前田藤四郎 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2020年12月26日
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秋田藤四郎 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【秋田藤四郎の歴史と概要】

 

秋田藤四郎(あきたとうしろう)は鎌倉時代に作られた日本刀で短刀に分類されるよ。
この秋田藤四郎は日本の重要文化財にも指定されていて、現在は京都府京都市東山区にある京都国立博物館が所蔵しているんだ。

 

 

 

鎌倉時代に活躍した山城国粟田口派の刀工の中でも最も著名な藤四郎吉光によって作られた短刀である秋田藤四郎は、吉光が作った短刀の中でもひときわ小ぶりで繊細な姿をしているのが特徴。
またやや内反の姿形をしていて、振袖風になっている茎が非常に優雅で気品を持ち合わせているの。

京都国立博物館主任研究員・末兼俊彦さんによると、秋田藤四郎は地鉄が肌立ち気味で、刀身の平地の部分に鋼の粒子が銀砂をまいたように細かくキラキラ輝いている「地沸」の輝きが衰えていないと高く評価。
小ぶりな短刀ながらも、想像もつかないほどの存在感を示していると評しているよ。

 

次に秋田藤四郎の来歴についてまとめてみよう。

 

<秋田実季>

秋田藤四郎の号の由来となった秋田実季が所有していたよ。
その後、秋田家へ代々と伝来したの。ちなみに秋田家は陸奥三春藩藩主として幕末まで続いたよ。

 

<豊前小倉藩主・小笠原伯爵家>

秋田実季から豊前小倉藩主・小笠原伯爵家へ伝来したよ。
元禄十年極月三日付の本阿弥光忠代千五百貫の折紙が添えられていたんだ。

 

<近代>

昭和12年(1937年)2月16日には、小笠原忠春伯爵名義で重要美術品に認定。
その後、正確な時期は分かっていないものの、刀剣蒐集家・永藤一の所有となるの。

文化財保護法施行後の昭和34年(1959年)6月27日には永藤一名義で重要文化財へ指定され、指定名称は「短刀銘吉光(名物秋田藤四郎)」となっているよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
鎌倉時代から現代まで現存するすごい刀です!

 

【秋田藤四郎の作風】

 

刃7寸4分(22.42cm)、内反り、元幅6分2厘(1.88cm)、先幅4寸2分(12.7cm)、元重ね1分8厘(0.55cm)、先重ね1分(0.32cm)、茎長さ3寸2分5厘(9.85cm)、茎反り1分弱(0.30cm)。

全長は1尺7分(32.3cm)で、吉光の短刀の中では小振り。
しかし体配には気品があって、地刃に特色をよく示しているよ。
小板目の美しい地肌に直刃の焼出した小互の目がつれていて、ふくらの焼幅のせまい刃文、小丸帽子が返るなどがみられるよ。

形状は平造となっていて、三ツ棟、身幅細く、内反りとなる。鍛えは、
刃文は、直刃でふくらやや細く、表?元に小互の目を焼き、帽子は小丸、先やや掃きかける。
指表(さしおもて)には不動明王の梵字と煩悩を断ち切る利剣が彫られているんだ。

また指裏(さしうら)には2本の細く短めの溝を平行に彫った「護摩箸」を彫る。
この護摩箸とは護摩を焚く際に使う鉄箸のことで、転じて不動明王の象徴となっているよ。
護摩箸を示していることで、不動明王の加護により所有者を護ることを祈ったものとされているんだ。
茎は、生ぶ、先栗尻で鑢目勝手下がり、目釘穴は4つだよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
不動明王の加護!めっちゃ凄そう!!

 

【秋田藤四郎の豆知識】

 

秋田藤四郎のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<秋田藤四郎の名前の由来とは?>

秋田藤四郎という名前は、豊臣秀吉に仕えていた秋田城介である秋田実季(安藤実季ともいう)が所持していたことが由来となっているよ。

秋田城介とは古代から中世の日本において、出羽国の秋田城を専管した国司で、古代出羽国秋田城の司令官に由来する職制のこと。
はじめは官職ではなく国司の1人の任務に過ぎなかったんだけど、平安時代中期には出羽城介という令外官となって兼任し、平安時代後期以後は空職化したものの、武門の名誉とされたんだ。
さらに鎌倉時代には秋田城介と呼ばれるようになったよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
秋田県が先祖の一族です

<秋田実季とはどんな人物だった?>

秋田藤四郎の所有者である秋田実季は、天正18年(1590年)より関白である豊臣秀吉に臣従していたんだ。
秋田実季は豊臣秀吉から秋田5万石を安堵され、19万石にのぼったよ。
奥州仕置後に雄物川河口の土崎湊に堀をともなう湊城を築いて、本拠をここに移し、秋田城介を号して「秋田氏」を名乗るようになったんだ。

 

慶長5年(1600年)に起こった関ケ原の戦いでは、徳川軍について戦っていたよ。
戦後には穴戸藩の初代藩主となるものの、失政を理由に改易を受けてしまうんだ。
最上義光による讒言(事実を曲げた訴え)によって領土を減らされた秋田実季は、約30年にわたって現在の三重県である伊勢朝熊に蟄居(自宅の一室に謹慎させる)させられたんだよ。
30年もの間、謹慎させられるとは本当につらいよね。

 

ちなみに秋田氏の先祖は、古代齶田の浦(秋田県秋田市土崎)を根城にした蝦夷の族長恩荷といわれているよ。
平安時代後期に、源頼義に滅ぼされた阿部貞任はこの家系であったと言われているの。
秋田実季の時に「秋田」と名乗るようになったんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
30年間の謹慎って尋常じゃないです〜

<刀剣蒐集家・永藤一とは?>

秋田藤四郎の所有者となった刀剣蒐集家・永藤一は、数多くの刀剣をコレクションしていたんだ。

永藤一の刀剣コレクションは、永藤一が存命中から京都国立博物館へ寄託されていて、永藤一が亡くなった後2017年に、遺族の意向で他の名刀コレクションとともに京都国立博物館へ寄贈されることになったんだよ。

 

永藤一は昭和の刀剣界を代表する名コレクターとして関西では非常に名の知れた存在だったんだ。
医学博士として製薬会社で活躍し、業界で「永の名前を知らないのはモグリ」とまで言われた敏腕であると同時に、稀代の愛刀家でもあったの。

永藤一がコレクションしていた名刀と言えば、藤四郎吉光作の本作「秋田藤四郎」の他に、「太刀 銘貞綱」「短刀 無銘 伝天国 号瀬登剣 附黒漆龍文蒔絵三鈷柄剣」、「短刀 銘国吉 附朱漆変り塗短刀拵」、「短刀 銘国行 附黒漆塗短刀拵」などがあったよ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
すごいコレクターです!

 

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刀剣乱舞とは

刀剣男士と共に―いざ出陣!

西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、
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(公式サイトより引用)

 

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