打刀と脇差って何が違うの?ちょっとした違いを知っておくと展示会でも役立つよ!
2021年3月4日浦島虎徹 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年3月4日目次
【蜂須賀虎徹の歴史と概要】
蜂須賀虎徹(はちすかこてつ)は阿波国徳島藩(現在の徳島県)の藩主であった蜂須賀家に代々伝来していた日本刀なんだ。
江戸時代に活躍した刀工・虎徹が作った打刀である蜂須賀虎徹は、虎徹作の真刀と呼ばれるほどの出来栄えだよ。
銘入りの虎徹の作品はそのほぼすべてが贋作と言われているんだけど、蜂須賀虎徹は正真正銘本物の作品。
その風格と美しさは見る人を魅了し、申し分のない出来栄えだよ。
次に蜂須賀虎徹の来歴をまとめてみよう。
<阿波徳島藩主・蜂須賀家>
寛文4年(1664年)頃に打たれたもので、阿波徳島藩3代藩主・蜂須賀光隆が所有。
蜂須賀虎徹は昭和時代まで蜂須賀家に伝来したよ。
<長尾よね>
蜂須賀侯爵家で昭和8年(1933年)10月に売立を行っているんだけど、そこには蜂須賀虎徹は出品されなかったことからこの時にはまだ蜂須賀家にあったとされているよ。
ちなみに昭和8年(1933年)10月に行われた蜂須賀家の蔵品入札は、東京美術倶楽部で行われたよ。
入札道具には国宝が、書画2点、刀剣2振、刀剣は計11振出品されたんだ。
そのなかに蜂須賀虎徹は無かったよ。
国宝の2振は、唐隋吉家と号のある備前吉家の太刀と、備前正恒の太刀だったそう。
他に備前守友、備前友成、備前長光、豊後行平、備前一文字、一文字吉平、大和包永、備前景光、越中則重と全て古刀の太刀であったんだ。
その後、蜂須賀家伝来品の名物「蜂須賀正恒」が昭和10年(1935年)に長尾よねの手に渡っており、おそらく同じ時期に蜂須賀虎徹も手放したものと考えられているんだ。
現在は個人所蔵になっているよ。
【蜂須賀虎徹の作風】
刃長二尺二寸八分(69.1cm)、反り三分(0.9㎝)、元幅三分(0.9㎝)、先幅一寸四厘(3.15㎝)、鋒長一寸一分二厘(3.4㎝)、茎長六寸六分(19.9cm)、茎反わずか。
形状は、鎬造で、庵棟、反り浅く、中鋒となる。
鍛えは、小板目肌よくつみ、処々流れて、地沸よくつく。
刃文は、直刃調の互の目乱れ、小のたれ交じり、沸ついて砂流しかかる。
茎は生ぶ中心、作りは栗尻、鑢目勝手下がり、目釘孔は一個。
帽子は、直ぐに小丸に返り、先掃きかける。
彫物は、表裏に棒樋丸止め。
指表の目釘孔の下に、「いおき入道ハコトラ九字」銘があり、裏に金象嵌で截断銘「長曾祢興里入道虎徹 寛文五年乙霜月十一日 弐ツ胴截断 山野加右衛門永久 」が入っているよ。
作られて間もない頃であるとみられる寛文5年(1665年)の試し切りにおいて、二つ胴を斬って落としたことが示してあるんだ。
【蜂須賀虎徹の豆知識】
蜂須賀虎徹のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<蜂須賀虎徹の名前の由来とは?>
蜂須賀虎徹の名前の由来は、阿波徳島藩の藩主であった蜂須賀家に伝来した日本刀であることから、この名がつけられたよ。
蜂須賀虎徹は恐らく寛文4年(1664年)頃に打たれたもので、その頃、阿波徳島藩は3代藩主・蜂須賀光隆の晩年頃であったんだ。
蜂須賀光隆は旗本奴水野十郎左衛門成之を預かったり、非常に盛大な鷹狩を行ったり、万治3年(1660年)には刀工・海部氏吉を招いたりするなど、武人として数々の事績を行ったよ。
蜂須賀光隆の母・齢昭院は小笠原忠脩の娘で、正室には小笠原長次の娘・金姫を迎えているんだ。
3代・蜂須賀光隆か、あるいは光隆の長男で4代藩主・蜂須賀綱通の代に蜂須賀虎徹を購入したものではないか?と考えられているよ。
購入当時、蜂須賀虎徹は現代刀にあたり、二つ胴という評価を元に購入したのではないかと思われているんだ。
蜂須賀虎徹は截断銘まで入っているため、藩主の所持刀であった可能性は限りなく低いと推測されているよ。
<蜂須賀虎徹が代々伝わった蜂須賀家とは?>
蜂須賀家は、高名な蜂須賀小六(正勝)が豊臣秀吉の股肱の臣であり、秀吉の出世とともに立身し、天正13年(1585年)の四国征伐の後に阿波国を与えられたんだ。
しかし小六は天正14年(1586年)には病に伏せるようになり、阿波国は小六の嫡男・蜂須賀家政が初代国主として入国しているよ。
播磨国龍野城主であった蜂須賀家政が阿波国徳島十七万五千石に封ぜられたの。
その後、小六は天正14年(1586年)5月に大坂にて61歳で病死したんだ。
蜂須賀家政は徳島城を築城するんだけど、この完成記念に城下に踊りの触れを出したことが現在も徳島県で続く「阿波踊り」の発祥になったんだよ。
豊臣秀吉が亡くなった後、蜂須賀家政は武断派として福島正則や加藤清正、浅野幸長らと行動をともにするようになり、蜂須賀家政の嫡子・至鎮の正室には、徳川家康の養女・万姫を迎えているんだ。
万姫の母・登久姫は徳川家康の孫で、小倉藩初代藩主・小笠原忠真らの同母姉にあたる人物なんだよ。
万姫と至鎮の子である阿波徳島藩の2代藩主である蜂須賀忠英の正室にも、小笠原忠脩の娘を迎えており、さらに齢昭院の子である3代藩主・蜂須賀光隆にも小笠原長次の娘金姫を迎えているんだ。
このことからも、蜂須賀家がいかに小笠原家と縁戚関係が濃いのかがよく分かるね。
慶長5年(1600年)に起きた関ヶ原の戦いでは、豊臣恩顧大名として苦慮し、いったん阿波の領土を豊臣秀頼に返上。
蜂須賀家政は家臣を大坂城に派遣しながら、自らは剃髪の上で「蓬庵」と号して高野山に出家したんだ。。
一方で家政の嫡子・至鎮は東軍として参加し、戦後あらためて阿波国を安堵されるとともに、父・家政より家督を相続したよ。
元和元年(1615年)大坂の役においては、蜂須賀至鎮が2代将軍・徳川秀忠より7つもの感状を受ける優れた功績を上げたんだ。
これによって蜂須賀家は、淡路一国8万1千石を加えて、25万7千石を領する大封を得たよ。
さらに阿波徳島の藍商人をはじめとする運上銀などによって実入りが多く、実石高は40万石を超えたとされているんだ。
蜂須賀侯爵家は、明治の叙爵後も紀州徳川家や水戸徳川家と並ぶ屈指の富豪華族として知られていたの。
ちなみに、蜂須賀虎徹については昭和の時代まで、蜂須賀家に代々伝来していたんだよ。
<昭和名物に指定されている蜂須賀虎徹>
徳島阿波藩主・蜂須賀家に伝来した蜂須賀虎徹は、昭和名物に指定されているんだ。
名物というのは、古剣書の名物や、古くは広く有名な刀、名の聞こえた刀のことを言うよ。
現在、名物といえば江戸時代の「享保名物帳」に所載される刀剣を指すのが一般的だよね。
「享保名物帳」とは本阿弥家が、享保年間に幕府幕府に提出した名物の解説書のこと。
8代将軍である徳川吉宗の命令を受けて、享保4年(1719)11月に本阿弥三郎兵衛が、本阿弥家の名物扣や留帳などから整理して江戸幕府へ提出したんだ。
ちなみにその控えは銘刀伝家日記と題されているよ。
その他にも名物と言えば、大名家などで独自に「名物」と呼んでいるものもあるんだ。
これは「御家名物」と言われるもので、上杉家・伊達家・前田家などに多く見られるよ。
では蜂須賀虎徹が指定された「昭和名物」とはどのようなものなんだろう?
「昭和名物帳」とは江戸時代の「享保名物帳」を倣ったもので、昭和41年(1966年)より刀苑社で審査が開始されたんだ。
「昭和名物帳」の審査員には主として刀苑社の村上孝介先生をはじめ、福永酔剣氏、辻本直男氏、銀座刀剣柴田の柴田光男氏の4人が中心として審査が行われたよ。
「昭和名物帳」では、選定の基準を各刀工の作品の中でも、傑作と思われるものを指定することになったんだ。
そのため、たとえ一流刀工ではない刀工の作品であっても、出来が優れていれば「昭和名物」に指定されることから好評を博したよ。
「昭和名物」の命名については、刀剣にまつわる由緒や所有者の事歴などが勘案されたんだ。
<蜂須賀虎徹を作った虎徹とは?>
蜂須賀虎徹を作った虎徹(こてつ)は、江戸時代に活躍した刀工だよ。
ちなみに、蜂須賀虎徹を作刀したのは、初代・虎徹の長曽祢興里。
初代・虎徹は江戸時代前期に活動し、数珠刃の作風の代表とされているんだ。
また虎徹は、野田繁慶、越前康継とあわせて「江府三作」と呼ばれていて、江戸新刀第一の名工とされているの。
虎徹とは、刀工・長曽祢興里の入道名で、作刀した刀剣の銘でもあるんだ。
世上名高い虎徹は、刀工銘としては「興里」「長曽祢興里」と表記することが最も望ましく、刀剣書では興里と表記されることが多いよ。
初代・虎徹は、元々一族で甲冑師であったため、刀剣の他に籠手、兜、鍔などの遺作もたくさんあるんだ。
50歳を超えてから、刀工に転じた虎徹の作品は老いるほどに輝きを増しており、まさに異色の刀工なんだ。
金沢では甲冑の名工として知られていたんだけど、甲冑の需要が減ったために50歳を過ぎてから江戸に移り住み、刀鍛冶に商売替えしたの。
わずか15年ほどの間に、200振り以上の日本刀を鍛えたと言われているよ。
虎徹の刀は、兜や古釘など古い鉄を溶かして刀を作り、その古鉄処理に関する自身から「古鉄入道」と名乗っていたんだ。
しかしその後、中国の故事により「虎徹」と名を改めたと言われているよ。
虎徹の作刀は、国の重要文化財に指定された刀をはじめ、文化財指定されているものがとても多いんだ。
またその当時から非常に人気が高く、江戸後期には世間一般的に言う大名道具、大名差しといわれる代物になっていたそう。
土佐山内氏、尾張徳川家、奥平氏伝来の品、江戸幕府の大老・井伊直弼の差料であった脇差などはすべて虎徹作のものなの。
この所有者を見ても分かるように、大名などの上流階級が所蔵する日本刀であったんだよ。
<偽物が多い虎徹の刀>
その当時から虎徹の日本刀は人気があり、偽作が多く出回っていたそう。
その人気ゆえ、刀剣業界では「虎徹を見たら偽物と思え」という鉄則があるほどなの。
虎徹は贋作が非常に多いことで有名で、虎徹と銘のある品のほぼ100%が偽物とさえ言われているんだ。
興里の銘は偽銘が切りやすかったのか巧妙な偽名が多いんだよ。
寛政11年(1799年)の若水東水の「新刀問答」においても、刀屋に置いてある虎徹はだいたい偽物とまで書かれているんだ。
偽作が多い虎徹の日本刀の中でも、蜂須賀虎徹は本物なんだよ。
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