後藤藤四郎の最大の特徴。
刃先は焼き崩れ気味になっているんだ。

京都国立博物館・主任研究員である末兼俊彦さんによると、作風が通常と異なる原因として、匂口の仕上がりにムラがあったことから焼き入れで一部が崩れてしまったのでは?と考察しているよ。
失敗作であるが故の傑作という位置づけが「後藤藤四郎」なんだ。

刀剣レモン
刀剣レモン
芸術的傑作なり!

 

【後藤藤四郎の豆知識】

 

後藤藤四郎のエピソードや豆知識をまとめてみよう。

<後藤藤四郎の名前の由来>

後藤藤四郎という号は、金座の頭役であった後藤家の初代・後藤庄三郎光次がこの短刀を所持していたことから名づけられたんだ。

ちなみに「金座(きんざ)」というのは、江戸時代に大判小判の鋳造を担っていた施設もしくは組織のことを言うの。
金工の後藤庄三郎光次が江戸幕府初代将軍であった徳川家康に貨幣の鋳造を命じられたことが始まりと言われているよ。
後藤庄三郎光次は小判の鋳造や鑑定などを行なっていたんだ。

 

<後藤庄三郎光次とは?>

後藤藤四郎の号の由来ともなった後藤庄三郎光次は、江戸幕府の初代金座を努めた人物だよ。
後藤庄三郎光次は、美濃国加納の城主・長井利治の孫にあたり、幕府お抱えの装剣金工家の後藤光乗(4代)の猶子となるんだ。

後藤庄三郎光次の祖父は長井彦右衛門尉利治と言い、濃州加納の城主で、この長井家というのはかの「往昔抄」という押形集を編んだ美濃の豪族(斎藤家の一族)だったの。
そのため、刀剣とは関係の深い家柄であったと言われているよ。
後藤庄三郎光次は徳川家康から厚い信任を勝ち得て、ついに金座、つまり現在でいうところの造幣局長官のポストを与えられたんだ。

 

<後藤藤四郎は失敗作だった?だからこそ価値が高い!>

後藤藤四郎の最も大きな特徴といえば、藤四郎吉光の作品の中では非常に珍しい乱刃であること。
乱刃(みだれば)とはまっすぐではない刃文のことを言うよ。
そして、後藤藤四郎は刃先が焼き崩れて、刃文の一部が崩れてはっきりしていない状態になっているんだ。

 

焼き崩れに関しては、刀剣鑑定家であった本阿弥家10代当主・本阿弥光室が低く評価したと、徳川吉宗が本阿弥家に命じて編集させた名刀リスト「享保名物帳」にも記されているの。
しかし、この時、仙台の本阿弥光徳は、低く評価された後藤藤四郎を逆に絶賛したんだ。
金300枚(大判300枚分)の折紙を付けたとも書かれているよ。

 

藤四郎吉光自身も、後藤藤四郎の刃先の焼き入れが失敗だったことは分かっていたものの、新しい作刀への挑戦の証として残しておきたかったのでは?と推察されているの。
その証拠に、後藤藤四郎は完成品として銘を切ったと考えられているんだよ。

この藤四郎吉光の想いを一見して読み取った本阿弥光徳は、後藤藤四郎に高い評価を与えたと言われているんだ。
失敗作だからこそ、後藤藤四郎は非常に貴重であり、現在でもその価値は高く国宝に指定されているんだね。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
失敗に見えて、逆に芸術性が高くなったんだね!
刀剣レモン
刀剣レモン
本阿弥光徳さま様様でございます。笑

 

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(公式サイトより引用)

 

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