御手杵 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年4月18日毛利藤四郎 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年4月22日
目次
【巴形薙刀の歴史と概要】
巴形薙刀(ともえがたなぎなた)とは、薙刀の形状の1つで、切先の方が強く反り身幅が広く反りが深い薙刀のことを呼びます。
この巴形薙刀は平安時代末期に活躍した女武将としての伝説が有名な巴御前にちなんで名づけられたと言われているよ。
ただ名前の由来は、巴御前からと言われているものの、巴御前が実際に使っていた形がそうであったからという訳ではなく、江戸時代になってから命名されたんだ。
平安時代、巴御前が巴形の薙刀を所持しており、江戸期に入ってから婦人用に広く作られるようになったよ。
またこの巴形薙刀は、インターネットブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」にも刀剣男子として登場しているんだ。
現在、京都上京区の興聖寺には、巴御前所持として「吉次」と在銘してある薙刀や、木曽義仲が所用していた「波平家次」在銘の太刀が伝来しているよ。
刀身の幅が狭く反りの少ないものは静御前にちなんで男性用の薙刀を「静形」、刀身の幅が広く反りが大きい物は女性用の薙刀「巴形」と呼ばれているんだ。
【巴形薙刀の作風】
巴型の特徴は、刀身の幅が広く、反りが大きく切先が強く反る形になっているんだ。
薙刀の鍛法としては、刃鉄・皮鉄・心鉄の三種を組み合わせた「三枚鍛え」
焼きを入れる時は、物打ちは物に強く当たる所であるから、焼きを強く入れることが肝要と言われているんだ。
江戸時代になると、形のうえに男薙刀と女薙刀がそれぞれ誕生。
男薙刀は長く、先もさほど幅広にならず、反りも深くないのが特徴で、主に実戦用として使われていたんだ。
一方、女薙刀は、刃長が短く、先幅は広く、かつ反りも深い非実践的な形になっていたの。
女性は非力なのでその体格に応じて、刃長を短くして、扱いやすくしたものだったと言われているよ。
ただそれだけでは重みが不足するため、先幅を広くして、切れをよくすために、反りを深くしたんだ。
江戸時代には、武家の婦女の武術として「薙刀術」が盛んに行われるようになり、この巴形薙刀は嫁入り道具の一つにもなっていたそう。
また男薙刀は「静形」、女薙刀は「巴形」という名称で呼ばれるようになったのもこの頃なんだ。
静形薙刀は源義経の妾であった静御前、巴形は木曾義仲の妾・巴御前が所持していたと言われているの。
ただ、巴御前が薙刀をふるって奮戦したという史実は実はどこにも記されていないんだ。
江戸時代の文楽や歌舞伎で戦う女性の代表格として巴御前が描かれることが多かったため、そのことが関係していると言われているよ。
また薙刀術には巴流という流派もあり、広島藩などで行われていたそう。
【巴形薙刀の豆知識】
巴形薙刀のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<薙刀とは?>
薙刀は敵を薙ぎ切りにするための長柄の武器のこと。
長い柄の先に反りのある刀身を装着した日本の伝統的な武具であり、平安時代に登場したとされているよ。
先の身幅を広くして、なおかつ反りを強くし、長い柄をつけているの。
古くは「那岐刀」と書き、長刀・薙太刀・投刀・長打ち物とも書くんだ。
薙刀の中心は、槍と同じように柄の中に長く差し込み、目釘を打つようになっているんだ。
ただまれに袋薙刀といって、中心が筒状になり、その中に柄をさし込むようになった薙刀もあるよ。
中心がなく、刀身の元のほうに、鉈のように環を設けて、その中に柄をさし込むようにしたものは「筑紫薙刀」「鉈薙刀」と呼ぶんだ。
他にも、十文字槍や片鎌槍のように、薙刀に鎌をつけた「十文字薙刀」「片鎌薙刀」や薙刀の先端を鯰尾形にした「鯰尾薙刀」など色々な種類が存在するよ。
古い時代の薙刀はどれも長寸で、軍記物によると、
・坂四郎永覚 三尺(約90.9cm)
・大内義弘 三尺一寸(約93.9cm)
・大塔宮・阿闍梨祐慶・筒井明春 三尺五寸(約106.2cm)
・畑六郎左衛門 三尺六寸(約109.1cm)
・塩屋伊勢守 四尺(約121.2cm)
・滑良兵庫頭 五尺二寸(約157.6cm)
・和田源秀 六尺(約181.8cm)余
など大型のものが多かったんだ。
当時、薙刀を「大薙刀」と「小薙刀」の2つに分類していたものの、その区別はあいまいだったそう。
<薙刀最古の形式とは?>
薙刀の最古の形式は「長刀」という字をあてているように、菖蒲造りの刀に長い柄をつけただけのものだったの。
軍記物には「茅の葉の如なる大長刀」、「大長刀の茅の如なる」と表記されているよ。
しかし、その形式では先が軽過ぎて、切れが悪かったため、鎌倉時代には先の身幅を広くし、かつ反りも深くするようになったの。
鎌倉時代に描かれた絵巻物を見ると、そのように形式になっているよ。
さらに重みをつけるために、中国の偃月刀や筆刀のように、棟のほうに山形の突起をつけたものもあったんだ。
薙刀の中でも「無爪薙刀」というのは、この突起のない薙刀のことなの。
薙刀では、先のほうの反った棟の部分を湾形、その反対側の刃のほうを、坂刃というよ。
<薙刀は平清盛が普及させた?>
薙刀は古くは長い柄を持つことから「長刀」と呼ばれていたんだ。
その後、長い刀を意味する「長刀」が生まれたことで、それと区別するために敵を薙ぎ切り(横に大きく払って切る)する武器として「薙刀」になったと言われているの。
この薙刀は奈良時代から平安時代にかけては、京都や奈良の大寺院で仏法守護のために戦闘に従事した僧兵の武器として広く使われていたの。
一説によれば、平清盛が薙刀の利を強調して、平家一門がこぞって皆用いるようになったことで、天下に普及したとも言われているんだ。
その後、鎌倉時代〜室町時代に入ると、薙刀は騎乗の戦士を薙ぎ払うなどの威力を発揮し、主武器になるよ。
しかし、応仁の乱のあたりから戦いの主流が大勢の歩兵による密集戦に変わったため、機能的な面から戦場での主役の座は槍に変わってしまうんだ。
その後、江戸時代には、幕府が武士個人での薙刀の所持を禁止。
このことで薙刀の存続の危機が危ぶまれるものの、その対象が「大薙刀」と呼ばれる長大な物に限定されたため、武芸となることで薙刀は存続したんだ。。
<薙刀の柄は槍の柄とは違う?!>
薙刀の柄は槍の柄とは違い、楕円形をしており樫の木で作られているんだ。
白木のままのものは白柄と呼び、「平家物語」など軍記物には、「白柄の長刀」が登場しており、普通は漆塗りだったと言われているよ。
上流の持ちものでは、漆塗りに金や銀の蛭巻きなどを施してあったそう。
平清盛が厳島明神から授かったと言われる小長刀や源頼朝が義朝から相伝した小長刀に関しては、どちらも柄が銀の蛭巻きになっていたんだ。
また、豊臣秀吉が朝鮮出陣のために用意させた薙刀は金熨斗付けの柄だったよ。
薙刀には鐔がないのが普通なんだけど、古い絵巻物には、鐔のある薙刀の図もあるんだ。
柄の下端に金具、石突きをはめるところは、槍と同じだよ。
<巴形薙刀を所持していたとされる巴御前とは?>
巴御前は最も有名な女武将として広く知られているよ。
源平合戦の際に、木曽義仲軍の一大将として活躍し、その勇敢さは日本各地に伝説が残っているほど、現在でも広く語り継がれているんだ。
源平合戦とは平安時代末期におきた、源氏と平氏を主勢力とした内乱のこと。
この源平合戦で、誰よりもその名を轟かせたのが、源氏の血を引いていた信濃国(現在の長野県)の武将・木曽義仲だったんだ。
木曽義仲の妾であったのが巴御前なんだよ。
巴御前は義仲の妾でありながら、戦場では「木曽義仲軍一隊の大将として活躍した女武将」なの。
巴御前は木曽義仲より3つほど下で、兄弟たちとともに木曽義仲の従者として活躍することを夢見て、小さい頃から馬に乗り、弓や刀なども操る活発な女性だったんだ。
義仲と巴御前は共に過ごす中、自然とお互いを大切に思うようになっていったのが馴れ初めと言われているよ。
ただ、木曽義仲と巴御前は夫婦という間柄にはなく、義仲は他の豪族と婚姻関係を結び、勢力を拡大。
巴御前は愛妾という立場で、同志として道を歩んでいったよ。
<巴御前の勇猛ぶりが分かるエピソードとは?>
巴御前には勇猛であったというエピソードが全国各地に残っているんだ。
「平家物語」には「一人当千の兵(つわもの)なり」と記されているの。
巴御前の塚は全国に15箇所も存在しており、巴御前にまつわる伝承は各地に根付いているよ。
巴御前は肌の色が白く、髪は長く、非常に美しい女性であったと言われているの。
そんな美しい巴御前が、戦場に行くと強弓を引く剛の者になり、日本刀を持てば相手が誰であっても相手にする女武者へと変貌したそう。
平家10万人の大軍を破って、源平の勢力を逆転させた「倶利伽羅峠の戦い」では一隊の大将として活躍したんだ。
また、源頼朝が派遣した鎌倉軍勢6万の大軍によって、木曽義仲が死んでしまう「粟津の戦い」でも巴御前の姿はあったよ。
最後に軍騎がわずか5騎になった時に、巴御前は彩り美しい鎧を着て屈強の荒馬に乗っていたと言われているんだ。
巴御前の逸話に関しては実は能の演目にもなっているんだよ。
室町時代に成立したとされる古典芸能「能」の演目「巴」では、木曽に住む僧が都へ上る途中に、琵琶湖畔の近江国粟津ケ原に立ち寄ると、神前で参拝しながら涙する女性と出会うんだ。
その僧は不審に思って女性に理由を尋ねると、「粟津ヶ原の祭神はこの地で戦死した木曽義仲を祀っている」と言い供養を頼んだそう。
その女性は名乗ることもなく姿を消してしまうんだ。
僧が弔う中、夜になり、今度はその女性が凛々しい女武者姿で現われたんだ。
その女性は自らを巴御前の霊だと名乗り、木曽義仲の最期の様子や、共に自害することを許されなかった心残りなどを語るという内容だよ。
<尼となって生涯を全うした巴御前>
鎌倉軍との戦いで死を覚悟した木曽義仲の願いを受けた巴御前は戦場を泣く泣く離脱して逃げたんだ。
義仲の命で、東国へ逃げた巴御前は信濃に落ち延びた後、捕らえられて鎌倉へ行き、和田義盛の妻になるよ。
その後、豪勇を誇った朝日奈三郎義秀という子を産み、和田一族が滅ぼされた後は倶利伽羅峠でともに戦った石黒氏を頼り越中へ移住。
出家をして余生を送り91歳で人生を終えたそう。
ただこれに関してはフィクションであるという説もあるため、詳細は分かっていないよ。
刀剣乱舞キャラ紹介
刀剣乱舞とは
刀剣男士と共に―いざ出陣!
西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、
最強の付喪神“刀剣男士(とうけんだんし)”と共に過去へ飛ぶ――。▼刀剣乱舞-ONLINE-とは?
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