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燭台切光忠 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【燭台切光忠の歴史と概要】

 

燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)は鎌倉時代に作られた打刀だよ。
作者は備前国の刀工集団である備前長船派の実質的な祖とされる光忠。
現在は茨城県水戸市にある徳川ミュージアムに保管されているよ。

 

燭台切光忠は光忠の華やかな作刀を好んだ織田信長から豊臣秀吉に渡り、伊達政宗に下賜されたと言われているよ。
その後は、水戸徳川家に伝来するの。
数多くの戦国武将の元を渡り歩いた名刀なんだ。

 

次に燭台切光忠の詳しい来歴をまとめてみよう。

刀剣レモン
刀剣レモン
織田信長から豊臣秀吉、そして伊達政宗に、さらにはあの水戸の徳川家に受け継がれた名刀なんですよ!

<織田信長>

信長は長船派の刀工である光忠の華やかな作刀を非常に好んでおり、光忠作の刀を特に愛用していたと言われているの。
燭台切光忠についても信長が所持していたんだよ。
湯浅常山著「常山紀談」には、織田信長は光忠の刀を二十五腰も集めていたという逸話が記載されているんだ。

 

<豊臣秀吉>

織田信長が所持していた燭台切光忠はその後、豊臣秀吉に伝わったよ。

 

<伊達政宗>

慶長元年(1596年)10月、秀吉は晩年、伏見城を築いていたんだ。
秀吉が度々伏見に登っていた頃、伊達政宗は秀吉のために淀川に浮かべる御座船を造り献上したの。
それに対して喜んだ秀吉から、伊達政宗に燭台切光忠を下賜したんだ。

 

ただ秀吉から政宗に渡った説に関しては諸説あるよ。

刀剣評論家である福永酔剣は「日本刀よもやま話」で、伊達政宗が豊臣秀吉に御座船を献上した翌日に、秀吉が持っていた燭台切光忠に魅せられ持ち逃げし、燭台切光忠で唐金の燭台を家臣もろとも真っ二つにしたそう。

後日、徳川頼房にその話をして燭台切光忠を見せたところ、今度は頼房がたいそう惚れこみ、政宗にねだって断られたものの、そのまま強引に持ち帰った、と紹介されているよ。

 

<水戸徳川家>

燭台切光忠は伊達政宗から水戸徳川家に贈られたとされているよ。
それに関しては様々な書で言い伝えられているんだ。
それぞれの記述をまとめてみよう

 

・端亭漫録

「端亭漫録」巻五十三竹甫雑記の小石川御屋敷御道具之内書抜に「一、光忠 長二尺二寸正宗殿より来る」と記されているよ。

 

・武庫刀纂

江戸後期に編纂された水戸徳川家の刀剣帳である「武庫刀纂」では伊達政宗が燭台切光忠を愛しんでいて、頼房がそれに惚れこみ懇望されるものの与えなかったため、徳川頼房が強引に持ち帰ったとされているよ。
また武庫刀纂には焼ける前の燭台切光忠の押形が収録されているんだ。

 

・刀剣録

幕末に出版された青山延光の「刀剣録」では徳川頼房から懇望され進上したとされているんだ。

 

・水戸史談

高瀬真卿は「水戸史談」で水戸の藩医だった庄司健斎から聞いた話として燭台切光忠について述べているよ。
そこには、政宗が秀吉から下賜された光忠作が燭台切光忠であったこと。

それを徳川頼房が欲しがって3代将軍・徳川家光に相談すると「それはいとやすい事、政宗に左様申してやろう」と言われ、政宗は登城後に、早速燭台切光忠を持ってきて頼房に進上したという逸話を記載しているんだ。

 

・刀剣談

東京日日新聞の連載をまとめて出版した「刀剣談」では、燭台切光忠が水戸徳川家に渡った一説を掲載。

3代将軍・徳川家光が徳川頼房に対して「政宗が光忠を差して参ったなら所望せよ、あの光忠は珍しい道具である」と焚きつけ、酒の場で頼房が政宗に「光忠を吾等に嫁入らせ候へ」とふざけて言うと、政宗は「秘蔵の子なれど、上様の媒人ではいやとも言れまじ」と大笑いしてそのまま燭台切光忠を進上した、という話になったよ。

 

燭台切光忠に関する記述は非常に多いんだ。しかし伊達家には、正宗から水戸徳川家に燭台切光忠を進呈したという記録は見つかっていないんだ。
その後も水戸徳川家に長く伝来し、江戸時代には小石川の上屋敷(後の小石川後楽園)にあったとされているよ。

 

<近代>

明治に入り版籍奉還で上屋敷が新政府に返上。
それ以降は本所の小梅邸(現在の隅田公園)に燭台切光忠はあったと思われているよ。
大正10年(1921年)11月28日に水戸徳川家の刀剣の大部分が競売にかけられた際も、燭台切光忠は特に由緒があるものとして他の宝刀とともに残されたんだ。

 

<関東大震災により焼身>

水戸徳川侯爵家に伝わっていた燭台切光忠は、大正12年(1923年)の関東大震災によって焼けてしまうよ。

同家に伝わった160余口の刀剣が焼失したと言われており、関東大震災の被害としては最大級だったんだ。
名物では、手柏、物懼、菊造り、香西長光、池田光忠、新身国光、上下龍正宗、宗喜貞宗、大長光などが焼けてしまったよ。

 

震災の火災鎮火後、不完全燃焼で一酸化炭素が充満していた小梅邸の蔵の扉を開けたことにより、バックドラフトが起きたの。
バックドラフトとは外気(酸素)が中に流れ込んで、蔵内の一酸化炭素との化学反応によって爆発すること。
このバックドラフトが原因で、蔵の中にあった多数の刀や刀装具はすべて蒸し焼き状態になってしまったよ。

茶道具や掛け軸などは刀剣とは別の蔵にあったために焼身の難を逃れたんだ。
焼身になった燭台切光忠は熱によって溶けたはばきが刀身に癒着している状態だったよ。
ただ収蔵場所や茎の目釘穴の位置などが記録されていたため、その後、燭台切光忠だと特定することができたんだ。

 

同年12月28日、徳川侯爵家が全ての刀を失ってしまったため、徳川宗家・徳川家達から水戸家当主・徳川圀順へ鉋切長光が贈られたよ。

 

<罹災後、焼身の燭台切光忠を発見>

昭和8年(1933年)に国華倶楽部が編集した「罹災美術品目録」では、燭台切光忠等の水戸家の刀は「焼失」と記されていて、世間一般的には罹災後90年余りは現存していないとされていたんだ。

しかし刀剣乱舞によって燭台切光忠のキャラクターが登場するとそこから人気が爆発。

茨城県水戸市にある「徳川ミュージアム」には燭台切光忠についての問い合わせが殺到したの。

そこで「罹災美術品目録」の情報を照らし合わせながら倉庫内を捜索したところ、2015年4月30日に焼刀のまま保管されていた燭台切光忠を発見したと徳川ミュージアム公式ブログで公表。
2019年には再び刀剣登録がなされたよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
刀剣乱舞様様でございました

 

【燭台切光忠の作風】

 

長さ2尺2寸3厘(66.75cm)、反り5分(1.5cm)
鎬造、庵棟、身幅・重ねは尋常に、元先の幅差は少なく、反り浅くつき、腰元辺で反りがみられるよ。
鋒は中鋒つまりごころの猪首風に結び、表裏に棒樋を掻き通し、光忠作品にみられる独特の気品溢れる姿となっている。

 

燭台切光忠には光忠を磨り上げて打刀姿に直したものにみられる特有の雰囲気を備えているよ。
刀身の反り具合は腰元から茎にかけてで、全体の緩やかな反りに比べて一際に強くなっているの。
これは、元来の生ぶの太刀姿における、腰反りの上部に相当すると思われているよ。

大磨上なので腰元の踏張りも抜けており、生ぶ孔も残っておらず。
燭台切光忠の生ぶの姿は2尺5寸~2尺6寸(約75~78cm)の腰反りがついたものであったと推察されているんだ。

 

無銘、目釘孔2つ、茎尻は天正磨上げでごく浅い栗尻、鑢目は浅い勝手下がりとなり、掟通りの丁寧な磨上で如何にも古名刀の茎となっている。
茎には震災によって溶解した金はばきが、あたかも黄金の真砂を敷いたようになっていて非常に美しいよ。
現在は焼身だけれど「武庫刀纂」に押形が残っているんだ。

 

また現代の刀匠によって写しを作成するプロジェクトに際して、燭台切光忠を精密に観察したところ、差裏に微かに「光」に文字のみ銘が残っていることが判明したよ。

 

 

【燭台切光忠の豆知識】

 

燭台切光忠のエピソードや豆知識をまとめてみよう。

<燭台切光忠の名前の由来は?>

燭台切光忠という名前は変わっているよね。

なぜこのような名前が付いたんだろう?

慶長元年(1596年)に豊臣秀吉の伏見築城の折、伊達政宗が大坂の淀川に浮かべるの御座船を造り、秀吉に献上したんだ。
その功を賞して、秀吉は自らの備前光忠の刀を政宗に与えたんだ。

翌日、伊達政宗は早速、拝領した光忠の刀を帯びて御前に出ると、秀吉は下賜したのが惜しかったのか小姓たちに、「昨日、政宗に刀を盗まれた。取り返せ」と冗談を言ったの。

小姓たちが刀を取り返そうとすると、政宗は逃げ出したよ。
50mほど逃げたところで、秀吉が「許す。よろしい」と止めたので、そのまま政宗のものになったんだ。

 

この出来事に政宗は怒って、自分を追いかけた小姓を成敗しようとその刀で斬ったよ。

その際に銅の燭台の影に隠れている小姓を燭台ごと切り落としたことから、そう名付けられたと言われているんだ。
燭台は鉄という説もあって、鉄の燭台ごと家臣を切り落としたとも伝えられているよ。

燭台とは、ろうそくを立てるための台で、針状のろうそく立てと蝋を受ける皿、細い脚で構成されているんだ。
燭台ごと切り落としてしまうなんて、相当な斬れ味だよね。

この出来事に関しては伊達成実の「伊達日記」や「伊達治家記録」、真田増誉著「明良洪範」、「刀剣録」など数多く記載されているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
小姓さん、、かわいそうに。。。

 

<燭台切光忠の作者・光忠とは?>

燭台切光忠の作者である光忠は備前国(現在の岡山県南東部)の刀工集団・備前長船派の実質的な祖で、長船派髄一の名匠なんだ。
燭台切光忠の制作年代は不明となっているものの、「古今銘尽」では光秀は宝治・建長年間(1247~1256年)頃の人とされるとなっているよ。

 

備前長船派は鎌倉時代中期、元寇の頃に特に多くの作品を打った刀工集団で、刀剣市場最も大きな流派だったの。
一門には長光をはじめ、真長や景光などの多くの良工を輩出したよ。

 

備前長船派の作品の特徴は「大丁子」の刃文。
長船の近く工房を構えていた刀工集団・福岡一文字派の作品に見られる「丁子」と呼ばれる刃文をさらに工夫した「大丁子」という華やかな刃文が見られるよ。

光忠の作品は、福岡一文字派のふわっとした柔らかい刃文に比べて、はっきりとした光を放っていて、凛とした印象を受けるものが多いんだ。
大磨上無銘の極め物で、豪壮な姿に地肌がよく錬れて美しく、地沸が微塵につき、一見京物を想わせるものがあるよ。

一方で在銘の太刀は、姿が比較的尋常で、刃文の出来も無銘に比べて穏やかな出来のものもあるんだ。
光忠の最初期作と思われるものには、古備前風の古雅な作域を示す太刀がわずかに残されているよ。

 

<刀剣乱舞で人気を集めた燭台切光忠>

燭台切光忠は仙台伊達家から水戸徳川家にわたり、関東大震災で罹災した刀剣だよね。
そのため、罹災後90年ほどは焼失したと思われていたんだ。

 

実は燭台切光忠は、水戸市にある徳川ミュージアムで蒸し焼きされて焦げた状態のまま、ひっそりと長らく保管されていたんだ。

焦げて黒くなっているため照明を反射することもなく、刃紋も見えない状態だったの。
また鞘内で刀身を保護するための金具であるはばきは熱で溶け、溶けた金色のはばきは茎にべったりとくっつき黄土色になっていたよ。

 

特に誰にも注目されていなかった燭台切光忠が人気を集めるようになったきっかけは「刀剣乱舞」なんだ。

刀剣乱舞に燭台切光忠をイメージしたキャラクターが登場したことで人気に火がついたよ。

徳川ミュージアムには「燭台切光忠はあるの?」という問い合わせが殺到したため、職員が「罹災美術品目録」の情報を照合して捜索したところ、倉庫内に焼刀のまま保管されていることが判明したの。

2015年5月17日に倉庫内で眠っていた燭台切光忠を徳川ミュージアムにおいて1日限定で展示したところ大盛況に。
当初は1回約40人で全2回の開催予定が、全国から300件近い応募があったため、急遽5回に増やされたほどなんだ。

 

その後に、燭台切光忠の一般展示も決定。

約90年の時を経て、再発見された燭台切光忠を一目見ようとファンが殺到したと言われているよ。

この際には通常時の5倍ほど来場者が来たんだ。
水戸市の観光大使なのでは?と思うほどの人気で、刀剣乱舞の燭台切光忠はJR東日本とのコラボで駅長姿になったこともあるよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
すごい人気だね!

 

<再現された燭台切光忠>

徳川ミュージアムにはもともと「武庫刀纂(ぶことうさん)」という水戸徳川が家所蔵していた武器などを詳細に描写した資料があったの。

当然そこには焼ける前の燭台切光忠の詳細な絵もあったんだ。
この武庫刀纂を見て、焼身の刀剣が燭台切光忠であると確認したと言われているよ。

 

罹災刀の保護を求める人からの寄付金が300万円を超えたため、武庫刀纂を参考にして罹災した燭台切光忠と水戸家第一の宝刀と呼ばれる児手柏の写しを制作するプロジェクトが2016年2月に立ち上がったの。
美術鑑賞用の刀剣でなかった罹災刀剣だったため批判する刀剣研究家もいたけれど、燭台切光忠は宮入法廣氏、児手柏は月山貞利氏の手で再刀されたよ。
2017年12月に完成し、翌2018年1月より公開展示されたんだ。

 

<焼けた刀の燭台切光忠が「刀剣」として登録された>

焼けてしまった燭台切光忠は、2019年に東京都から「刀剣」として登録されたんだ。

さらに文化遺産データベースにも「刀 銘 無銘 (燭台切光忠)」として登録されたんだよ。

文化遺産とは有形・無形を問わず、歴史的な価値を有する文化的所産のこと。
焼けてしまったけれど燭台切光忠は歴史的な価値があると認められたということだね。

 

<火に焼けた刀「焼身」とは?>

燭台切光忠は関東大震災の火災によって焼けた刀である「焼身(やけみ)」だよ。
焼身とは、火に焼けた刀のことで、地肌が荒れ、鍛え目がはっきり現れるんだ。
点々と色変わりな斑点があるか、飛び焼きが見られ、刃先にも鍛え肌が現れるよ。

 

刃文に関しては726℃以上に熱せられたら焼失するものの、それ以下の場合は沸えが溶けたように刃中に広がり匂いは消えてしまうよ。
鉄は硬度を失っているので曲がりやすくなり、刃先も柔らかくなるため、堅い物は切れなくなるんだ。

 

燭台切光忠は火災の際には武器庫内に保管されており、全体が焼けて黒くなっているものの刀身の表面は思いのほか綺麗だったの。
そのため元々の刀姿を留めていたよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
奇跡の復活劇でしたね!
刀剣レモン
刀剣レモン
燭台切光忠のキャラもまたカッコイイですから人気出たのも、うなずけますね!!

 

刀剣乱舞キャラ紹介

 

 

 

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刀剣男士と共に―いざ出陣!

西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
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(公式サイトより引用)

 

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