太鼓鐘貞宗 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年1月24日燭台切光忠 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年1月25日
目次
【亀甲貞宗の歴史と概要】
亀甲貞宗(きっこうさだむね)は鎌倉時代に作られた日本刀だよ。
日本の国宝に指定されている打刀で、現在は東京都台東区にある東京国立博物館が所蔵しているんだ。
亀甲貞宗の作者は相模国鎌倉で活動していた刀工・貞宗。
徳川8代将軍・徳川吉宗が本阿弥家に命じて編纂させた「享保名物帳」にも所載しているよ。
次に亀甲貞宗の来歴をまとめてみよう。
<明智光秀>
亀甲貞宗は明智光秀が所有していたと言われているよ。
<最上義光>
亀甲貞宗は光秀から最上義光に伝わったとされているけれど、詳細は不明。
<徳川家>
その後、徳川家へ伝来。
<松平直政>
出雲国松江藩の初代藩主である松平直政が所有。
松平直政は徳川家康の孫にあたるよ。
出雲国にある出雲大社は、神紋として「二重亀甲に剣花菱」を使用。
亀甲貞宗の号の由来となった「亀甲紋」は出雲大社の神紋から取られたものと思われているよ。
<土方家>
亀甲貞宗はその後、陸奥国窪田藩の土方雄久へ伝わるよ。
しばらくは土方家に伝来していたものの、貞享元年(1684年)に窪田藩3代藩主・土方雄隆の継嗣をめぐるお家騒動によって窪田藩が改易処分されてしまうんだ。
それによっても亀甲貞宗は売りに出されてしまうよ。
「詳註刀剣名物帳」の記載は少し混乱があるものの、土方家は結局断絶となって、本刀もその際に手放したんだ。
<南部家>
売りに出された亀甲貞宗は、陸奥国南部藩4代藩主の南部行信のもとへ渡るよ。
南部家に伝来した経緯に関しては諸説あるの。
南部家の御用人であった赤沢某が150両で亀甲貞宗を直接買いあげたという説と、刀剣の鑑定や研磨を家業とする本阿弥光秀がある商人より買い上げたといる説があるよ。
刀剣学者・福永酔剣氏は赤沢某が本阿弥家で鑑定を学んでいたという経緯があることから、赤沢某が本阿弥家を通じて購入したものと推測しているの。
赤沢某が亀甲貞宗を入手したという報告を受けた南部行信は、赤沢に対してよくやったと賞賛。
亀甲貞宗を南部藩で買い上げて、赤沢某には褒美が与えられたそう。
<徳川綱吉>
元禄11年(1698年)、徳川幕府の五代将軍であった徳川綱吉が尾張藩邸に臨むことになった際に、尾張徳川家では綱吉へ献上する刀剣を探していたんだ。
そこで本阿弥家から発行された金200枚の折り紙付きの亀甲貞宗に白羽の矢が立ったよ。
尾張徳川家は南部家に対して亀甲貞宗を譲ってもらえないかと申し出たそう。
南部家は、親藩である尾張徳川家の申し出を断ることはできず、やむなく承諾。
亀甲貞宗が尾張徳川家へ贈られることになったんだ。
亀甲貞宗を譲ってもらえた尾張徳川家は大いに喜び、南部家には譲渡の返礼として「道誉一文字の太刀」と「綾小路行光の短刀」を贈ったよ。
その後元禄11年(1698年)3月18日の綱吉御成の際に、尾張綱誠から将軍・徳川綱吉へ家亀甲貞宗と短刀の宗端正宗を献上したんだ。
<将軍徳川家へ代々伝来>
その後、将軍家では亀甲貞宗を代々世子へ譲ったんだ。
宝永元年(1704年)12月5日には、綱吉から養子として来た徳川家宣(後の6代将軍)に亀甲貞宗が譲られたよ。
その後、享保9年(1724年)12月には8代将軍である徳川吉宗が、嫡男に家重(後の9代将軍)という名を授けるのに併せて、亀甲貞宗を家重に譲ったんだ。
なお、吉宗が本阿弥家に命じて編纂させた名刀目録の「享保名物帳」にも、亀甲貞宗は「御物」となっていて、徳川将軍家の収蔵であることが示されているよ。
さらに元文5年(1740年)12月15日には、9代将軍・徳川家重が自身の嫡男に家治(後の10代将軍)という名を授ける際に、亀甲貞宗が譲られたの。
また宝暦12年(1762年)11月には、長子・竹千代(後の家基)誕生のお七夜にお祝いとして亀甲貞宗が与えられたんだ。
このように亀甲貞宗は徳川家将軍家で代々譲り継がれていった大切な重宝だったんだよ。
<近代>
明治維新後も亀甲貞宗は徳川将軍家に伝来。
昭和11年(1936年)5月6日に徳川家正公爵の名義で国宝保存法に基づく国宝(旧国宝)に指定。
昭和20年(1945年)1月13日、徳川宗家から中島飛行機(後の富士重工業株式会社、現在は株式会社SUBARU)2代目社長である中島喜代一へと所有がうつったよ。
さらに昭和24年(1949年)12月13日に高橋金雄氏所持となり、その後愛刀家・渡邊三郎氏が所蔵。
渡邊三郎氏は三日月宗近や鳴狐などの日本有数の名刀を所持していたことでも知られているコレクターだったよ。
昭和40年(1965年)5月29日には文化財保護法に基づく国宝(新国宝)に指定。
その後、亀甲貞宗は渡邊三郎氏の死後、息子である渡辺誠一郎氏に所有が移り、平成3年(1991年)には渡辺誠一郎から東京国立博物館に寄贈されたよ。
【亀甲貞宗の作風】
亀甲貞宗は貞宗の作中では比較的細身の刀になるよ。
地鉄の精巧さや刃の働き、明るさなどから貞宗作中屈指の評価を受けているんだ。
貞宗の代表作の1つであり、天下の名刀とも言われているよ。
<刀身>
刀身2尺3寸4分(70.9cm)、反り8分弱(2.42cm)、元幅8分6厘(2.7cm)、先幅5分9厘(1.8cm)、鋒長さ(切先長さ)8分9厘(2.7cm)、茎長さ5寸7分7厘(17.5cm)
形状は平地と鎬地を区切る稜線が刀身にある「鎬造り」で、棟は刀を背面から断面で見た際に屋根の形に見える庵棟となっているよ。
刀身の幅はやや狭く、中鋒となっている尋常な刀姿である。
鍛えは、板材の表面のような文様が詰まった板目がよくつみ、平地の部分に鋼の粒子が銀砂をまいたように細かくきらきらと輝いて見える「地沸」が厚く、地景よく入る。
刃文は、湾れ主調で刃中に金筋、砂流、二重刃などの働きが盛ん。
浅い大湾れに小互の目ごころ交じり、小足入り、総じてよく沸づいて所々に荒めの沸を交える。
また足、葉もよく入り、切先の刃文である帽子は乱れこみ、沸崩れて掃きかけ、小丸に返る。
彫物は表裏に二筋樋を彫り、表は掻き流し、裏は掻き通す。
この二筋樋は正宗作にはほとんど見られないものなので、貞宗の得意としたものなんだ。
茎は大磨上げで先栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔は1つだよ。
大磨上げとは長寸の太刀であったものの茎を短く切り詰めて仕立て直したもののことを言うんだ。
銘は無名で、指表の茎先の刃寄りには花菱亀甲紋の毛彫りがあるよ。
【亀甲貞宗の豆知識】
亀甲貞宗のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<亀甲貞宗の名前の由来とは?>
亀甲貞宗という名前は、刀の指裏の茎先(中心先)に、花菱亀甲の紋が毛彫りされていることに由来するよ。
刀剣学者・福永酔剣氏は著書「日本刀大百科事典」で、亀甲紋が出雲大社の神紋であることから、亀甲貞宗と出雲大社は間接的に何か関係があるのでは?と推論を述べているよ。
ちなみに亀甲貞宗に関しては、出雲大社がある出雲国松江藩の初代藩主である松平直政が所持していた日本刀なので、出雲大社と何等かの関係があると考えるのも無理はないね。
<亀甲貞宗の名前の由来となった亀甲紋とは?>
亀甲文様とは正六角形の幾何模様のことで、その形が亀の甲羅の形によく似ていることから亀甲文様と呼ばれるようになったんだ。
ただこの亀甲文様は、亀の甲羅の形を象ったものではないよ。
亀甲文様は日本だけではなく、海外でも古代から見られる原始的な模様の1つ。
亀甲が文様や紋章として用いられたのは、六角形からなる均整がとれた幾何学的な美しさと、長寿の象徴である亀が持つ吉祥的な意味からとされているよ。
亀甲文様の歴史はとても古くて、日本では飛鳥時代にはすでに見られていたの。
奈良時代には各種の織物として亀甲文様を織り出していたそう。
さらに平安時代に入ると、亀甲文様は盛んに使われるようになり、衣装、調度品などにたくさん見られたよ。
「年中行事」「伴大納言絵詞」「北野天神縁起」などの絵巻物には必ずと言っていいほど、亀甲文様が描かれているんだ。
また、亀甲文様は家紋としても用いられているの。
亀甲紋と言えば、出雲大社の神紋としても有名なんだ。
出雲大社以外にも出雲地方の神社ではたくさんの亀甲紋を神紋としているの。
出雲大社が亀甲紋を神紋に用いた理由は、出雲大社の祭神大国主命の恵徳が六方にあまねく広まる形象であると言われているよ。
また他の説では、出雲国が太古は日本の北に位置してことに関連するそう。
北方は玄武であり、北方の守り神は亀なので、亀甲紋を用いたものとされているんだ。
<亀甲貞宗は明智光秀の愛刀でもあった?>
明智光秀と言えば本能寺の変を起こして主君・織田信長を討ち取った謀反人として広く知られているよね。
実はこの謀反人と言われる明智光秀が所有していたとされながら、その後、徳川家へ渡った日本刀があるんだ。
それこそが「亀甲貞宗」だよ。
亀甲菊花文様の彫り物が特徴の亀甲貞宗は、明智光秀から、その後、徳川家康の孫である松平直政の元へ伝わったよ。
<亀甲貞宗の作者・相州貞宗とは?>
貞宗は相州(現在の神奈川県)の刀工で、鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍したんだ。
相州伝を代表する名工・正宗の弟子もしくは子で、別名「彦五郎」とも呼ばれているよ。
亀甲貞宗の他に短刀3口が国宝に指定されている非常に優れた名工だったんだ。
貞宗の作風は正宗に似ているものの、正宗より整っていてややおとなしい作風と評されているよ。
<亀甲貞宗を所有していた初代松江藩藩主・松平直政とは?>
出雲国へ入国した松平家は、10代にわたって松江藩主として出雲国18万6千石を支配。
その松平家初代松江藩主であった松平直政は、徳川家康の次男・結城秀康の三男なんだ。
なんと、徳川家康と豊臣秀吉という2人の天下人の孫にあたる人物なんだよ。
松平直政は生母が遊女で出自が卑しかったために、血筋を重視していた当時は低く見られたそう。
大坂の陣直前には、生母・月照院は直政を呼び寄せ、勇気づけたと言われているよ。
14歳で大坂冬の陣に出陣。
周囲が真田丸を攻めあぐねる中で1人先駆けて乗り込んだんだ。
兄・忠直の陣に参陣した直政は奮戦し、多くの敵将兵の首を取る戦功を挙げたの。
戦後、祖父・徳川家康から打飼袋、兄・忠直からは越前北之庄1万石を与えられたよ。
その後、出雲松江18万6千石を与えられ、国持大名になったんだ。
初代松江藩藩主・松平直政
刀剣乱舞キャラ紹介
刀剣乱舞とは
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