膝丸 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年3月30日へし切長谷部 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年4月5日目次
【大倶利伽羅の歴史と概要】
大倶利伽羅(おおくりからひろみつ)は南北朝時代に作られた日本刀(太刀・打刀)で、日本の重要美術品にも認定されているんだ。
現在は個人が所蔵している大倶利伽羅は、鎌倉時代~南北朝時代にかけて活躍した刀工・広光作の太刀。
広光作の刀であることから「大倶利伽羅広光」と呼ばれることもあり、享保名物帳にも所載されているよ。
ただ古い「名物帳」には載っていないことから、後から追記されたとされているの。
大倶利伽羅は、独眼竜でも知られている伊達政宗が所有していた刀としても有名なんだ。
元々、大倶利伽羅は三尺(約90㎝)あまりの太刀であったとされているんだけど、太刀の茎を銘がなくなるほど切り縮めて刀身全体を短く仕立て直す「大磨上げ」が行われたことによって、現在の長さは二尺二寸三分(約67.6㎝)まで短くなっているの。
この大磨上げが行われた時期については、戦国時代後期ではないか?と言われているよ。
倶利伽羅の彫物は、磨上げと摩擦によって見えなくなっているものの、龍の胴体の下には三鈷柄剣の三鈷部分があったはずと推測されているの。
次に大倶利伽羅の来歴をまとめてみよう。
<伊達政宗>
大倶利伽羅は伊達政宗が徳川将軍家より拝領したもので、それ以前の来歴についは分かっていないの。
仙台藩が徳川家から江戸城の石垣修復の命を下され、伊達政宗は石垣の修復を行い、元和6年(1620年)に完成。
その時の褒章として与えられたのがこの大倶利伽羅だったんだ。
当時、伊達政宗は仙台藩在国であったため、伊達政宗の嫡子である二代藩主・美作守忠宗が元和6年(1620年)11月21日に江戸城にて徳川秀忠から拝領したよ。
江戸時代後期の仙台藩の儒者・若林靖亭によると伊達政宗は常にこの大倶利伽羅を軍陣に帯びていたと言われていてたいそう業物であったと言われているんだ。
この大倶利伽羅は伊達政宗が拝領した時点で、50枚の小札がついていたんだ。
さらに安永7年(1778年)12月には100枚の小札に格上げされ、それ以後は幕末にかけて仙台藩の江戸屋敷に大切に保管されたんだ。
<近代>
明治維新後も、大倶利伽羅は伊達家に伝来し続け、明治17年(1884年)8月には仙台から東京に移されたの。
そのため関東大震災で罹災するものの、損傷を受けることはなかったよ。
昭和34年(1934年)12月20日に伊達興宗伯爵名義で、重要美術品に認定され、戦後に入ってから伊達家の所有を離れたんだ。
昭和36年(1964年)には、東京在住の愛刀家が所持していたとされているよ。
現在も個人所有となっていて、大阪府茨木市にある日本刀剣博物技術研究財団が保存に関与しているんだ。
【大倶利伽羅の作風】
<刀身>
刀身2尺2寸3分(67.6㎝)、反り4分5厘(1.7㎝)、元幅1寸1分(3.3㎝)、先幅9分(2.7㎝)、元重ね2分(0.6㎝)、先重ね1分8厘、鋒長さ2寸3分(0.54㎝)、茎長さ5寸7分(17.3㎝)
貞享4年(1687年)3月29日に、研磨のために本阿弥家に出されており、その際に刃長を測定したところ2尺2寸2分5厘(約67.4センチメートル強)と記録されているよ。
その後に「享保名物帳」に記録された際にも同様の長さで記録されているものの、伊達家側の記録では2尺2寸3分(約67.6センチメートル)と記録されているんだ。
鍛えは大板目、鎬造、三つ棟、重ね厚し、大切先。
「無垢鍛え」と呼ばれてる構造で、二重構造ではなく皮鉄も芯鉄もないシンプルな構造になっているよ。
刀身全体に炭素含有量の多い焼き入れをすると硬くなる鉄と、炭素含有量の少ない焼き入れをしてもあまり硬くならない鉄をあわせて折り返し鍛えられているんだ。
刃文は、直刀調の小乱れであり盛んに刃縁がほつれる。
焼き入れは強めで、他の日本刀の刃より硬い部分が多いことも分かっているよ。
佩き表に倶利伽羅竜が彫られているが、裏には腰樋と添え樋があるだけである。
彫の中にわずかに有る錆を分析したところ、刀身と同じくらいの年代に彫られたと推測されているよ。
茎の彫の底部分の錆は、表面や茎じりの部分の錆よりもかなり古かったことから、磨き上げた時期は150年ほど古いと推測されているんだ。
<外装>
元々は拵えが付いており、延宝9年(1681年)3月7日付け折り紙で、後藤光乗作の目貫は代金6枚、後藤宗乗作の小柄は代金3枚と評価された刀装具が付属していたの。
附帯する拵は、鞘は黒色塗り、小柄は倶利伽羅図、笄と目貫は桐鳳凰図となる。
鐔は赤銅地に金覆輪をしたもので、柄は黒塗り鮫を着せ、白革を巻き、縁は赤銅魚子地となる。
下げ緒は紅色であった。
黒色塗鞘打刀拵が製作されたのは、少なくとも将軍家から拝領した元和6年(1620年)以降の江戸時代のものと推測されているよ。
【大倶利伽羅の豆知識】
大倶利伽羅のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<大倶利伽羅の名前の由来とは?>
大倶利伽羅という名前の由来は、刀身に倶利伽羅剣に絡みつく龍「倶利伽羅龍」が彫られていることから名付けられたよ。
倶利伽羅龍は龍神とも言われており、不動明王が転じた化身の姿で、不動明王が使う神通力を龍の姿で表しているんだ。
この倶利伽羅龍は、すべての煩悩、怒りを鎮めて、消滅させる力があると言われていて、悪を屈服させるという意味もあるの。
<大倶利伽羅を作った刀工・広光とは?>
大倶利伽羅の作者である広光は、貞宗に次いで南北朝時代の相州に出現した刀工で、秋広とともに皆焼の刃文を得意として焼き、斬新で華麗な作風の刀を展開したよ。
皆焼ごころの出来に関しては、師匠である貞宗にもまれに見られていたものの、無作為のものであったため、広光や秋広の代になって本格的に皆焼刃の完成を見るようになったんだ。
広光の作刀には有銘の太刀は唯一一振りのみ。
多くの刀は時代の特色をよく示した大柄の短刀や脇差だったんだ。
広光の年紀作は観応が最も古く、文和・延文・康安・貞治とあるよ。
一方、秋広は延文が最も古く、貞治があり、以後広光には見られない応安・永和・康暦時代の作刀もあることから、秋広は広光よりも後輩であったと言われているんだ。
広光の作る日本刀の刃文は丁子が目立って、「団子丁子」と呼ばれる頭の丸い独特の丁子刃がみられるよ。
まれに新藤五国光や藤三郎行光に通じる直刃の作例もあり、「光」の字を通字とする相州鍛冶の正系である証もあるんだ。
広光作の在銘の太刀に関しては、大倶利伽羅と同じく重要美術品に認定されており、越前福井松平家に伝来し、今村押形に所載するよ。
<大倶利伽羅に彫られた倶利伽羅龍とは?>
大倶利伽羅の名前の由来ともなった倶利伽羅龍は、倶利伽羅不動とも呼ばれており、不動明王の力の示現しているんだ。
あらゆる災厄を切り裂く利剣に、倶利伽羅龍王が巻き付いたその姿は、不動明王の化身と崇められてきたの。
倶利伽羅龍は不動明王の激しさ、荒々しさ、力強さそのものなんだよ。
この倶利伽羅龍は、平安時代中期に流行した密教の影響を色濃く受けており、密教の尊格は煩悩を絶ち、悪を退けると伝わる「不動明王」
この不動明王が持っている武器は、倶利伽羅剣と呼ばれていて、炎と龍が巻き付いている剣なの。
昭和初期に、当時の密教最高権威によって編纂された「密教大辞典」には、「はじめは不動明王を念ずる功力によりて、この龍を駆使し又はその保護を受くとの信仰より、遂にこの龍を明王の化身とし或いは三昧耶形とするに至れり」と解説されているんだ。
また「密教大辞典」には倶利伽羅大龍勝外道伏陀羅尼経を引用して、「口より氣を出す、二萬億の雷の一時に鳴るが如し、魔王外道之を聞いて邪執を捨てたりと云ふ」と、龍王の凄まじい威力を記しているよ。
倶利伽羅龍が彫られている日本刀には「厄除け」の意味が込められているんだ。
<愛刀家として知られている伊達政宗>
大倶利伽羅の所有者であった伊達政宗は愛刀家として知られていたんだ。
政宗は軍人でいつも大倶利伽羅を帯刀していたと言われているんだけど、その他にも数々の刀剣を所持していたよ。
政宗が所持していた有名な愛刀には、
・黒ん坊切景秀(くろんぼぎりかげひで)
・振分け髪正宗(ふりわけがみまさむね)
・太鼓鐘貞宗(たいこかねさだむね)
・?国行(はばきくにゆき)
・亘理来国光(わたりらいくにみつ)
・鎬藤四朗吉光(しのぎとうしろう)
・燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)
・別所貞宗(べっしょさだむね)
・牛王吉光(ごおうよしみつ)
などがあるよ。
伊達政宗は刀好きが高じて、国包という刀鍛冶を育成したんだ。
この国包は、その後伊達政宗のお抱えの刀鍛冶となり、政宗からの命で京の越中守正俊のもとで学んだと言われているの。
その当時は、相州伝の刀が流行していたんだけど、国包は流行とは違う古典的作風だったため、そのオリジナル性が伊達政宗に好まれたのかもしれないね。
この国包の一門は14代続き、明治に至るまで伊達家のお抱え工として活躍したんだ。
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