「源さん」と呼ばれて慕われていた新撰組六番隊組長・井上源三郎はどんな人物だった?
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2021年2月20日
新撰組局長・近藤勇や副長・土方歳三と絶大な信頼関係で結ばれていた新選組六番隊組長・井上源三郎。
彼はどんな性格だったんだろう?
今回は井上源三郎の人柄が分かるエピソードをまとめてみよう。
目次
【井上源三郎は若い隊士からの人望も厚かった】
同門である近藤勇や土方歳三ら新選組幹部とのつながりが強く、絶対的な信頼関係で結ばれていた井上源三郎だけど、若い隊士からの人望も厚かったと言われているんだ。
八木為三郎は「井上はその頃40歳くらいで、ひどく無口な、それでいて非常に人の良い人でした」という発言をしており、周りからの人望があったことがよく分かるよね。
井上源三郎は決して出しゃばらず、自分の立場をよく理解した上で、任務をきっちりと遂行するタイプ人物だったんだ。
それゆえに、近藤勇や土方歳三から絶大な信頼を寄せられていたんだね。
【誠実でありながら頑固な一面もあった?】
井上源三郎は誠実で実直に仕事をこなす人物であったことは広く伝えられているよね。
そんな井上源三郎だけど、実は頑固な面もあったと言われているんだ。
一度言い出すとテコでも動かないところがあったそう。
また、元隊士である阿部十郎は「大石鍬次郎、沖田総司、井上、是らは無闇に人を斬殺致しますので」と後々語っており、粛清などの汚れ仕事でも積極的に参加していたんだよ。
【天然理心流の免許皆伝までに10年以上かかった努力家】
剣豪ぞろいの新撰組の中で井上源三郎は決して剣の天才ではなかったんだ。
しかし努力の末に10年かけて、天然理心流の免許を皆伝したよ。
ものすごい努力家だよね。
実は、井上源三郎は同じ天然理心流の近藤勇よりも、免許を受けたのは先だったんだよ。
この天然理心流とは通常の剣術はだけではなく、小太刀術、居合術、柔術、棒術なども教え、実戦を重視しているの。
勝つことを目的とした総合武術なんだよ。
派手な剣客が多い新撰組の中で、井上源三郎の剣の腕前は目立つことはなかったものの、天然理心流で習得していた戦いの術は確かな筋のものだったんだ。
【沖田総司とは家族同然の仲だった?】
井上源三郎は稽古の時間が近づくと、壬生寺で子供たちと遊びに夢中になっている沖田総司を呼びにいったそう。
うんざりしている沖田をたしなめることもあったんだよ。
また沖田総司が、たまたま通りがかった井上源三郎に「また稽古ですか、熱心ですね」と声をかけると源三郎は「わかっているなら稽古をしたら良いのに」とたしなめたというエピソードも残っているんだ。
この2人は軽口をたたき合うほどの仲で、家族のような関係であったと言われているの。
実際二人は縁戚関係でもあったんだよ。
井上家の分家である林太郎の妻は、沖田総司の姉であったんだ。
沖田総司の母は日野にいた時期があって、その当時4歳程度であった沖田総司は親戚でもあった井上源三郎の家によく遊びに来ていたと言われているの。
【井上源三郎の生家は現在資料館になっている?!】
東京都日野市にある井上源三郎の生家は、現在「井上源三郎資料館」となっているんだ。
この資料館は井上源三郎の兄の子孫が運営していて、近藤勇に贈られた刀、沖田総司ゆかりの囲炉裏、土方歳三の手紙などが展示されているよ。
井上源三郎の兄である井上松五郎は、新選組幹部の相談を井上源三郎や他の幹部から色々と受けていたと言われているの。
「御上洛御供旅記録」という松五郎の日記には、「近藤勇が天狗になって困る」という相談を土方歳三、沖田総司、井上源三郎たちから受けたという記載が見られるよ。
この日記も井上源三郎資料館に展示されているんだ。