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江雪左文字 – 刀剣特集 – 日本の名刀をご紹介

【江雪左文字の歴史と概要】

 

江雪左文字(こうせつさもんじ)は紅雪左文字ともいい、南北朝時代初期に作られた日本刀だよ。
国宝に指定されている江雪左文字は、現在広島県福山市にあるふくやま美術館が所蔵しているんだ。

 

江雪左文字の作者は筑前国の刀工・左文字。
左文字は短刀を得意としていたため、在銘する太刀は極めてまれなの。
江雪左文字は在銘の太刀として現存する唯一の太刀なんだよ。

 

次に江雪左文字の来歴をまとめてみよう。

 

<板部岡江雪斎>

江雪左文字は元々、板部岡江雪斎が所持していた太刀なんだ。
板部岡江雪斎は後北条家家臣で、その後豊臣秀吉、徳川家康の家臣として仕えることになるよ。

 

<豊臣秀吉>

板部岡江雪斎から豊臣秀吉に献上されたよ。

 

<徳川家康から徳川頼宣へ>

徳川家康に渡った江雪左文字は、その後末子である紀州徳川家初代藩主・徳川頼宣に与えられたよ。
頼宣は江雪左文字を帯びて大坂の陣に参戦したと伝えられているんだ。

 

<紀州徳川家へ伝来>

徳川頼宣に与えられた江雪左文字はそれ以降、紀州徳川家に伝来し、同家の第一等の重器とされたんだ。

昭和4年(1929年)3月に行われた日本名宝展覧会では紀州徳川家第16代当主・徳川頼貞侯爵が所持していたよ。
さらに昭和8年(1933年)1月23日には当時の国宝保存法に基づき、旧国宝にも指定されているの。

 

<長尾よね>

豪遊により徳川家の家政悪化のため、昭和9年(1934年)に行われた紀州徳川家の売立に江雪左文字も出されることになるよ。

この時、「名物 江雪左文字刀」は24,300円の高値で落札され、それをわかもと製薬の長尾よねが3万円で購入し、のちに長尾美術館所蔵となるんだ。
昭和26年(1951年)6月9日には長尾美術館所蔵で文化財保護法に基づく新国宝に指定。

 

<現在>

わかもと製薬が倒産後に長尾美術館を出た江雪左文字は、青山孝吉氏が所蔵。
その後、日本刀装具美術館の所蔵となるものの、平成13年(2001年)6月に親会社の倒産を受けて日本刀装具美術館が運営休止。
現在は広島県の法人から広島県福山市に寄贈され、広島県福山市にあるふくやま美術館所蔵となっているよ。

刀剣レモン
刀剣レモン
ふくやま美術館に行けば14口もの貴重な刀を見れます♪

 

江雪左文字 from wikipedia

 

 

【江雪左文字の作風】

 

刃長2尺5寸8分(78.2cm)、反り9分弱(2.7cm)、元幅3.3cm、先幅2.1cmの太刀。
造り込みは鎬造、丸棟で、重ね尋常、刃肉豊かにつき、磨上ながら腰反り高く、踏張りつき、中鋒延びて、力強い体配を示しているよ。
身幅は広く、切先は中切先のびる。

 

鍛えは、板目肌よく錬れて杢交じり、地沸厚くよくつき、地景交じり、かねに潤いがあって強く冴える。
刃文は浅いのたれ調に互の目を交え、上半丸い具の目が連れるところあり。あるいは大乱れに足入る表現される場合もあり。
表裏の刃取りはやや異なっており、湯走り・飛焼交じり、匂口深く、明るく冴える。

輝く沸が強くよくつき、上半は下半に比して匂い幅やや締まりぎみとなっていて、砂流し・金筋かかりあり。
帽子は佩表(は、きおもて)がのたれて尖りごころに僅かに返り、裏は大きく乱れ込んでくびれ先尖りごころに突き上げ、深く返る。

表裏に丸止めの棒樋あり、茎は磨上で茎先は切り、目釘孔は5個で、佩表の下半棟寄りに「筑州住 左」の書き下しの銘が切ってあるんだ。

 

江雪左文字は身幅が広く堂々とした体配なんだけど、鋒が延びきっておらず、重ねもそれほど薄くない点から、南北朝時代の中でも延文・貞治型に移行する一歩手前の姿態とされているんだ。

地金の美しさと明るく冴える様は実に見事であり、刃文には敢えてまとまりに拘らない大胆さが見られるよ。
剛毅さと品の良さを両方とも併せ持った味わい深い名作と言われているんだ。
江雪左文字は、板目をつんだ鍛え、明るく冴える作風、突き上げて返る帽子など左文字の特色が顕著にみられる日本刀となっているよ。

 

また江雪左文字には家康が作らせたとされている黒漆研出鮫(くろうるしとぎだしざめ)の打刀拵(うちがたなこしらえ)が付属しているよ。
この打刀拵は桃山時代のものと言われており、小柄を伴わない様式の拵で、柄は黒漆塗の鮫皮を着せて、鞘は鮫皮に黒漆を塗って研出した堅牢な造りとなっているんだ。

 

【江雪左文字の豆知識】

 

江雪左文字のエピソードや豆知識をまとめてみるね。

 

<江雪左文字の名前の由来とは?>

江雪左文字という名前は、この刀が後北条家の家臣・板部岡江雪斎の佩刀であったことに由来するんだ。

板部岡江雪斎は後北条家支流・田中泰行の子で、当初は後北条家に仕えていた。
後北条家が衰退した後は豊臣秀吉に重用されたよ。
主君・豊臣秀吉の死後は、板部岡江雪斎の長男が仕えていた徳川家康に接近し、関ケ原の戦いでは家康に臣従したんだ。

 

また板部岡江雪斎は茶の湯や和歌にも通じた教養人であったと言われているよ。
さらに板部岡江雪斎は交渉術にも長けており、北条氏と徳川家康や豊臣秀吉との対立時には交渉役としても活躍したんだ。

 

 

<江雪左文字が徳川家康に伝来した経緯には諸説あり?>

江雪左文字が徳川家康に伝来した経緯は諸説あるんだ。
それぞれの説をまとめてみよう。

 

・板部岡江雪斎が家康に献上した説
江雪左文字は、この太刀を所持していた板部岡江雪斎が、徳川家康に献上したと言われているよ。

 

・板部岡江雪斎から秀吉へ、秀吉から家康へ献上された説
刀剣研究家・福永酔剣によると、天正17年(1589年)7月に主命により上洛した板部岡江雪斎は豊臣秀吉と面会。
真田家が領する沼田城を後北条家に下すことを認めれば、その対価として北条氏政を上洛させることを約束したんだ。
しかし、沼田城を手に入れた後北条家では、家臣・猪俣範直が沼田城だけでなく、真田家領であった名胡桃まで奪取してしまうの。

 

これに怒った秀吉により後北条氏討伐のための小田原征伐が行われたんだ。
北条家の降伏後、秀吉は江板部岡江雪斎を召して約束違反の咎を詰問したの。

秀吉の詰問に対して板部岡江雪斎は、名胡桃を奪取したのは北条家が行ったことのではなく、家臣であった猪俣範直が勝手に行ったことと反論。
しかし今さら何を言っても詮無いことであるから、速やかに首を刎ねられよ、と動ずることなく述べたんだ。

 

秀吉はこの板部岡江雪斎の態度にたいそう感動したそう。
そこで板部岡江雪斎の罪を赦して「岡野」という姓を与え秀吉の御伽衆に迎え入れたんだ。

秀吉に仕えることになった板部岡江雪斎は自らの佩刀である江雪左文字を秀吉に献上したよ。
その後に秀吉から徳川家康へと江雪左文字は与えられたとされているんだ。

 

 

<江雪左文字の作者・左文字とは?>

江雪左文字の作った左文字(さもんじ)は、南北朝時代初期に筑前国で活躍した刀工だよ。
左文字は、作刀に「左」と銘する刀工一派の通称で、「左」は「左衛門三郎安吉」の略であると言われているんだ。

左文字の本名は「左安吉(さのやすよし)」で、通称「左(さ)」「左文字」と呼ばれているの。
一派の名匠と区別するために「大左(おおさ)」とも呼ばれていて、法名は「源慶(げんけい)」だよ。
左文字は相模国(現在の神奈川県)で生まれた鍛錬法「相州伝」の有名な刀工である正宗の門人で、正宗十哲の1人でもあるの。
正宗十哲とは、正宗の弟子の中でも特に優れた10人の弟子のことなんだ。

 

左文字は最初、古典的な大和気質の作風を踏襲して作刀しているものの、中途より相州伝を導入。
それまでの九州物に見ない地刃がさえて垢抜けした乱刃の作域を創作しているんだ。
伝統を打破して作風を一変させているところが優れており、古来より正宗十哲と言われていた所以の1つになっているの。

 

左文字は短刀の製作を得意としていたため、「左文字」の在銘の太刀は江雪左文字だけになるの。
伝来した紀州徳川家では重宝として扱われていた出来栄えで、名高い名刀として左文字の代表作になっているよ。

 

 

<紀州徳川家で丁重に扱われていた江雪左文字のエピソードとは?>

紀州徳川家に伝来した江雪左文字は、非常に丁重に扱われていたそう。

いかに江雪左文字が丁重に扱われていたか?についてのエピソードが残っているよ。
本阿弥日州先生が語られた今村長賀翁の逸話を紹介するね。

 

明治時代に今村長賀という鑑定家がいたそう。
この長賀翁は紀州徳川家に伝えられていた江雪左文字という名物を内務省の仕事で国宝指定審査のために拝見させてもらったんだ。

紀州家の屋敷の床の間に飾られていた江雪左文字を見て、長賀翁は驚いたそう。
なぜなら、お刀掛けには白い羽二重の布がかけられていて、そこに裸のままの刀が置かれていたんだ。

長賀翁の両脇に家来衆がならび、ご覧くださいと言われたものの、長賀翁は手にとって見ることができず、畳の上を這うようにして近づき、這いつくばるようにして江雪左文字を拝見したそう。

長賀翁といえば、その当時刀剣鑑定で右に出る者がいないほどの人物だったんだ。
そんな長賀翁ですら、江雪左文字を手に触れさせてもらえなかったということからも、紀州徳川家がどれほど江雪左文字を大切にしていたかがよく分かるよね。

 

日本の美術品の中で健全に保存されているものと言えば「刀剣」なんだ。
昔の人は、刀を大切に取り扱っており、天守閣に保管されていたと言われているよ。

豊臣秀吉の愛刀であった江雪左文字が、紀州徳川家に伝来してから、常にお城の天守閣で保管されて、毎日お小姓衆が交代しながらお守りしていたそう。
ちなみに戦に行くときに使用する刀剣は、一番の名刀ではなく、その次のものを戦場に持って行ったと言われているよ。

 

刀剣レモン
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ご神刀などがあるように、昔から崇められていたのも現在に残っている理由かもね!ありがたや〜♪
刀剣レモン
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お城の一番の場所、天守閣に保管されるほど、当時から名刀は貴重な存在だったんだ。

 

 

 

刀剣乱舞キャラ紹介

 

 

刀剣乱舞とは

刀剣男士と共に―いざ出陣!

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(公式サイトより引用)

 

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