宗三左文字 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年2月24日加州清光 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年2月25日目次
【小夜左文字の歴史と概要】
小夜左文字(さよさもんじ)は仇討ちに用いられた名短刀で享保名物帳所載の名物だよ。
また、国の重要文化財にも指定されているよ。
南北朝時代の筑前国の刀工・左文字作の日本刀で、現在は大阪府の法人が所有しているんだ。
次に小夜左文字の来歴をまとめてみよう。
<山内一豊>
掛川藩主・山内一豊が遠江国の研師から譲り受けるよ。
<細川藤孝(幽斎)>
細川藤孝は、山内一豊に懇願して小夜左文字を譲渡してもらうよ。
本阿弥光甫の覚書によると、藤孝が愛蔵した「小夜左文字」は藤孝の存命中に子である細川忠興が受け継ぎ小倉藩に伝わったよ。
その後、細川家に伝来するんだ。
<細川忠利>
寛永4年(1627年)細川忠利の代に、小倉藩大飢饉が起こるんだ。
忠利は領民の飢餓を救うために、名物刀であった「小夜左文字」と、大名物の茶器「有明の茶入(安国寺肩衝茶入)」を売却してしまうの。
<黒田家>
売却された小夜左文字は、福岡藩の黒田家へ伝来するよ。
<浅野家>
黒田家から広島藩の浅野家へ伝来するよ。
<土井家>
寛文頃には下総古河藩土井家にあったとされていて、寛文5年(1665年)6月土井家から本阿弥家に鑑定に出されたんだ。
その時、1,500貫の折り紙が付けられているよ。
折紙の内容は「小夜左文字 正真 長サ八寸壱分有之 代千五百貫 寛文五年六月三日 本阿(花押)(光温)」だったそう。
<京都の商人>
享保名物帳に編纂された時(1716年頃)には、京都の商人が所持していたそう。
享保名物帳では500貫の評価を得ているよ。
<近代>
・濱田氏から田村一郎氏
昭和になってから、大阪の濱田氏を経て、神戸の田村一郎氏が所持したよ。
田村一郎氏は久原財閥・久原房之助の兄で、日本水産の前身にあたる田村汽船漁業部を興した人物なんだ。
・中宮峯二氏から柴田果刀匠へ
大阪府の中宮峯二氏の所持を経て、戦前戦中を代表する秋田の愛刀家・刀工であった柴田果刀匠が所持したよ。
昭和11年(1936年)9月12日には重要美術品指定されるんだ。
柴田果は小夜左文字を愛するあまりに自らの茶室を「小夜左庵」の庵号をつけるほどだったの。
・柴田政太郎氏
昭和27年(1952年)7月19日に、重要文化財に指定。
この時は柴田政太郎氏が所持していたよ。
・柴田恒次氏
その後、柴田恒次氏が所蔵。
・渡邊礼二氏
昭和55年(1980年)時点では、奈良県の渡辺礼二氏が所蔵しているよ。
・ブレストシーブ
平成29年(2017年)には、「日本刀剣等文化財の保存技術等開発」を事業内容の1つにあげているブレストシーブが所有しているよ。
【小夜左文字の作風】
刃長8寸9厘(約24.5cm)、元幅7分9厘(約2.4cm)、元重1分6厘強(約0.5cm強)、茎長3寸3分7厘弱(約10.2cm)、茎反り6厘強(約0.2cm)
形状は、平造、三つ棟、尋常な左文字の短刀と比べると寸の割に身幅はやや広く、僅かに反りつく。
鍛えは、板目に杢目交じり、処々大きく流れ、地沸細かく微塵につき、地景入り、地斑交じり、冴える。
刃文は、浅くのたれ調に互の目まじり、焼幅が鋒にむかっていくと次第に広くなり、処々互の目の頭が尖り、総じて匂い深く、光のつよい輝く沸よくつき、砂流し頻りにかかり、金筋入り、区際を大きく焼込む。
帽子は、乱れ込み、突き上げて尖り、さかんに掃掛け、返りを深く焼下げ、表の返りはめだって締まる。
茎は生ぶ、先は刃あがり栗尻となり、鑢目大筋違、目釘孔は一つ。
また茎の表は中央に「左」、裏はやや棟寄りに「筑州住」と銘を切っているよ。
この小夜左文字は左文字の典型的な作風を示しながらも、大振りな体配と覇気に富んだ刃を持っており、左文字の代表作の1つと言われているよ。
小夜左文字の所有者で、こよなくこの短刀を愛した柴田果は、自らの茶室を「小夜左庵」と名付け、写しを製作しているんだ。
柴田果は、小夜左文字の大振りな姿と砂流しが激しくかかった覇気のある刃に魅了されたと言われているよ。
左文字の作刀は、それまでの九州の作風にみられる地刃が沈んで鄙びる直刃調のものではなく、それを一新して刃白く地青く、ともに澄んで冴えわたり垢ぬけて独創的な乱れ刃の作域を生み出しているよ。
それまでの九州物には前例のない作域で、後々の刀工にも大きな影響を与えていると言われているんだ。
紀年銘のあるものは歴応2年の短刀が数口あるもののわずかで、父の作風に似ていることから初期作であったと言われているよ。
左文字の作風が脱皮した時期については、弟子の左行弘に左文字さながらの乱出来を示した作が存在し、その刀に観応元年紀があることから、歴応~観応以前頃であると考えられているんだ。
【小夜左文字の豆知識】
小夜左文字のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<小夜左文字の名前の由来とは?>
小夜左文字と名付けられた由来については2つの説があるんだ。
それぞれまとめてみよう。
・西行法師の和歌にちなんで名づけられた説
小夜左文字という名前は「年たけて また越ゆべしと 思ひきや 命なりけり 小夜の中山」という和歌にちなんで、小夜左文字の所有者であった戦国時代の武将であり歌人でもある細川幽斎(細川藤孝)が名付けたんだ。
この和歌は「新古今和歌集」に収められていて、鎌倉時代の歌人・西行法師が歌ったものなの。
この歌は、「年をとってまた小夜の中山を越えることがあるなどとは考えもしなかった。それができるのは、命があればこそなのだなあ」という意味になるよ。
・仇討ち話にちなんで名付けられた説
遠州に暮らしていた浪人がもともとこの刀を持っていたよ。
浪人の死後、その妻が形見である左文字の短刀を遠江国掛川(現在の静岡県掛川市)に売りに行く途中、小夜の中山で山賊に短刀を奪われた上、斬り殺されてしまうんだ。
その後、遺された息子はまだ1、2歳と小さく、母親の妹に育てられ、15、16歳頃に掛川の研師に弟子入りしたよ。
そしてある時、その息子の元に浪人が左文字の研ぎを頼みに来るんだ。
そこで、息子はその浪人からその短刀が母親を殺して奪ったものであるという話を聞いたの。
叔母から母が殺された際の話を聞いていた息子は、その話を聞いてこの浪人が母を襲った山賊に違いないと確信したんだ。
左文字を見るふりをしてその浪人を殺して、仇を討ったという逸話があるの。
この仇討ちの美談を耳にした当時の掛川藩主・山内一豊は仇討ちを果たしたその弟子を召し上げ、早速その短刀を手に入れたんだ。
その短刀を細川藤孝に懇願され譲渡したと言われているよ。
細川藤孝はその短刀を手に入れるや、その逸話を知り「小夜左文字」と名付けたんだ。
<小夜左文字の名付け役・細川藤孝(細川幽斎)とは?>
小夜左文字の所持者で、小夜左文字という名前を付けた細川藤孝はもともと室町幕府の幕臣であったんだ。
しかし、藤孝が仕えていて13代室町幕府将軍であった足利義輝が松永久秀らによって殺害されてしまうの。
その後、久秀らに擁立された14代将軍・足利義栄は、足利義昭を奉じた織田信長に追放されるよ。
細川藤孝は、足利義栄の次に将軍となった、15代将軍・足利義昭に仕えることになるんだ。
その後、足利義昭と織田信長は対立。
細川藤孝は義昭を見限り、信長の家臣となるんだ。
この時、本能寺の変を起こした明智光秀とも同じ家臣として親しい仲になるよ。
織田信長が本能寺の変で討ち死にすると、細川藤孝は豊臣秀吉、徳川家康に従うようになるんだ。
このように細川藤孝は主君が次々と変わり、激動の戦国時代を生きていくためにかなり苦労していることが分かるよね。
藤孝はそんな人生に対するしみじみとした想いを、小夜左文字の名前の由来となった西行法師の和歌に重ねて、人生を共にした刀に難所である「小夜」の名前を付けたのかもしれないね。
<小夜の中山ってどこ?小夜の中山にある夜泣き石の伝説とは?>
小夜の中山とは、遠江国(現在の静岡県掛川市佐夜鹿)にある峠のことで、箱根峠、鈴鹿峠とともに東海道の三大難所の1つになっているよ。
この小夜の中山は通行困難であったということ以外にも、治安が悪く、山賊に襲われることも珍しくなかったそう。
そういった意味でも難所であったと言われているよ。
この小夜の中山は、古くは古今和歌集の題材として用いられた名所であり、「夜泣き石の伝説」が残っているの。
この「夜泣き石の伝説」とは、その昔お石という妊婦が小夜の中山に住んでいたそう。
ふもとの里で仕事をして、家に帰る途中にお石は陣痛に襲われたんだ。
その時、通りがかった男が介抱してくれたものの、お石がお金を持っていることを知るとお金を奪って切り殺して逃げたよ。
その後、斬りつけられたお石の傷口から子供が生まれたのだけど、そばにあった石にお石の霊が乗り移り、毎夜毎夜泣く声がこだましたそう。
里の者たちは、その石を「夜泣き石」と呼んで恐れたと言われているよ。
お石から生まれた子は、夜泣き石のおかげで近くにある久延寺の和尚に発見され、音八と名付けられたんだ。
音八は成長すると大和国の研師の弟子となったよ。
ある日、評判の研師となった音八のもとに、客が一振りの刀を持ってきたんだ。
その刀を見て音八は「良い刀だけれど、刃こぼれしているのが残念だ」と客に言うと、その客は「十数年前に、小夜の中山の石の近くで身重の女を切った時に石に当たってくだけたものだ」と言ったそう。
それを聞いて、音八はその客こそが母の仇と知り、名乗りをあげて仇を討ったんだ。
この一連の話を聞いて同情した弘法大師は、石に仏号を刻んだものが現在に残る夜泣き石として伝わっているの。
<小夜左文字の伝説と、小夜の中山にある夜泣き石の伝説は似ている?>
小夜左文字の伝説と夜泣き石の伝説はとてもよく似ているんだ。
・母が殺される
・子供が研師になる
・仇が客としてきて討たれる
という点が、小夜左文字の逸話と、夜泣き石の伝説で共通しているの。
そのことからも、「英雄と佩刀」では小夜左文字の逸話は、夜泣き石の伝説に基づいて創作ではないか?と指摘しているほどなんだよ。
刀剣乱舞キャラ紹介
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