松井江 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年5月18日古今伝授の太刀 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年5月23日
目次
【山鳥毛の歴史と概要】
山鳥毛(さんちょもう・やまとりげ)は鎌倉時代中期に作られたとされている日本刀で、国宝にも指定されているよ。
呼び名は「さんちょうもう、やまとりげ、さんしょうもう、やましょうもう」など諸説あるんだ。
山鳥毛は上杉謙信由来の日本刀として知られていて、関東管領の地位、米沢上杉家の家督とともに謙信に譲られた名刀なの。
また山鳥毛は上杉景勝の愛刀三十五腰の一口とされていて、上杉謙信・景勝親子の愛刀として有名なんだよ。
作者に関しては、当時は備前長船兼光の作とされていたんだけど、現在は鎌倉時代の備前福岡一文字派の作として考えらえているんだ。
豪壮な立ち姿と華やかな刃文が特徴で、山鳥毛は製作当初の鎌倉時代の姿をよく残している貴重な作例と言えるよ。
次に山鳥毛の来歴をまとめてみよう。
<管領上杉家>
元々は、関東管領上杉家の重宝であったよ。
<白井長尾家から上杉謙信へ>
弘治2年(1556年)10月に、長尾景虎(のちの上杉謙信)が上州白井(現在の群馬県北群馬郡子持村)に出陣した際に、白井城主・長尾憲景より贈られたよ。
白井城主であった長尾家は、上野と越後の守護代を兼ねて、長尾氏を中興させた長尾景忠の子孫のうち、白井を本拠地とした一族なんだ。
上杉家に渡った山鳥毛は、上杉家では備前長船兼光の作であると極められていたの。
しかし、無銘であり現在では備前福岡一文字派の作刀であるとなっているよ。
<米沢上杉家>
上杉謙信の後を継いだ上杉景勝にもこの山鳥毛は受け継がられたよ。
景勝は山鳥毛をたいそう気に入り、上杉景勝自筆腰物目録にも載っていて、上杉景勝公御手選三十五腰の一つに入れているの。
そうして、山鳥毛は世に出さない「御家名物」として米沢藩上杉家に代々伝来。
<近代>
明治14年(1881年)明治天皇が山形に行幸した際の出陳品にも、山鳥毛は含まれているよ。
昭和12年(1937年)12月24日に重要美術品に認定。
昭和15年(1940年)5月3日、旧国宝(重要文化財)に指定。
昭和23年(1948年)に上杉憲章氏から岡野光弘氏へと譲渡。
岡野多郎松氏が上杉家から直接譲り受けたというが、官報届け出では岡野光弘氏への所有者移転となっているよ。
昭和27年(1952年)3月29日に国宝指定(新国宝)
昭和33年(1958年)「備山愛刀図譜」では7番目に載る。
昭和43年(1968年)の刀剣博物館開館記念「国宝日本刀特別展」に出展。
その後も、長らく個人蔵であった。
2017年に上越市による購入検討が行われるものの、金額面で折り合いがつかず交渉は決裂。
2018年には瀬戸内市による購入検討が開始。
クラウンドファンディングを利用し資金調達を行った瀬戸内市は2020年3月17日に県内の個人所有者との間で売買契約が成立。
現在は、岡山県瀬戸内市所蔵で、備前長船刀剣博物館保管
【山鳥毛の作風】
<刀身>
刃長二尺六寸一分五厘(79.5cm)、反り1寸0分5厘(3.2cm)、元幅一寸二分(3.5cm)、先幅2.2cm
形状は刀身に反りがあり、鎬造、庵棟、身幅広く、重ね厚く、長寸で豪壮であり、腰反り高く、踏張りつよくつき、猪首鋒となる。
鍛えは板目肌で鍛え目がはっきりしている。
この板目肌は日本刀で最もよく見られるんだ。
刀身の焼きが入っていない平地には、地沸と呼ばれる大きな鋼の粒子が淡く細かにつき、大丁子乱れという華やかな乱れ刃となっている。
大丁子とは、一文字派の特徴である丁子刃の中でも重花丁子の特徴を持つものなんだ。
刃文は大丁子乱れ、重花調となり、頻りに焼頭が鎬筋を超え、飛焼交じり、足・葉繁く入り、匂勝ち小沸つき、腰元と物打辺は沸めだってつき、砂流し・金筋かかり、匂口明るく冴える。
「足」とは刃の縁から刃先に向かう線、「葉」とは刃の中に点として現れるもの、「金筋」は鋼の組織の荒いものやその集まりが線状に重なって輝く筋のことだよ。
刀身の先端部である切先の長さは3.3cm。
鎌倉時代中期の特色の猪首切先を持つ。
猪首切先は棟から刃先までが広く峰は少なく、元と先の幅の差が緩やか。
固いものを切るのに適性を持っているんだ。
切先の刃文である帽子は表と裏で異なり、表側は湾れ込み、先掃かける。
裏側は同じく湾れがあるものの、小丸に僅かに返り、切先に向かって小さい円を描く刃文が見られるよ。
彫物は表裏に棒樋を掻き通す。
茎は生ぶ、茎の先端は丸みのある栗尻、柄から茎が抜け落ちるのを防ぐために彫られた鑢目は勝手下がりとなっている。
刀身と柄を固定する目釘孔は二つ。
無銘なのは、刀を削られたためではなく、元から銘がない状態となっている。
鎺元付近の刃に、切り込みの痕が残っているよ。
<外装>
・拵
刀身に付属する黒漆合口打刀拵は室町時代後期の作品で、全長110.2cm、柄長27.8cm
鐔のない合口拵と呼ばれるもので、滑り止めや手触りのために柄は藍韋を巻き、鞘は黒漆を塗る。
この鐔のない拵は上杉家以外ではほとんど見られないものとされていて、黒漆合口打刀拵は謙信の嗜好によるものなんだ。
太刀姿そのままの体配に、柄頭を大きく張らせた柄に刃方の肉を薄くした鞘で鐔を用いない合口とした拵だよ。
鐔を用いないのは、反りが高いため先が軽すぎてしまうためと言われているんだ。
また、目貫の位置が一般と異なり腰方に表裏揃ってついていて、栗形は特殊な山形となり、返角はとくに棟寄りに付いているの。
ただ法隆寺西円堂の所蔵品や同じ室町時代の風俗画である「犬追物図屏風」にもみられることから、上杉家固有のものではないという意見もあるんだ。
腰刀の要素が加わった特殊な拵である上杉家伝来の拵は、後世にて形を変えられずに残ったものが多いとされるよ。
・鞘
小柄(小刀の柄)、笄(身だしなみを整えるための小道具)は、赤銅魚々子地に高彫りで肉高に彫られた象嵌の虎が設置されている。
魚々子とは、切先が小円の鏨を使って金属の表面を凹ませて粒が散らばるように加工する技法のこと。
魚々子という呼び名は魚卵の散らばる様に似ていることから名付けられ、赤銅の地に加えられることの多い処理とされているよ。
・柄
刀身が柄から抜け出すのを防ぐ目貫は、赤銅にそのまま虎の姿を容彫で表現。
立鼓が強いと言われる、頭(柄の先端)に装着された補強部分が大きく、手で握る部分が細く作られた形をとっている。
柄形は後世では真似できない逸品と評価されているんだ。
【山鳥毛の豆知識】
山鳥毛のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<山鳥毛の名前の由来とは?>
刃文が鎬まで大きく丁字乱れなのが、山鳥毛の特徴なの。
その刃文がまるで山鳥の毛が逆立っているように見えることから「山鳥毛」という号が付けられたと言われているよ。
また、山鳥の産毛を並べたような細やかな模様になっているとも言われているんだ。
そのほかに、上杉家の伝来によると「遠山の夕べの山やけの景色に似ている為」に「さんしょうもう」と呼んだと言われているよ。
このように山鳥毛は、その美しさを賞賛し、山鳥の羽や夕焼けの山から号が付けられたと推測されているんだ。
<山鳥毛の作者・備前福岡一文字派とは?>
備前福岡一文字派は、数多くの名刀を生み出した刀工一派として知られているよ。
ただ備前福岡一文字派としてよく知られている吉房、則房、助真など銘を持つ刀の作風とは異なるものであると評されているんだ。
福岡一文字派は備前の刀工一文字派のうち、福岡の地に興った集団で、古備前派正恒系の刀工の定則の子・則宗を祖としているよ。
御番鍛冶13工のうち、7工を出しており、代表的刀工には則宗、延房、助宗、助則、宗吉などがいるんだ。
古来福岡一文字派は「一」銘のみを切る一派で、刀工名が特定できない刀剣が多いの。
山鳥家に関しても、福岡一文字派作ということは分かっているものの、刀工名は分からないんだ。
<山鳥毛の所有者・上杉謙信(長尾景虎)とは?>
山鳥毛を愛刀していた上杉謙信(長尾景虎)はどんな人物だったんだろう?
長尾景虎は、永享2年(1530年)に越後守護代・長尾為景四男として誕生。
永禄4年(1561年)には、主家である関東管領・上杉憲政の養子となるんだ。
長尾景虎はこのとき、「上杉政虎」と名を改めて、上杉氏が代々務めてきた「関東管領」の職を継承したよ。
その後、政虎から「上杉輝虎」と改名し、最後は法号として「上杉謙信」を名乗るようになるんだ。
上杉謙信の関東管領という職は、鎌倉公方の補佐役。
室町幕府の初代将軍・足利尊氏は、関東、伊豆、甲斐を治める役所として鎌倉府を、その長として鎌倉公方を配置したんだ。
鎌倉公方と関東管領は東国の要職だったの。
しかし、時代とともに関東の権益をめぐって鎌倉公方と関東管領の対立が激化。
永享10年(1438年)には鎌倉公方であった足利持氏が、関東管領であった上杉憲実に攻め込んだよ。
これをきっかけに、6代将軍・足利義教が持氏への追討軍を鎌倉へ派遣。
その翌年、持氏は自害へと追い込まれるんだ。
この戦を「永享の乱」と呼び、それ以後、関東では関東管領の上杉氏が実権を握ることになっていくよ。
<関東管領就任とともに引き継いだ山鳥毛>
上杉謙信は、13代将軍・足利義輝より関東管領就任の許しを直々にもらって、鎌倉・鶴岡八幡宮で引き継いだんだ。
謙信が関東管領の地位と同時に引き継いだのが、上杉家の家督と名刀・山鳥毛だったの。
山鳥毛の持ち主こそが上杉家の主であり、関東管領なんだよ。
謙信は、山鳥毛の拵に合口拵を用いて、愛刀としていたんだ。
<山鳥家も含まれていた上杉家御手選三十五腰とは?>
上杉謙信は愛刀家として知られているだけではなく、日本刀の優れた鑑定家でもあったんだ。
山鳥毛以外にも数多くの名刀を所持しており、謙信亡き後は子である上杉景勝に全て引き継がれ、上杉家の家宝として伝来したよ。
父・謙信と同様に愛刀家で鑑定家でもあった上杉景勝は、特に気に入った刀剣を選び抜いた名刀リストとして「上杉家御手選三十五腰」を作成し、まとめていたんだ。
山鳥毛に関しては銘がないため、上杉家御手選三十五腰にリストアップされているのかは確認できないの。
しかし山鳥毛ほどの名刀が上杉家御手選三十五腰に入っていないとは考えにくく、謙信の愛刀であったことからも上杉家御手選三十五腰に挙げられているのは間違いないと考えられているよ。
<上杉謙信の故郷・上越市が購入を断念!瀬戸内市が見事購入に成功>
備前刀の最高峰とも言われ、上杉謙信の愛刀で国宝である山鳥毛は、上越市と瀬戸内市が購入するために尽力したんだ。
それぞれの市の取り組みをまとめてみよう。
・上越市
山鳥毛は岡山県在住の個人が所有していて、岡山県立博物館に寄託されていたんだ。
上杉謙信の故郷である上越市は、山鳥毛の購入を目指し、所有者と交渉するものの、契約金額が折り合わずに2017年に断念。
上越市の予算としては3億2,000万円であったのに対し、所持者は5億円を希望していたんだ。
購入のための資金集めも行っていた上越市だったけど、寄付金7350万円は全て返還されることになったよ。
・瀬戸内市
山鳥毛の所有者が2018年に岡山県瀬戸内市に購入を打診。
瀬戸内市は山鳥毛を作った備前刀の刀工集団・福岡一文字派が拠点としていた地でもあり、所有者からの打診を受けて購入方針を表明したんだ。
購入費用と山鳥毛を展示する備前長船刀剣博物館の改修費を合わせた5億1309万円を目標として、2018年11月1日にクラウドファンディングをスタート。
瀬戸内市によると、2019年1月26日までに集まった寄付は8億239万円で、ふるさと納税の返礼品などの必要経費を除いても、刀の購入費・博物館改修費に5億6838万円を充てることができ目標を達成。
この金額は日本刀の中でも最高金額であると言われているんだよ!
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