「るろうに剣心」の登場人物はは新撰組がモデルになっているキャラクターがたくさんいる?
2021年3月29日髭切 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年3月30日目次
【長曽祢虎徹の歴史と概要】
長曽祢虎徹(ながそねこてつ)は、新撰組局長として知られている近藤勇が所持していたとされる日本刀だよ。
新撰組の創作作品において長曽祢虎徹はよく登場する刀であり「今宵の虎徹は血に飢えている」というセリフでも有名なんだ。
この長曽祢虎徹は近藤勇の佩刀として一般的に知られているんだよ。
長曽祢虎徹は江戸で長曽祢鍛治集団に加わっていた名工・長曽祢虎徹による作品。
本名は長曾興里と言い、江戸時代中期に江戸で作刀していた刀匠なんだ。
長曽祢虎徹が作られた江戸時代は、戦国時代とは違いすっかり戦とは無縁になっていたの。
しかし刀工・長曽祢虎徹は切れ味抜群の刀作りを20年も行っていたんだ。
近藤勇が所持していた長曽祢虎徹は、見る者に緊張感を与えるほどの存在感を放っていたの。
江戸時代の刀でありながら、古刀のように鉄が柔らかいという特徴があったんだ。
また江戸時代の流行りも反映していて、反りが浅く、刀身本体を構成している地鉄は、鍛えが強く冴えわたっているの。
長曽祢虎徹は、木の年輪のような筋が丸みを帯びているように見える杢目肌が特徴的だったんだ。
鉄が明るく冴えた刀が多いため、鑑賞用としても素晴らしいと言われているんだけど、長曽祢虎徹は実用向きの刀作だったの。
【長曽祢虎徹の作風】
近藤勇が佩刀していた長曽祢虎徹に関しては現存していないため、詳しいことは分かっていないんだ。
刃長は34.1㎝、銘は「長曽弥興里 萬治三年十二月日 同作彫之」と切っているよ。
長曽祢虎徹は長らく甲冑師だったことから、鉄鍛えが非常によく、地刃ともに冴えを見せているよ。
また彫物は、甲冑師の経験から特に優れており、彫りのある刀は非常に人気が高かったそう。
長曽祢虎徹は、用の美も兼ね備えていて、最上大業物としても名高く、数多くの著名人に好まれたんだ。
当時、無反りの刀が流行していたため、反りの浅いものが多く、地鉄の杢目肌が詰まって強いことが特徴だよ。
この詰まりが切れ味の良さにつながっているんだ。
刃文は互の目乱れや湾れ刃を好んで焼くが、いずれも足が入り、鋭さを感じさせる。
鋩子は小丸、上品に返り、中心の鑢目は初め筋違い、のち勝手下がりとなる。
【長曽祢虎徹の豆知識】
長曽祢虎徹のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<刀工・長曽祢虎徹とは?>
長曽祢虎徹は江戸時代中期、江戸で作刀した刀匠で、本名は、長曽弥興里と言い、慶長10年(1605年)生まれ。
もともとは越前国(現在の福井県)の甲冑師で、50歳前後になってから江戸に出てきて刀鍛冶に転じたよ。
長曽祢虎徹は老いるほどに輝きを増した異色の刀工であったの。
わずか15年ほどの間に200振り以上の日本刀を鍛えたと言われているよ。
ちなみに長曽祢虎徹の師については、確たる説はないものの、和泉守兼重とする説が有力視されているんだ。
当初は、刀工銘を「長曽弥興里」と名乗っていたものの、仏門に入ってからは「こてつ」と読める銘字を切るようになったんだ。
一番古い作品では「古徹」と切っていて、その次は「虎徹」、さらに寛文4年(1664年)8月頃からは通称はことらと呼ばれる「乕徹」と銘が変遷しているの。
このように長曽祢虎徹の刀工銘が何度も変化したのは、偽物が多く作られたことへの対応策であったと考えられているよ。
長曽祢虎徹が在命中から虎徹作の刀は切れ味がよく人気が高かったことから、偽物が多く作られていたんだ。
長曽祢虎徹の刀は国の重要文化財に指定されたものも多く、近藤勇の他に、土佐山内氏、尾張徳川家、奥平氏伝来の品、江戸幕府の大老・井伊直弼の差料であった脇差も長曽祢虎徹作であったんだ。
大名などの上流階級が所蔵する品であったんだよ。
<切れ味が最上だった長曽祢虎徹>
江戸時代には、山田一門が担った日本刀の試し切りを行う専門役職があって、刀の切れ味の序列を決めていたんだよ。
刀の切れ味は、4段階に分けられていて、近藤勇の佩刀である長曽祢虎徹は「最上大業物」という最も素晴らしい切れ味の刀剣として認められていたの。
さすが新撰組の局長が所持してたと言われる日本刀だよね。
<池田屋事件でも長曽祢虎徹は無傷であった?>
新撰組の名を一躍世に知らしめた事件と言えば、京都で起こった池田屋事件だよね。
池田屋事件は幕府側の治安部隊であった新撰組が、京都にある旅館・池田屋に集まっていた尊王攘夷派の志士たちを襲撃した事件のこと。
当時、池田屋には江戸幕府の転覆を企てる20数名の志士たちが集まっており、新撰組はたった4人で攻め込んだんだ。
屋内での激しい戦闘の最中、沖田総司は結核により吐血、藤堂平助も傷を負って戦線離脱。
土方歳三ら援軍が駆け付けるまでの間、永倉新八と近藤勇が、尊王攘夷派の志士たちを相手に2人で死闘を繰り広げたんだ。
その戦いによって永倉新八は左手の親指を負傷したと言われているんだけど、実戦で実力を発揮する近藤勇はなんと無傷であったと言われているの。
そして、近藤勇が佩刀していた長曽祢虎徹もまた、刃こぼれをすることもなく無傷であったんだ。
池田屋事件の後、近藤勇は郷里の義理父に手紙を出しているんだけどその中で「下拙刀は虎徹故に哉、無事に御座候」と記しているの。
これは他の新撰組隊員の刀はボロボロになっていたにも関わらず、自分の持っていた刀は長曽祢虎徹であったため、命が助かった…という意味になるよ。
いかに長曽祢虎徹が、切れ味がものすごくよい刀であったかが分かるよね。
<実戦でめっぽう強かった近藤勇>
近藤勇は「俺は武士よりも武士らしい武士になる」という名言を残しているよね。
近藤は竹刀剣術ではそれほどの凄腕ではなかったものの、真剣による実戦ではめっぽう強かったとされているんだ。
池田屋事件でも先陣メンバーとして活躍しているし、実戦で強いというのは剣士として最強だよね。
<近藤勇は無類の愛刀家>
近藤勇は優れた剣士として知られているけれど、刀剣に関しての興味も人一倍強く愛刀家としても有名なの。
少年時代に新撰組と交流していた八木為三郎は近藤勇について「私どもに逢っても、何かしら言葉をかけて、ニコニコして見せる、無駄口は利かず立派な人でした。
刀の話が好きだったと見え、私の父(八木源之丞)と話している時は、たいてい刀か槍の話でした」と言っているんだ。
また、近藤勇が国許に送った書簡の追伸には近藤勇の刀剣観が記されているよ。
その書簡には、戦闘用には上等の刀を選びたいという刀の志向が示されているの。
さらに刀の持ち手部分である柄の材質にも近藤勇はこだわっていたんだ。
刀剣好きであった近藤勇は、自身の佩刀が虎徹であるという認識していたことが分かる史料はいくつか残っているの。
例えば、新撰組を結成して数ヶ月後(1863年10月21日)に近藤が記した日記によると、虎徹の大小(打刀と脇差しのセット)を所持していることが記されているんだ。
<近藤勇の長曽祢虎徹は本物?偽物?どっち?>
実は近藤勇の佩刀していた刀は、長曽祢虎徹の真作ではなく贋作(偽物)であったという説が通説なんだ。
というものの、虎徹の作刀は非常に人気が高く、刀剣業界では「虎徹を見たら偽物と思え」という鉄則があるほどなんだ。
虎徹は贋作が多いことで有名であり、虎徹と銘のある在銘品のほぼ100%が偽物であるとさえ言われているの。
長曽祢虎徹の銘は偽銘が切りやすかったのかとても功名な偽銘が多いんだ。
ここでは近藤勇が所持していた長曽祢虎徹が本物なのか、偽物なのか?について諸説まとめてみよう。
・源清麿の偽銘刀説
近藤勇の所持する刀は、江戸時代後期に活躍した刀工・源清麿の刀を虎徹と偽名を切って売りつけられたものという説があるの。
明治時代に活躍した武道家・中山博道は義父・根岸信五郎から聞いた話を交えて座談会で、近藤勇の刀は源清麿の偽銘刀であるというエピソードを話しているよ。
・豪商・鴻池家の贈呈品説
近藤勇が所持していた刀は、新撰組上洛後に豪商として知られる鴻池家から、盗賊を退治した御礼として贈呈されたという説があるんだ。
明治時代に活躍したジャーナリスト・鹿島桜巷は近藤勇の伝記である「剣侠実伝近藤勇」を連載。
この中で、鴻池家から刀を拝領した逸話を挙げているんだ。
近藤は副長であった山南敬助と京都市内を巡察している時に、不審な人物が5名ある家に入っていくのを見かけたの。
そこで近藤と山南は盗賊に立ち向かい何名かを討ち、残りの者も退けたんだ。
この事件で山南は刀を折り、軽傷を負ったんだよ。
実は、この盗賊が入った家の主は、大坂鴻池家の別邸であり、鴻池家は近藤や山南に感謝して折れた刀の代わりとして、鴻池家が所持していた名刀の中から1つ選ぶように述べたそう。
そこで鴻池家から長曽祢虎徹を受け取ったと言われているよ。
ちなみに刀が折れたのは山南であったけれど、鴻池家から名刀を受け取ったのは近藤勇であったんだ。
山南には近藤が所持していた刀を分け与えたとされているよ。
・斎藤一が購入してきた無銘刀説
近藤勇が所持していた長曽祢虎徹は、新撰組三番隊組長であった斎藤一が買ってきた無銘刀であったという説があるんだ。
ジャーナリスト・鹿島桜巷が近藤勇の伝記をまとめた「剣侠実伝近藤勇」の第30回で、その逸話が挙げられているよ。
斎藤一が京都の小道具屋から三両で買い求めたとされており、この刀の切れ味がよさそうだったので局長・近藤勇に譲ったものとされているんだ。
その刀には、据え付きで銅の丸鐔に龍の彫りが施されていて、、刀身は無銘であったとされているよ。
近藤勇はさっそく、斎藤から譲り受けたその刀を実戦で用いてみると、優れた耐久性で気に入ったそう。
無銘であったものの、この刀は虎徹の作刀ではないかと断定して長曽祢虎徹を愛用したとされているの。
この説に関しては、愛刀家で知られる近藤勇が無銘の刀を虎徹のものであると周囲に言うのかどうか?という点が疑問となっているんだ。
ただ、近藤の長曽祢虎徹が無銘の刀と言われていた証言も残っているんだよ。(新撰組後援者である佐藤彦五郎の孫の証言あり)
・将軍家より拝領された説
新撰組関係からの証言や資料は残っていないものの、近藤勇の刀は将軍家より拝領した刀であるという説があるよ。
この長曽祢虎徹は明治以降も伝来したとされているんだ。
この長曽祢虎徹に関しては、枢密顧問官などを歴任後、伯爵となった金子堅太郎氏が所持していたとされているよ。
金子氏は長曽祢虎徹の拝観を求める客に対しては、その刀は近藤勇が将軍家より拝領したものであると語っていたそう。
ただこの説に関しては、近藤勇が将軍家より長曽祢虎徹を拝領したという記述は遺されていないんだ。
もしも将軍家から拝領した刀であれば、とても名誉なことなので新撰組の文章記録に記録されるものであると考えられるの。
しかしそのような記録がないため、この説は間違いではないか?とも言われているよ。
刀剣乱舞キャラ紹介
刀剣乱舞とは
刀剣男士と共に―いざ出陣!
西暦2205年。歴史改変を目論む敵によって過去への攻撃が始まった。
歴史を守る使命を与えられた“審神者(さにわ)”は、
最強の付喪神“刀剣男士(とうけんだんし)”と共に過去へ飛ぶ――。▼刀剣乱舞-ONLINE-とは?
名だたる刀剣が戦士へと姿を変えた“刀剣男士”。
あなたは彼らを率いる“審神者”となり、歴史を守る戦いに出ます。
短刀、脇差、打刀、太刀、大太刀、薙刀、槍、剣の
計8種の個性豊かな刀剣男士を集めて育て、あなただけの部隊結成!
様々な合戦場を攻略していく、刀剣育成シミュレーションゲームです。(公式サイトより引用)
刀剣乱舞 関連サイト
当記事は著作権法第32条に基づき画像を引用しております。
著作権は権利者様側へ帰属しておりますので画像の転載・流用はご遠慮下さい。
また、権利者様側からの画像等の削除の依頼や警告は速やかに対処いたします。