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歌仙兼定 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【歌仙兼定の歴史と概要】

 

歌仙兼定(かせんかねさだ)は室町時代に作られた日本刀だよ。
現在は東京都文京区にある永青文庫が所蔵しているんだ。

歌仙兼定と言えば細川家の御家名物として有名で、室町時代に活躍した刀工・関兼定によって作られたんだ。

次に歌仙兼定の来歴をまとめてみよう。

 

<細川忠興>

肥後八代に引退していた細川三斎(忠興)は、息子で当主であった細川忠利の取り巻きの家臣たちの補佐ぶりが悪いことから、この刀で首をはねたよ。
この時に殺害した家臣が36名だったために、忠興は三十六歌仙にちなんで「歌仙兼定」と呼んだと言われているの。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
36人も処刑したのが理由なんてなー!

 

<細川忠興から細川立孝へ>

寛永21年(1644年)2月29日、細川忠興から側室・円通院幾知の子である細川立孝へ伝わったよ。
この時、歌仙兼定と毛織之御羽織が、細川立孝へと譲られたと言われているんだ。

 

<細川光尚から細川綱利へ>

その翌年、正保2年(1645年)5月11日に、細川立孝が死去。
歌仙兼定は遺物として、肥後熊本藩2代藩主・細川光尚へ贈られたよ。

さらに光尚から嫡子である細川綱利の道具となったんだ。
細川家の道具目録「御家名物之大概」では、忠興から4男の立孝、4代光尚、5代綱利へと細川家に代々継承されたことが記されているよ。

 

<細川綱利から柏原要人>

肥後熊本藩3代藩主・細川綱利から、家老・柏原要人が拝領したよ。
以後、明治30年頃(1897年)まで柏原家に伝来したんだ。

 

<細川護立>

柏原家を出た後、歌仙兼定はいくつかの所有者を転々とした後、昭和初期に肥後16代当主にあたる細川護立侯爵によって買い戻されたんだ。
昭和4年(1929年)3月には、日本名宝展覧会に出展。

現在は、細川護立が設立した永青文庫に所蔵されているよ。
この永青文庫は、細川家収集の美術品や歴史資料を保存、研究を行っているんだ。

 

 

【歌仙兼定の作風】

 

<刀身>

刃長二尺弱(60.5cm)、反りは四分六厘(1.4cm)、元幅九分四厘(2.86cm)、先幅六分四厘(1.95cm) 鋒長一寸一分(3.3cm) 茎長四寸六分五厘(13.3cm)

姿は鎬造り、庵棟、中鋒となり、やや先細って、先反りのついた、小振りの体配を呈しているよ。
地鉄は板目に杢目、やや流れごころの肌交じり、淡く白気映り立つ。
刃文は表裏に大きく湾れの腰刃を焼き、上は中直刃となり、匂口締る。

帽子は表裏とも直ぐに小丸、やや深く返る。
茎は生ぶ、先は栗尻、目釘孔は一つで、鷹羽の鑢かかり。
指表側の茎には「濃州関住兼定作」とやや太めの鏨で長銘を切っているの。

地刃の出来がよく、健全である。
また、兼定作の刀は機能性や実用性を重視していたため、本来であれば美術的な魅力が乏しいんだ。

 

<外装>

総長88.05cm、総反り3.0cm、柄長19.6cm、鞘長68.6cm、鞘反り1.8cm、頭縦3.35cm、縁縦3.95cm、鞘口縦4.1cm強、鐺縦3.65cm
17世紀の作品とされている歌仙兼定に附する腰刻黒漆研出鮫打刀拵(こしきざみくろうるしとぎだしさめのうちがたな)は、その刀号から「歌仙拵」と称されているよ。

細川忠興が自ら考案した歌仙拵は、肥後拵の基本となるものなんだ。
柄頭は四分の一の部分に山道の彫りがあり、縁は青革着せ、目貫は金の鉈豆、柄は黒塗り鮫をきせ、ふすべ革で巻いてあるよ。

鐔は正阿弥作の鉄鐔に影蝶透し、鞘は鮫皮を黒漆塗して研ぎだすと、鮫皮の凹部に黒漆が残って凸部が白く浮き上がり、星を散らした模様のようになっているの。
また拵の中央近くまで印籠が刻まれていて、栗形と返りは黒塗りの角、下緒は金茶色の平組みをつける。

 

 

【歌仙兼定の豆知識】

 

歌仙兼定のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<歌仙兼定の名前の由来とは?>

歌仙兼定は、肥後熊本藩の初代藩主であった細川忠興(三斎)が二代藩主・細川忠利の家臣の補佐が悪かったため、家臣36人をこの刀で斬ったことから三十六歌仙にちなんで「歌仙兼定」と名付けられたと言われているよ。

その当時、忠興は肥後八代城に隠居しており、当主である忠利を取り巻く近臣たちの補佐ぶりの悪いことに腹を立てて、次々に家臣たちを八代城に呼び寄せ、その刀で首をはねたそう。
その数は36人にのぼったことから「三十六歌仙」にちなんで「歌仙」という刀号をつけたんだ。

 

ただ、細川忠興が忠利の家臣を多数斬ったという話は公式文書には記載されていないんだ。
「細川忠興公御年譜」に、このお手討ちに関する記述がないのは、あまりに残酷すぎる話であったからとも言われているの。

しかし、細川家ではこの逸話を否定しているんだよ。
実際のところは、本当にあったのか、つくり話なのかは分かっていないの。

また「御家名物之大概」や「柏原家拝領兼定御刀略図」にも「歌仙」の文字はなくて、この由来がどこから生まれたものかは不明なんだ。

 

細川忠興は歌人や文化人としての名を知られており、忠興がつけそうな名前だから、このように言い伝えられたのでは?と言われているよ。

また細川忠興は、実際に極めて気が短かったそうで、その性格からみてもこの逸話があり得るのでは・・と人々の間で浸透していったんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
確かに歌仙って文字はどこから来たの??って感じですわな。

 

<歌仙兼定の号の由来となった「三十六歌仙」とは?>

 

歌仙兼定の号の由来となった三十六歌仙は、藤原公任の「三十六人撰」に記載されている平安時代の和歌の名人36人の総称のこと。

細川藤孝・忠興親子は、当時の武将としては相当な文化人であり、忠興の父である細川幽斎(藤孝)は「古今和歌集」の秘事口伝の伝承者でもあったんだ。

関ヶ原の戦いの前哨戦として、細川藤孝が丹後田辺城に籠城した際には、古今和歌集の伝承者である細川藤孝が亡くなると、古今の伝授が絶えてしまうことを恐れ、後陽成天皇が和睦を勧める勅使を藤孝に送ったという逸話は有名だよ。

 

また細川忠興の妻・ガラシャ(明智光秀の娘)は本能寺の変の後、西軍の人質となるのを拒絶し、大坂の屋敷で「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」という辞世の句を詠んで自害したんだ。
この歌は「花は散る季節を知っているからこそ、花として美しい。私もそうありたい」という意味だよ。

 

歌仙兼定の名前を付けた細川忠興は、父も妻も文化人で、日頃から歌をたしなんでいたことがよく分かるよね。
歌仙兼定という名前は細川忠興にぴったりと言えるよね。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
三十六歌仙(平安時代の和歌の名人36人)の歌仙だったんだね♪
刀剣レモン
刀剣レモン
細川忠興、千利休に最も気に入られていた弟子で、利休七哲の一人だけありますな〜♪

 

<歌仙兼定を所持していた細川忠興とは?>

細川忠興は、細川藤孝の子で、戦国時代から江戸時代前期にかけて活躍した武将だよ。
丹後国宮津城主を経て、豊前国小倉藩の初代藩主、肥後細川家初代となったんだ。

忠興の正室は明智光秀の娘・玉子(ガラシャ)で、クリスチャンでもあるの。
細川忠興は、足利義昭、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康と時代の有力者に次々と仕え、現在まで続く肥後細川家の礎を築いたんだ。

 

また忠興は、父・細川藤孝(幽斎)と同じく、教養人で、和歌、能楽、絵画にもよく通じた文化人だったの。

「細川三斎」という名で活躍しており、千利休に師事し、利休に最も気に入られていた弟子なんだ。

利休七哲の1人にも数えられているよ。
ちなみに利休が切腹を命じられた時に、忠興は見舞いを許されたと言われているほどなんだ。
忠興は茶道の流派・山斎流の開祖でもあるよ。

 

忠興は家臣をすぐに手打ちにする短気で冷酷な面があったと言われているの。

妻・ガラシャに見とれた家臣にたいしては、手打ちにしたという逸話も残っているほど…。
茶道四祖伝書に「天下一気の短い人物」と書かれるほど、武将としての冷徹さと気性の激しさを持ち合わせていたんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
ガラシャ様キレイだー!!
刀剣レモン
刀剣レモン
これだけで打首なりよ。笑
刀剣レモン
刀剣レモン
家臣や人をすぐに手打ちにしちゃうって、恐ろしー!!

 

<武具への造詣が深い細川忠興は肥後拵を考案した?>

教養人、文化人として知られている細川忠興は、武具への造詣も深かったそう。
数多くの合戦に従軍した忠興は、自身が使用する武具にも深い関心を示したんだ。

日本刀の外装である「拵」の一種で、茶道のわびさびのエッセンスを加えた「肥後拵」を独自で考案したのは細川忠興なんだよ。

肥後拵は忠興が修めていた片山伯耆流居合術の刀法に適するように工夫されていて、刀身と柄を短めに仕立てて、片手で抜き打ちできるようになっているの。
また鞘、金具の装飾部分では、茶道のわびさび感覚が反映されているのが特徴的だよ。

 

肥後拵のうち、現存しているのは「歌仙拵」なの。
この歌仙拵は、歌仙兼定に附する腰刻黒漆研出鮫打刀拵のことなんだ。

歌仙拵は後に肥後熊本藩の国拵となる「肥後拵」の手本となったんだよ。
忠興は、拵の他にも甲冑「越中具足」など他の武具の形式も確立しているんだ。

 

<歌仙兼定をつくった刀工・関兼定とは?>

歌仙兼定は室町時代の刀工・関兼定によって作られたよ。

応仁の乱が勃発以降、武士同士の一騎打ちから、足軽による集団戦闘へと変化したんだ。

この背景によって、武芸に通じていない者でも手軽に扱え、必要十分な性能があり、安価で大量生産に向いている片手打と呼ばれる日本刀が生まれたの。

片手打は、15世紀後半〜16世紀初頭に、刀の二大生産地であった備前国邑久郡長船(現在の岡山県瀬戸内市)と美濃国関(現在の岐阜県関市)で流行し、短めの刀身に先反りが付いていて片手で振るいやすい打刀がたくさん作られたんだ。

 

関兼定は美濃国関を代表する刀工であり、受領した官位から「和泉守兼定」とも呼ばれているんだ。
関兼定が作った歌仙兼定も、2尺ほどの刀身に短めの茎、匂口のしまった中直刃という簡素な造りこみの片手打の刀だよ。
京都国立博物館主任研究員・末兼俊彦は、関兼定のことを「消耗品に近い扱いを受ける片手打の中で最も高名な作品である」と評しているんだ。

 

<刀剣乱舞によって人気に火がついた歌仙兼定>

歌仙兼定は2015年に公開されたPCブラウザ・スマホアプリゲームの「刀剣乱舞」の登場によって注目されるようになったんだ。
刀剣乱舞において、歌仙兼定をモデルにした刀剣男子が登場したことで、一躍注目を浴びるようになるの。

この人気を受けて、2016年には永青文庫の2夏季展示「歌仙兼定登場」という展覧会が行われたんだ。

歌仙兼定は文化財指定などを受けていない日本刀なんだけど、文化財指定を受けていない刀の名を冠する展覧会は極めて異例のことなんだよ。
この展示会では刀剣乱舞とのコラボレーション企画が行われ、たくさんのファンでにぎわったんだ。

 

刀剣レモン
刀剣レモン
刀剣乱舞のカッコいいキャラ様様でございます〜♪
刀剣レモン
刀剣レモン
歌仙兼定を取り上げてくれて、ありがとうございます♪
刀剣レモン
刀剣レモン
何にしても36人を一気に手打ち(打首)はなかなかのお話でございましたわ〜

 

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(公式サイトより引用)

 

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