肥前忠広 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年5月10日桑名江 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年5月10日
目次
【北谷菜切の歴史と概要】
北谷菜切(ちゃたんなきり/ちゃたんなーちりー)は15世紀に作られた短刀だよ。
日本の国宝にも指定されていて、沖縄県那覇市にある那覇市歴史博物館が所蔵しているんだ。
文化財指定名称は「青貝微塵塗腰刀拵 刀身無銘」と言うよ。
北谷菜切は千代金丸・治金丸とともに尚家に伝来した3振の刀剣の一つ。
無銘であるものの15世紀に作られたとされているの。
北谷町北谷にあった水田地帯北谷田圃との交換話や、妖刀伝説の残る刀剣なんだ。
また北谷菜切は首里の北方にある北谷の領主が所持していた腰刀とされているよ。
【北谷菜切の作風】
刃長七寸六分(23.0cm)、茎8.2cm、全長31.2㎝
刀身は日本製で造込は、平造り、三ツ棟、反りがわずかにつく短剣だよ。
刀身は使い込んだためか、大きく摩擦していて刺刀風に削がれた形で鋭くとがっているよ。
刃は切先に少し残るのみである。
生ぶ茎、茎先は棟の方へ片削ぎ、目釘孔は2個で、鍛は板目肌総体に流れる。
<外装>
拵の総長は46.5cmで、琉球製と考えられていて、鞘は夜光貝を細かな方形に切った螺鈿で覆われていて、柄は鮫皮のように打ち出した金板を貼っている「金打出鮫」で、金具はすべて金無垢とした豪華なものとなっているよ。
金を着せた小柄・笄を附属していて、その裏には「天」の字や、分銅形・鼓胴形の記号が彫られているんだ。
これらの記号は、琉球王府内にあった工房の製作者か製作グループの記号であった可能性が高いと言われているの。
この「天」の文字や記号は、琉球王府所蔵品の証でもあるんだ。
兜金、縁金物、口金物、栗形、返角、鐺などの金具周りは、唐花風の蓮華や火焔の様に表現された葉が彫金されていて、典型的な琉球の造作となっているよ。
小柄は赤銅魚子地雲に獏の高彫り、金色絵。
笄は金着魚子地に桃枝文を据える。
【北谷菜切の豆知識】
北谷菜切のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<北谷菜切の伝説>
北谷菜切には妖刀と呼ばれる伝説が残っているんだ。
伝承によると、この刀は本来ただの包丁で、首里の北方にある北谷の農家にあった日用品だったそう。
農婦が聞き分けのない子供をおとなしくさせようと思って、包丁を振る真似をして脅かしたところ、刃先が触れてもいないのに赤子の首を切り落として殺してしまったんだ。
赤子を殺してしまった農婦は子殺しの罪で役人に捕らえられたよ。
取り調べを受けた農婦は「包丁で振りかざしただけで子供の首が斬れたのです」と無実を強く訴えたの。
そこで役人が試しに山羊に向かって包丁を振ったところ、なんと赤子と同じように山羊の首も斬り落とされたんだ。
そのため、農婦は罪を免れ、放免されたよ。
この農婦の持っていた包丁を刀に鍛え直したものが「北谷菜切」であると言われているんだ。
「北谷菜切」は名刀として王家に納められることになるよ。
振りかざすだけで簡単に様々な対象物を斬ってしまう北谷菜切はいつしか「妖刀」と呼ばれるようになったんだ。
この伝説の他にも北谷菜切には、背負っていた赤ん坊の首を斬ってしまったという伝承もあるの。
またとんでもない切れ味を持つ北谷菜切を使って石を切って、沖縄北部にある今帰仁城の城壁を作ったという伝説もあるほどなんだ。
<琉球の刀は日本刀なの?>
北谷菜切は琉球王国に伝わる短刀のため、日本刀に分類されるの?と疑問に思う人もいるかもしれないね。
しかし北谷菜切など尚家に伝来した3振の刀剣は、拵えは琉球で作られているものの、刀身自体は日本で作られたものなので日本刀なんだよ。
琉球統一以前の三国時代から琉球統一初期にかけて、琉球にとって日本と中国は大の交易お得意先だったんだ。
両国とも友好関係国で当時は、琉球と日本は対等な交易関係であり、中国と琉球は上下関係を取りながら交易関係にあったの。
各々の国が望むものを琉球が中継交易していたんだよ。
例えば日本には中国の物産や嗜好品を交易品にして、中国には日本特産品や馬・硫黄等の軍事物資を交易品にしていたと言われているの。
このうち中国が望む交易品の一つに日本刀があったんだ。
琉球王国では石灰岩土壌特質から鉄を産出できず、日本都の交易で得られた日本刀を中国に輸出していたんだ。
中国でも大好評だった日本刀は琉球内での戦争にも普通に用いられていて、戦国期にあった三国時代では日本刀は武将の必須携帯品のひとつだったの。
現在残っている王朝時代刀も、外装こそ「日本式・中国式・琉球式の混合だけど、中身は純日本製の日本刀になるんだ。
ちなみに琉球国の武士の生活様式も日本式に近かったと言われているよ。
三国時代から琉球統一初期の琉球武士の姿は、日本刀を常に腰に差して、衣服は袖口に琉球独特文様を持つ和装に近いものだったそう。
また、戦闘時の武具は日本式鎧に限りなく近く、頭の髷は頭部左側に髪を結った形だったんだ。
住んでいた家も板葺きで赤瓦無しで、当時の日本と類似していたよ。
<琉球王国から生まれた独自の伝統文化とは?>
北谷菜切の拵えは典型的な琉球の造作となっているんだ。
琉球王国ではこのように様々な独特の文化が生み出されたと言われているよ。
琉球王国で育まれた独自の文化は交易が盛んであった中国、東南アジアの影響を色濃く受けているんだ。
ここでは琉球王国で生まれた伝統文化をまとめてみよう。
・織物
琉球王国の織物と言えば「首里織」「芭蕉布」「読谷山花織」などがあるよ。
これらは14世紀~16世紀にかけて技術が伝播されたと言われていて、それぞれの地域において多種多様な織物へと進化したんだ。
その中でも「首里織」は王府であった首里で発展した織物のこと。
王族や士族のために製作された織物で、色や柄にこだわり、格調の高さが求められたんだ。
王族にのみ使用が許された黄色の織物などが多くみられるよ。
・染物
琉球王国の染物として古くから受け継がれている技法に「紅型」と呼ばれるものがあるよ。
「紅」とは、赤色のことのみではなく、色全般の意味を示している言葉なんだ。
そのため紅型では、様々な色が使用されているよ。
ほとんどの図案は中国の「吉祥文様」がモチーフとなっているんだ。
この吉祥文様は、縁起がよいとされる動植物などの文様で、王族や士族の衣装として染められたよ。
紅型技法は主に首里を中心に栄えたんだ。
・陶芸
琉球の陶芸もまた、独自の進化を遂げたんだ。
琉球を代表する焼き物と言えば「壺屋焼」が有名。
天和2年(1682年)に王朝が各地に散在していた窯場を壺屋地区に集積したことが始まりとされているよ。
それ以来、中国、朝鮮、日本本土などの影響を受けながら、沖縄の暮らしにあった陶器として壺屋焼はバリエーションを広げていったの。
大胆な絵柄と色彩に素朴な風合いは、現代にも受け継がれているよ。
・お祭り
沖縄では毎年春に鮒漕ぎレースの「ハーリー」と呼ばれるお祭りを開催しているんだ。
このお祭りの起源も、琉球王国時代に中国からの来賓を歓迎するために始まったと言われているの。
また沖縄ではお祭りの際に「獅子舞」が登場することが多く、その獅子舞も中国風なんだ。
お祭りで行われる踊りや舞も、中国や東南アジア、日本本土の影響が見られる琉球王国独特のものなんだよ。
刀剣乱舞キャラ紹介
刀剣乱舞とは
刀剣男士と共に―いざ出陣!
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