北谷菜切 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年5月10日水心子正秀 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年5月17日
目次
【桑名江の歴史と概要】
桑名江(桑名号)は南北朝時代に作られたとされる打刀で「桑名郷」とも呼ばれているよ。
日本の重要文化財に指定されていて、現在は京都国立博物館が所蔵しているんだ。
桑名江は徳川家康の攻臣で徳川四天王の1人としても知られている本多忠勝の長男・本多忠政が所持していた日本刀だよ。
作者は南北朝時代に活躍した正宗十哲の1人である刀工・郷義弘なんだ。
また桑名江は享保名物帳、詳註刀剣名物帳にも所載してあるよ。
享保名物帳には「桑名より出る。区より七寸程上にこぼれ有。中心表に本多美濃守所持、裏に義弘本阿判象眼入光徳也。」と記されているよんだ。
次に桑名江の来歴をまとめてみよう。
<本多忠政>
伊勢桑名15万石を領していた伊勢桑名藩2代藩主・本多忠政は、鷹狩りの際に農家で神棚に祀っていた刀と出会うよ。
その刀をたいそう気に入った本多忠政は農家から譲り受けて、本阿弥光徳に鑑定を依頼し、埋忠寿斎に象嵌を入れさせているの。
また拵えの金具も寿斎によるものだよ。
史実によると忠政が忠勝から家督を継いだ1607年から姫路藩に転封となった1617年までに入手したとみられているよ。
寛文5年(1665年)2月3日には本阿弥光温による金300枚の折紙が付く。
<岡崎藩本多家>
その後、三河岡崎藩本多家に伝来するよ。
<近代>
昭和9年(1934年)7月31日に重要美術品に指定される。
この時、本多忠昭子伯爵の所持。
昭和15年(1940年)遊就館名刀展覧会出品時も本多忠昭子爵の所持。
昭和36年(1961年)「正宗とその一門」では宮崎富次郎氏の所持。
宮崎富次郎氏は神奈川県の愛刀家だよ。
現在は京都国立博物館所蔵。
【桑名江の作風】
刀身は二尺二寸九分(69.3cm)、反り八分(2.4cm)
造込みは鎬造、庵棟、中鋒。
地鉄は小板目肌で詰んで柾が交じり、僅かに流れごころ交り、底に杢目肌が見え、上半には淡く湯走りがかかり、地沸厚く、地がね明るく冴える。
刃文は広直刃調で、太目の丁子足が入り、小湾れに互の目が交じる。
匂深く小沸よくつき、足より入り処々に金筋、稲妻がかかる名品だよ。
帽子は、表裏焼き深く、一枚風となっていて、丸く返り浅い。
茎は大磨上げ、茎先は剣形、鑢目は勝手下り、目釘孔は一つ。
指裏に「義弘 本阿(花押)」、指表に「本多美濃守所持」の金象嵌銘(本阿弥光徳による鑑定銘)があるよ。
【桑名江の豆知識】
桑名江のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<桑名江の名前の由来とは?>
桑名江という名前は徳川家康の家臣であった本多忠勝の子である本多忠政が、「桑名」の土地の名から取って名付けたと言われているよ。
鷹狩りに出かけた本多忠政が農家で休憩していた時に、その家の霊刀として神棚に祀られていた日本刀に目をつけたんだ。
忠政はその刀をたいそう気に入って、その農家に頼み込んでどうにか譲り受けたんだ。
桑名江の指表に伊勢国桑名藩の藩主である本多美濃守の所持品である旨が金象嵌で記してあるの。
また指裏には本阿弥光徳がこの太刀を短く磨り上げたことが記されているよ。
<本多忠政の目利きは確かだった!>
本多忠政は桑名の農家の神棚に祀られていた日本刀に目をかけ譲り受けたんだけど、その刀こそが郷義弘の作であったんだ。
本多忠政は日本刀鑑定家・本阿弥光徳に刀の鑑定を依頼し、郷義弘の作であることが判明したの。
郷義弘と言えば、相州正宗、粟田口吉光と並び「天下三作」と呼ばれるほどの刀工で、在銘作がないことから郷義弘の作は非常に希少であったんだ。
郷義弘作と鑑定された桑名江を、金工家・埋忠寿斎に磨り上げさせたのち、表に「義弘 本阿(花押)」、裏に「本多美濃守所持」と金象嵌銘を入れ、さらに拵を揃えたよ。
寛文5年(1665年)には、本阿弥光温が金300枚の折紙を付けているんだ。
金工家・埋忠寿斎は山城国の刀工で埋忠一門の1人。
古い太刀を打刀に仕立て直す専門家で金象嵌銘なども施していたんだ。
ちなみに金象嵌銘とは、無銘の刀に金象嵌(彫刻したものに金を埋め込む技法)で刀工銘を入れることだよ。
<本多忠勝を父に持つ本多忠政とは?>
桑名江を所有していた本多忠政は、徳川家康の家臣で徳川四天王でもあった重臣・本多忠勝の長男だよ。
本多忠政は伊勢桑名藩第2代藩主で、のちに播磨姫路藩の初代藩主となるんだ。
小田原征伐で初陣した忠政は、武蔵岩槻城攻めで功を立てたよ。
慶長3年(1598年)3月には、従五位下に叙せられて美濃守となったの。
関ヶ原の戦いでは徳川秀忠軍に属して中山道を進み、第2次上田合戦にも参戦。
慶長14年(1609年)6月に父・本多忠勝が隠居したため、家督を相続して桑名藩第2代藩主となる。
大坂冬の陣では、慶長19年(1614年)10月11日に徳川軍の先鋒を命じられ、大坂城包囲においては北側の天神橋方面に陣取ったんだ。
また大坂夏の陣では京都御所の警備を勤め、その後に徳川家康の軍勢と南下して、5月7日に豊臣方の薄田兼相や毛利勝永らと交戦。
薄田軍との合戦には勝利したものの、毛利軍との戦いには大敗。
ちなみにこの合戦で、本多忠政は292の敵首をとったと言われているんだ。
戦後それらの功績を賞されて、元和3年(1617年)7月14日に姫路城主となり15万石を領す初代播磨姫路藩となるんだ。
<桑名江の作者・郷義弘とは?>
桑名江は鎌倉時代末期から南北朝時代に活躍した刀工・郷義弘により作られた日本刀だよ。
郷義弘は越中国新川郡松倉郷(現在の富山県え魚津市)に住んでいたことから、「郷」もしくは読み替えて同音の「江」と称されているんだ。
相州正宗の流れをくむ正宗十哲の1人としても知られており、享保名物帳においては相州正宗、粟田口吉光、郷義弘の作刀は「名物三作」と呼ばれるほど評価が高い刀工なの。
郷義弘による作刀は、正宗の子と言われている貞宗と同様に、在銘刀は皆無とされていて、鑑定一族である本阿弥家が郷義弘の刀と極めたもの、もしくは伝承によって郷義弘の刀と言われているもの以外には、義弘の刀はないと言われるほど。
滅多に義弘の刀にお目にかかれないことから「郷とお化けは見たことがない」と言われているんだ。
郷義弘の生年は不詳で、松倉城城主であった桃井氏の家臣でありながら鍛刀を好み、21歳の時に相州国鎌倉(現在の神奈川県鎌倉市)に上って相州正宗の弟子となったよ。
郷義弘の作風はやや細身で直刃調のおとなしい鎌倉様式のものと、刃文が盛んに乱れた豪壮な南北朝様式のものと2種類が存在するの。
地鉄が詰んで明るく冴えて美しいと賞賛を浴び、正宗十哲に選ばれるほど腕を挙げていったんだ。
そうして義弘は越中に戻り、作刀を続けたよ。
しかし27歳という若さで早世してしまったんだ。
在銘の作刀が一振りもない郷義弘だけど、優秀な相州正宗の高弟であったために、その名前は天下に知れ渡り、目の利く戦国武将たちはこぞって郷義弘の刀を愛し、所望したそう。
その証拠に郷義弘の作刀である上杉江は上杉謙信、国宝である稲葉江は稲葉重通、国宝・富田郷は富田一白が所持するなど、強者の武将たちが愛用していたんだ。
後世に刀剣鑑定家である本阿弥家によって郷義弘と極められた刀剣はわずか12振りだけだったの。
郷義弘の刀剣は非常に希少な存在であり、カリスマ性のある刀剣と言えるね。
<桑名江に付けられた折紙とは?>
折紙の本来の意味は、奉書紙や檀紙などの高級紙を2つ折りにしたものだったの。
その意味合いが次第に変化して、今では折紙は刀剣鑑定書という意味になっていったんだ。
折紙は刀剣に対する価値を証明し、公文書や贈答目録に使用する証明書でもあったの。
折紙と呼ばれるのは、1枚の紙の片面に文字を記して、それを2つ折りにするという様式からそう呼ばれるようになったんだ。
折紙で一番肝心なのが記入された代付(価格)だよ。
この代付は実際の売買価格ではなく、刀の価値を表す指標となったの。
折紙が発行されるようになったのは本阿弥光徳が刀剣極所に任じられて以降なんだけど、それ以前にも極札と呼ばれる鑑定書があったと言われているよ。
この極札は折紙と違い、一定の様式などはなく鑑定人ごとに書式などもずいぶん違っていたと言われているよ。
折紙が付けられた当初は、紙質や大きさなどはそれぞれ違っていたそう。
その後、折紙に使用される神は奉書紙と呼ばれる高級紙になっていくんだ。
本阿弥光室や本阿弥光温の時代の折紙はそれほど厚みはないものの、本阿弥光常の代になると(元禄元年頃~)は厚手で高級な紙が使われるようになったそう。
本阿弥家が幕府に願い出て、加賀産の奉書紙を年300枚ずつ賜ることになったため、紙の型もほぼ一定になったんだ。
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