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2021年4月12日次郎太刀 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介
2021年4月18日
目次
【太郎太刀の歴史と概要】
太郎太刀(たろうたち)は南北朝時代に作られたとされる大太刀で、同名の刀も複数存在しているんだ。
今回ご紹介する太郎太刀は、愛知県名古屋市熱田区の熱田神宮が所有する太郎太刀だよ。
太郎太刀の正式名称は「末之青江(すえのあおえ)」で真柄太刀と呼ばれることもあるの。
太郎太刀は通称の呼び名になるよ。
太郎太刀の作者は備中国で活躍した刀工集団・青江派の刀工とされているの。
南北朝時代末期から室町時代における作刀とみられているよ。
次に太郎太刀の来歴をまとめてみよう。
<真柄直隆(真柄十郎左衛門)>
太郎太刀は元亀元年(1570年)に起きた姉川の合戦において、真柄直隆が振るったとされているよ。
真柄直隆は越前国真柄荘の国人衆として朝倉方に参加しており、五尺三寸ある太郎太刀で戦ったんだ。
ただし太郎太刀の太刀の長さや、討ち取った人物に関しては、書物によってバラバラなの。
さらに伝承したものとして現存する場所に関しても様々な説があるんだ。
真柄直隆に太郎太刀が伝来した流れは以下の通りだよ。
1501年頃、越前に大力の者がいて、備前長船に行って祐定に長さ五尺三寸(160.6㎝)、幅二寸三分(7cm)、重ね五分五厘(約1.7㎝)の大太刀を注文したそう。
祐定は、祐清、祐包らと協力して打ち上げ、その刀で試し斬りをしたところ四つ胴を落としたと伝わっているんだ。
四つ胴とは四つの胴体を並べた時にすべて真っ二つにしてしまうほどの切れ味なんだよ。
この刀が、のちに真柄直隆(真柄十郎左衛門)に伝わったと言われているんだ。
<熱田神宮へ>
渡った経緯は分かっていないものの、姉川の合戦の6年後にあたる天正4年(1576年)8月に春日部熊野庄の山田甚八郎吉久によって、熱田神宮に奉納されたとされているよ。
現在も、熱田神宮宝物殿の入り口に展示されているの。
【太郎太刀の作風】
<刀身>
刀身全体の長さ303㎝、刃長221.5cm
通常の打刀は柄と刃長の比率が1対4なのに対して、太郎太刀は1対3、次郎太刀は1対2になっているんだ。
造りは鎬造、庵棟、中鋒延びごころ、刃長に比して反りは浅く、太刀というより大きくした打刀との形容がふさわしい。
古研のため地刃の出来は不詳。
板目肌に中直刃、乱れごころがあり小足が入るように鑑える。
茎に僅かにながら朱銘の痕跡の跡が残っていて、記録では「末之青江」とあったことがわかるよ。
彫は表裏の鎬地には棒樋、添樋を掻き、樋中に朱が施されているの。
刀身に棒樋、添樋を入れることで強度を保ちながらも、軽量化されているのが特徴。
長さの短い次郎太刀の重量は約5kgなのに対して、太郎太刀は長いにも関わらず重量は約4.5kgと軽量化されているよ。
ただ大太刀に関しては、柄の手に握る部分が長い方が扱いやすいとされているため、手に持つと次郎太刀の方が軽く感じるんだ。
この太郎太刀、次郎太刀は実戦用に作られた太刀であり、細かい傷や刃こぼれの跡が見られるよ。
<外装>
太刀拵は、朱塗りの鞘と浅黄木綿の糸を巻いた柄となっていて、次郎太刀と同じ拵えとなっているよ。
柄の下地には、拵えを作った職人の名前が記されていて、次郎太刀の拵にも柄の縁下木地には「名古屋上畠町 柄基屋理左衛門」、「享保三年 戌極月吉日」と墨書されているんだ。
このことから享保3年(1718年)に神社の依頼によって、祭礼の威儀物として作られた拵とみられているよ。
【太郎太刀の豆知識】
太郎太刀のエピソードや豆知識をまとめてみるね。
<もともと太郎太刀は特定の刀の号ではない>
太郎太刀の正式名称は「末之青江(すえのあおえ)」で真柄太刀とも呼ばれているの。
ではなぜ太郎太刀と呼ばれるようになったんだろう?
太郎太刀とはもともと、特定の刀の号ではなく、武士が二振りの刀を持っている際に長い方の太刀のことを「太郎太刀」と、そして短い方の太刀は「次郎太刀」と呼ぶ習慣があったんだよ。
越前朝倉家の家臣・真柄直隆とその弟である直澄は大太刀を二振り所有していたんだ。
その刀は真柄太刀と呼ばれていて、二振りのうち、直隆が所有した刃長221.5㎝の大太刀を「太郎太刀」、直澄が所有していた刃長166.6㎝である大太刀を「次郎太刀」と呼んでいるの。
<太郎太刀の所有者・真柄直隆とはどんな人物だった?>
真柄直隆(まがらなおたか)は真柄十郎左衛門とも呼ばれていて、戦国時代に活躍した武将だよ。
天文5年(1536年)生まれで、越前国・真柄荘の国人として朝倉氏の客将となった真柄直隆は上真柄の地に居館を構えたの。
ただ、真柄氏は朝倉家中では在地性、独立性が強い国人衆であったため、越前に足利義昭が頼ってくるまで、朝倉氏に臣従的な態度をとりつつも、軍役を一部負担するだけという立場だったの。
つまり朝倉家の完全な家臣という立場ではなかったんだ。
真柄直隆は朝倉家中でも武勇に優れていたと言われていて、黒鹿毛の馬に跨って、五尺三寸(約175cm)の太郎太刀を振り回して戦ったんだ。
<真柄直隆は大太刀を軽々しく掲げるほど剛勇だった?>
太郎太刀の所有者である真柄直隆は身長が7尺(約210㎝)、体重200キロ以上もあったと言われているの。
江戸時代に成立された「朝倉始末記」によると、朝倉義景を頼って越前国・一乗谷へ逃げてきた室町幕府第15代将軍・足利義昭の前で、九尺五寸(約288㎝)もの大太刀を頭上で軽々しく数十回振り回し、豪傑ぶりを披露したという伝説も残っているんだ。
真柄直隆がいかに剛勇であったかがよく分かるよね。
北国の豪傑として真柄直隆は、朝倉家中でも知られる人物で、講談や軍着物などによく登場するよ。
<真柄直隆は姉川の戦いで太郎太刀を振って奮戦>
太郎太刀は真柄直隆が姉川の戦いで使用した日本刀として有名だよ。
この姉川の戦いは、近江國浅井郡浅川で織田信長・徳川家康連合軍と浅井長政・朝倉義景連合軍の間で行われた合戦のこと。
両軍に数多くの戦死者を出した激戦として知られていて、特に浅井家は中心的な武将の多くが戦死してしまい、莫大な被害を受けたんだ。
元亀元年(1570年)に起きたこの姉川の戦いで、真柄直隆は太郎太刀を振って奮戦するものの、朝倉陣営の敗戦が濃厚になると、真柄直隆は味方を逃すために単騎で徳川軍に突入したんだ。
12段構えの陣を8段まで突き進んだ真柄直隆だったけれど、最終的には向坂三兄弟の攻撃を受け討ち取られてしまうよ。
真柄直隆は最後に「我頸を御家の誉れにせよ」と敵に首を献上して果てたと言われているんだ。
この時、向坂三兄弟が真柄直隆を討ち取った時に使用した太刀は「真柄斬り」と名付けられ、名刀の1つになっているんだ。
ちなみに、真柄直隆の弟・直澄と子・隆基も真柄直隆と同様に勇敢で、この姉川の戦いで討死しているんだ。
姉川の戦いで討死した真柄直隆の最期に関しては、数々の書物に描かれているの。
真柄直隆の最期に関して描かれている書物は以下の通りだよ。
・信長公記
真柄十郎左衛門、此の頸青木所左衛門是を討ち取る。
・信長記
真柄十郎左衛門父子三人、中にも真柄は大力の剛の者なれば、五尺三寸の大太刀を真向にさしかざし取て返し、四方八面に切て廻りければ四五十間四方は小田をすき返したるが如くにぞ成たりける。
式部が弟勾坂五郎次郎助来て、真柄に渡合せ戦いけるが餘りに強く撃程に、蜻蛉に請流す所を拝み切に切て勾坂が太刀を?本よりづんと切て落し、餘る太刀にて弓手の股をなぎすゑたる。既にあやうく見えける所を勾坂六郎五郎是を見付て、透間もなく助来るに郎党の山田宗六、我が主を討たせじやと
・当代記
「信長記」を簡略化した内容、勾坂式部兄弟が真柄直隆を討ち取ったとしているよ。
・浅井三代記
「信長記」とほぼ同じ内容で「五尺三寸の大太刀」
・徳川実記
北國に名をしられたる真柄十郎左衛門など究竟の勇士等あまたうたれたり。
<太郎太刀の作者・刀工・青江派とは?>
太郎太刀の茎にはわずかに朱銘の痕跡の跡が残っていて、記録では「末之青江」とあったことがわかるよ。
この刀の追銘に「末之青江」とあることから、備中国で活躍した刀工集団・青江派の刀工によって作られたものとされているの。
青江とは備中国子位荘内(現在の岡山県倉敷市)の地名で、その地で平安時代末期から室町期まで居住した刀工集団青江派のこと。
「末」とは末流の意で、室町期の同派の作刀を意味するよ。
太郎太刀は青江派の時代区分の中でも、南北朝時代末期から室町時代において作られた刀とされているんだ。
青江派の作品には地金の鍛えは沸が目立ち、青く澄んだ地鉄の中に黒く色の異なる地斑と呼ばれる斑点が見られる澄肌が特徴なんだ。
しかし、末青江には澄肌があまり見られず、刃文は沸の多い中直刃が多くて、乱れ刃も見られるよ。
太郎太刀が作られた時代は、刃長三尺(約90cm)を超える太刀や大太刀が流行したことから、太郎太刀の他にも大太刀の作品が多いんだ。
<別の太郎太刀もある?!>
太郎太刀は同銘の刀が複数あるんだ。
白山比咩神社(ひしろやまひめじんじゃ)にある太郎太刀は通称「真柄大太刀」とも言われていて、昭和53年3月7日には石川県の文化財に指定されているよ。
白山比咩神社は、加賀国一之宮で全国2000社余りある白山神社の総本社にあたるの。
格的には真柄十郎左衛門が所持していた白山比咩神社が奉納されていてもおかしくはないものの、その当時白山比咩神社は加賀の一向一揆の影響で荒廃していたと見られているの。
そのため奉納を受けるほど信仰を集めていたとは考えにくいんだ。
一方、熱田神宮は織田信長から信仰されており、織田家中の者が奉納するというのは納得できるの。
白山比咩神社の太郎太刀よりも、熱田神宮に奉納されている太郎太刀の方が、真柄十郎左衛門が所持していた太郎太刀の可能性が高いと言われているんだ。
ちなみに白山比咩神社の太郎太刀は、生ぶ茎、目釘孔が2個で棒樋。
佩表の近くに「行光」と小さい二字銘が切られていて、室町時代中期の永正初年頃の作刀とみられているよ。
いつ白山比咩神社に奉納されたのか?については不明ながら、拵えに関しては加賀藩3代藩主・前田利常が名工・後藤才次郎吉定に命じて飾金具を作らせて、寛永5年(1628年)に奉納したものであると箱書きされているよ。
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