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新撰組九番隊組長を務めた鈴木三樹三郎は剣術が苦手だって本当?鈴木三樹三郎の気になるエピソードまとめ

新撰組九番隊組長・鈴木三樹三郎は、新撰組を脱退して御陵衛士となり大正時代まで生き延びた剣客だよ。

ここでは鈴木三樹三郎のエピソードをいくつかまとめてみよう。

 

新撰組レモン
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荒波に揉まれた時代でも生き残って大正時代まで生きていたんだよ!

 

【何度も名前を変えている鈴木三樹三郎】

 

鈴木三樹三郎と言えば、何度も名前を改名しているんだ。
元々の名前は、鈴木多聞だけど、寺内家に養子に行き寺内多聞になるものの、寺内家を離縁したのをきっかけに三木荒次郎と名乗るようになるよ。

さらに上洛し新撰組隊士に応募した頃には三木三郎となり、御陵衛拝命時には三樹三郎となるよ。

その後も、三木和泉と改名し、赤報隊結成時には鈴木三樹三郎となるんだ。

明治時代になるとまた名前を変え、鈴木忠良となるよ。
御陵衛士時代に名乗っていた鈴木三樹三郎が一番よく知られている名前なんだ。

 

新撰組レモン
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こんなに名前を変えて良いなら色々な名前で暮らしてみたいかも。。

 

 

【鈴木三樹三郎は上品な顔立ちだった?】

 

大正時代まで生きた鈴木三樹三郎は晩年の写真が残されているんだ。
その写真を見ると、黒目がちで鼻筋がすっと通った上品な顔立ちであることが分かるよ。

鈴木三樹三郎の孫にあたる鈴木巌氏の遺稿によると、母が「私は生れてから今日の年まで忠良おじいさんのような男前の男、又立派な人には一人も巡り合はなかった」と述懐されていたそう。

忠良おじいさんとは、鈴木三樹三郎のことであるから、男前であったことが推測できるよね。
また鈴木三樹三郎の兄である伊東甲子太郎もまた美男であったと伝えられているよ。

 

新撰組レモン
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若い頃の写真があればもっと実感湧きますが確かに整っている顔立ちです!

 

 

【実は剣術があまり得意ではなかった?】

 

新撰組と言えば、相当の腕前での剣術の達人がそろっているというイメージが強いよね。
まして、鈴木三樹三郎は新撰組の九番隊組長を任されていたから、よほど剣術が優れていたんだろうと想像してしまいがち。

しかし実際には、鈴木三樹三郎は剣術が苦手であったと言われているんだ。
兄・伊東甲子太郎の方が剣術に優れていたそう。

剣術に関しては新撰組の二番隊組長で、剣術の達人でもあった永倉新八から剣術の指導を受けていたとも言われているんだ。
ちなみに鈴木三樹三郎の武芸は神道無念流。

 

新撰組レモン
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剣術が得意でなくても隊長になれたのが凄いよね。

 

【新撰組九番隊をうまく統率することができていなかった?】

 

鈴木三樹三郎は新撰組時代の活躍に関する記述がほとんど残っていないんだ。
そのため、新撰組の隊長の中でも非常に影が薄い存在となっているの。

兄・伊東甲子太郎の影響で、新撰組九番隊組長を務めていたものの、実際には鈴木三樹三郎の素行不良によって九番隊の隊士たちをきちんと統率することができていなかった…

と言われているんだよ。

 

新撰組レモン
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隊長としてどうなんだろうか。。。

 

【無類の酒好きであった鈴木三樹三郎】

 

鈴木三樹三郎は酒好きであったことが知られているよ。
大好きなお酒を飲みすぎて養子先の義理父に離縁されてしまうなど、酒による失敗はとても多いんだ。

また同僚で酒飲みであった菅谷竹蔵と意気投合して、酒を交わして仕事をさぼるあまり、藩の規則を軽視して、お役御免になってしまったこともあるよ。
好物は、ふきのとう味噌で、晩年になっても鈴木三樹三郎は晩酌を欠かさなかったそう。

 

新撰組レモン
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お酒の失敗は今も昔も変わりませんな。

 

【和歌や読書を好む文化人であった】

 

鈴木三樹三郎は和歌をたしなんでいたと言われていて、鈴木三樹三郎が詠んだ和歌として有名なのが

「梅の花心有りげに匂ふかな愛でにし人の情思ひて」

「無官無禄一身安 唯有枕頭一瓶酒」

などがあるよ。

また花や読書も好きで、晩年の愛読書は「資治通鑑」「史記」だったと言われているの。

 

新撰組レモン
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武闘派の新撰組の中で、彼は文才の方だったのかもしれないね!

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