新撰組離脱組・藤堂平助は美男子で文武両道だった?藤堂平助の気になるエピソードを大公開

新撰組・藤堂平助が殺された油小路の変とはどんな事件だった?
2021年3月16日
新撰組隊長の中では影が薄い?新撰組九番隊組長・鈴木三樹三郎は伊東甲子太郎の弟だった?
2021年3月17日

新撰組離脱組・藤堂平助は美男子で文武両道だった?藤堂平助の気になるエピソードを大公開

月真院(高台寺の塔頭)

 

新撰組の八番隊組長を務め、斎藤一と同じく若手ながらも新撰組の重要な任務を務めていた藤堂平助。

新撰組を離脱して、御陵衛士に入るものの、かつての同志である新撰組隊士に殺されてしまう結末を遂げてしまうんだけど、藤堂平助にはいくつものエピソードがあるんだ。

ここでは藤堂平助の気になるエピソードをまとめてみよう。

 

 

【藤堂平助は容姿端麗で美男子であった?】

 

島津家家臣による「京師騒動見聞雑記録」において「壬生浪士の藤堂平助は、藤堂和泉守の妾腹の末子と噂されており非常に美男子である。今年十七歳」という記述があるの。

この京師騒動見聞雑記録は西国を代表する雄藩・薩摩の島津家の家士が当時の京の情勢を藩に伝えるために記録した報告書なんだ。

 

その中に一介の浪士に過ぎなかった藤堂平助の記述が残されているというのは、きわめて異例だったんだよ。

京でよほど評判になっていたのか、薩摩藩士某が個人的に思うところがあったのか、その経緯は不明なんだけれど藤堂平助の姿形を伝える非常に貴重な資料となっているの。
藤堂啓介の写真や肖像画は残っておらず、子孫も判然としないんだ。

 

また実際の藤堂平助の年齢は数え年で21歳だったの。
それにも関わらずその記録では「17歳」と記述されていることからも、平助は実年齢よりも若く見える童顔の美男であったと想像できるよ。
人々の記録に美男や美男子と残された藤堂平助の立ち姿は「白梅のよう」だったとも言われているんだ。

 

藤堂平助が美男子だったというエピソードは他にもあるよ。
1864年に京都四条南座で酒に酔った新撰組隊士が客と芝居を見に来ていた君尾に手を出そうとしたんだ。

すると2階から美貌の若侍がひらりと舞い降りてきて「伊勢浪人藤堂平助」と名乗ったそう。
この青年は、君尾を救ってその場をおさめ、人々に「今牛若」と讃えられたと言われているんだ。

 

新撰組隊士、とりわけ幹部メンバーは女性エピソードがいくつか伝えられていることが多いんだけど、藤堂平助は美男子として知られていたにも関わらず女性関係の証言が全くと言っていいほど残されていないの。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
女性関係には誠実な人だったのかな!?

 

【藤堂平助は身長が低かった?】

 

新選組隊士である阿部十郎は「「 藤堂平助は小兵でございますけれども……」と証言しているんだ。
江戸幕末期の成人男性の平均身長は155㎝~157㎝ほどだったの。

「小兵」と称されている藤堂平助は、当時の成人男性の平均身長に満たないくらいの身長だったことが予想されるよ。

153㎝前後であったのでは?と言われているんだ。

 

藤堂平助の愛刀であった上総介兼重は二尺四寸五分(およそ73㎝)もある長寸の打刀だったの。
この長さの打刀は本来であれば身長が180㎝前後の男性に最適な長さなんだ。

藤堂平助は自分の身長の半分ほどもある長さの刀を自由自在に振るい、戦っていたということになるね。
それほど剣術に優れていたことがよく分かるエピソードだよ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
小さい身体で身の丈の半分もの刀を振るうのもカッコいいよね!!

 

【剣術はもちろん学問や経済感覚も持ち合わせていた文武両道の藤堂平助】

 

藤堂平助と言えば剣の達人として有名で、新撰組四天王の1人でもあるね。
実は藤堂平助は剣術だけではなく、学問や経済感覚にも優れていた文武両道な人物であったと伝えられているの。

永倉新八の証言では「 関東浪士 藤堂和泉守落胤 文武研究所剣術 千葉周作門人 目録 新選組副長助勤 」と述べているし、阿部十郎の証言では「 ……なかなか剣術はよく使いまして、また文字(=学問)もございます」と言っているんだ。

複数の人物がそのような証言をしているので信憑性は高いよ。

 

ただ品行に関しては、局長・近藤勇から叱られていた…という証言もあり。
どのようなことで叱られたのかについては分かっていないけれど、若いということもあり、やんちゃな青年であったことも伺えるね。

子母澤寛著の「新選組始末記」では「江戸っ子で品行は不良だったが人物がしっかりしていた」との記載があるよ。
ただ証言者や出典元に関しては不明なんだ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
まだ20歳そこそこの男の子なら、やんちゃでも仕方ないよね!

 

【堂々したふるまいで勇猛・活発な性格であった藤堂平助】

 

浪士隊上洛の際の組頭を務めた主要幹部である石坂周造は、
「……なるほど隊中にも土方歳三あるいは藤堂平助などという悪者のおることも存じておりますから……」と証言しているんだ。

300名を超える浪士隊の中で、土方と平助だけを名指しにするというのは、よほど彼らが反抗的で目立っていたということなのかもしれないね。
石坂にとってはこの2人は一筋縄ではいかない浪士であったと述懐しているよ。

 

また、薩摩藩家臣の証言では「…隊内きっての血気盛んな隊士である」と述べているんだ。

平助は市中巡察の際には、新撰組の隊員の先頭に立つ当番を自ら進んで引き受けていて、戦闘の際にも常に先陣を切っていたの。
このことから「魁先生」という異名もあったんだよ。
勇敢で血気盛んな性格であったことがよく分かるよね。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
土方歳三さんと一緒に名指しされるくらいだったのも凄いことだよね〜!!
新撰組レモン
新撰組レモン
血気盛んで勇猛果敢!もし生きていたら最後まで新撰組の隊士として戦っていたかもですね!
新撰組レモン
新撰組レモン
肖像画や写真が残っていないのが残念です。