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京都にある新撰組ゆかりのスポットを徹底解説 その1

壬生屯所跡 八木邸、碑文は「新選組屯所遺蹟」 from wikipedia

 

幕末から明治維新にかけて京都は激動の地となったよね。

日本を変えるために奔走した維新志士たちと、徳川幕府を守るべく立ち上がった幕府軍との間で京都は大きく揺れ動くことになるよ。

今回は幕府軍として最後まで戦った新撰組隊士たちの縁の地をまとめてみよう。

 

新撰組レモン
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当時を思い浮かべながら巡るのも良いよね♪

 

【京都の地で活躍した新撰組】

 

新撰組は幕末時代、京都守護職の会津藩主・松平容保に雇われて京都の治安を維持するために警護活動を行っていたよね。
新撰組の隊士たちは、最後まで幕府軍として戊辰戦争を戦ったよ。

その悲劇的なドラマ性から現在でも新撰組ファンは多く、司馬遼太郎の「新撰組血風録」「燃えよ剣」など、新撰組を題材とした文学作品は数多くあるよね。

また新撰組をテーマとした映画やドラマもたくさんあるんだ。
京都には現在でも数多くの新撰組縁の地が残されていて、新撰組ファンが訪れたいスポットが満載なの。

 

新撰組レモン
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新撰組は人気ですからね!

 

【京都にあるここだけは押さえておきたい新撰組縁のスポットとは?】

 

今回は京都に行ったらぜひ訪れておきたい新撰組の縁の地をまとめてみよう。

 

壬生屯所跡 八木邸、碑文は「新選組屯所遺蹟」 from wikipedia

 

 

・新選組屯所跡・壬生郷士八木邸

 

京都市中京区にある新選組屯所跡・壬生郷士八木邸は、新撰組の最初の屯所として使われていたことで有名だよね。
この八木邸には新撰組の最初の局長であった芹沢鴨が、近藤勇らに暗殺された部屋も残っていて、その時につけられた鴨居の刀傷や芹沢鴨が躓いた踏み机も見学することができるんだよ。

 

江戸からはるばる将軍様の警護のために上京してきた浪士組は総勢234名もいたんだ。
隊士たちはそれぞれグループに分かれ宿舎に入ることになったんだけど、近藤勇や芹沢鴨ら13名が宿舎としたのが「壬生郷士八木邸」なんだよ。
壬生郷士八木邸は、壬生村の郷士の1人・八木源之亟宅の屋敷なんだ。

 

文久3年9月には、八木家の右門柱に新しい看板が掲げられ、そこには「松平肥後守御預新選組屯所」と書かれていたそう。
これが新撰組の誕生の瞬間なんだ。
屯所となった新選組屯所跡・壬生郷士八木邸は現在、15代目当主である八木喜久男氏が和菓子屋を営みながら、建物を一般公開しているの。

 

 

・京都鶴屋 鶴壽庵

 

京都鶴屋 鶴壽庵は新選組屯所跡・壬生郷士八木邸の当主が経営する和菓子屋さん。

八木邸の見学と一緒に、京都鶴屋 鶴壽庵でお茶と茶菓子をいただくことができるんだよ。

新選組屯所跡・壬生郷士八木邸の拝観料は京都鶴屋 鶴壽庵での抹茶と屯所餅付で1,100円となっているの。

 

 

 

壬生寺にある近藤勇の像 from wikipedia

 

 

・壬生寺

 

壬生寺は新撰組ゆかりの寺として有名です。
壬生寺には鉄の掟によって粛清された新撰組隊士たちが祀られているんだ。
芹沢鴨もこの寺に眠っており、鴨の葬儀は壬生寺で行われたの。

 

新撰組の兵法練兵所としても使われていた壬生寺は屯所・八木邸からも近いんだ。
壬生塚と呼ばれる隊士たちのお墓には11名の隊士が眠っており、芹沢鴨の他、平山五郎、野口健司、河合喜三郎などが眠っているよ。

 

鉄の掟と言われていた新撰組の局注法度は、「士道に背き間敷事 局を脱するを許さず」から始まるとても厳しいものだったの。
鉄の規則によって、切腹、斬首などで粛清された隊士は、40名以上だったんだ。

新撰組が取り締まりの御役目で相手を殺害した人数は26名で、病死や戦いなどで死亡した隊士は10名ほどと言われていることからも、粛清された隊士の数がどれだけ多いかがよく分かるよね。

戦いではなく、内部の粛清がこれだけされていた新撰組は、身分や貴賤に関らず隊士になることができたため、厳しい法度がなければまとめることができなかったと言われているんだ。

 

また壬生寺には新撰組局長・近藤勇の胸像を見ることもできるよ。

 

 

・旧前川邸

 

八木邸の近くにある旧前川邸も新撰組が屯所として駐屯していた邸宅の1つだよ。
現在は個人が住む家なので、屋敷内部を見学することはできないんだ。
ただ玄関先では、新撰組関連のお土産が売られているよ。

 

温厚な人柄で新撰組隊士や壬生の庶民から慕われていながらも脱走した新撰組隊士・山南敬助が、屯所に戻って監禁されたのはこの前川邸だったんだ。

試衛館からの同志であった新撰組二番隊組長・永倉新八は山南を逃そうとするものの、山南は拒否。
思い人であった明里に手紙を渡すように、永倉に頼んだんだ。

元治2年(1865年)2月に、格子戸越しに思い人・明里と別れを交わした後に、前川邸の一室で切腹したの。
この時、介錯は沖田総司であったと言われているよ。

 

新撰組レモン
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なんとも切ないエピソードだね。。。

 

 

 

京都にはまだまだ新撰組ゆかりの場所があるよ。
次回は続きをまとめてみよう。