信長の小姓・森蘭丸は聡明で真面目な性格だった?森蘭丸のエピソードを大公開!
2021年2月18日
新撰組六番隊組長・井上源三郎は努力家だった?沖田総司と親戚って本当?井上源三郎にまつわるエピソードを解説!
2021年2月18日
信長の小姓・森蘭丸は聡明で真面目な性格だった?森蘭丸のエピソードを大公開!
2021年2月18日
新撰組六番隊組長・井上源三郎は努力家だった?沖田総司と親戚って本当?井上源三郎にまつわるエピソードを解説!
2021年2月18日

「源さん」と呼ばれて慕われていた新撰組六番隊組長・井上源三郎はどんな人物だった?

宝泉寺 井上源三郎碑 from wikipedia

 

新撰組の六番隊組長である井上源三郎は新撰組の中でも癒し系組長と言われていたんだ。

組長の中で年長者であった井上源三郎はいったいどんな人物だったんだろう?
ここでは井上源三郎についてまとめてみよう。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
癒し系の組長なんて素敵です♪

 

【新撰組の創設メンバーであった】

 

井上源三郎は、天然理心流では近藤勇の兄弟子にあたり、新選組の創設時からいるメンバーなんだ。

武蔵国日野宿北原にて、八王子千人同心(武蔵国多摩郡八王子に配置された警備と治安維持を目的とした幕臣集団)世話役の井上藤左衛門の三男として誕生したよ。
1847年頃に、天然理心流の三代目宗家・近藤周助に入門。

近藤勇の兄弟子である井上源三郎は、土方歳三とともに稽古に励んだそう。
井上家の土間の柱は、毎日木刀で打ち込み、細くなっていたと言われていて、剣術の稽古を熱心にしていたんだ。
そしてようやく、1860年頃に免許皆伝を受けたよ。

 

浪士組募集時から近藤勇、土方歳三、沖田総司らとともに参加している新撰組創設メンバーである井上源三郎は幹部でもあるんだ。

新撰組では六番隊組長を務めており、同郷であり同門の局長・近藤勇や副長・土方歳三をよく補佐していたと言われていて、隊内では対外的な職務や要人接待などの総務を担当していたんだよ。

総務の仕事をきっちりと遂行する非常にまじめで誠実な人物であったと言われているの。

 

 

【「源さん」の愛称で親しまれてた井上源三郎】

 

井上源三郎は「源さん」という愛称で親しまれていたの。
殺伐としがちな最強の剣客集団であった新撰組の中でも、井上源三郎は近藤勇、土方歳三、沖田総司らと絶対的な信頼関係にあったと言われているんだ。

心優しき幹部であった井上源三郎は、鬼の副長と呼ばれた土方でさえも源さんの前では故郷の話をするなど談笑を楽しんだというエピソードも残っているよ。

新撰組の組長の中で年長者である井上源三郎は、ドラマや小説、映画などでは年配の人物として描かれることが多いの。
しかし実際には近藤勇よりも5歳年上なだけなので、年配者であったということはないんだよ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
ドラマや映画の配役のイメージってすごいよね!

【井上源三郎の活躍とは?】

 

井上源三郎は新選組の中でどのような活躍をしたんだろう?
まとめてみよう。

 

<池田屋事件>

1864年に起こった池田屋事件では土方歳三の支隊指揮を担当。
近藤勇が斬りこんだと知らせを受けると、井上源三郎も10人の部下とともに池田屋に突入し、浪士8人を捕縛し、1名を斬り捨てたよ。
その功績から、褒章金を得ているんだ。
派手な乱闘に参加したイメージが少ない源さんだけど、池田屋事件では活躍しているんだね。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
なかなかの活躍ですぞ!!

 

<組織再編成で六番隊組長に任じられる>

1865年6月の新撰組組織再編成で六番隊組長に任じられるよ。
1867年6月には新選組が幕府直参に取り立てられると副長助勤として七十俵三人扶持を与えられたんだ。

 

<薩摩都城兵との戦い>

1867年12月、六番隊は薩摩都城兵と戦い、褒章を受けたという記録があるよ。

 

宝泉寺 井上源三郎碑 from wikipedia

 

 

【井上源三郎の最期は?】

 

井上源三郎は新選組副長助勤、六番隊組長として活躍するものの、その後大政奉還、王政復古の大号令と続き、1868年1月には鳥羽・伏見の戦いが勃発するんだ。
伏見に屯所を移していた新撰組は、淀まで退去。

1月5日には淀千両松で、新撰組は官軍と激戦を交え、その戦いの最中に井上源三郎は、敵の銃弾を腹部に受けて亡くなってしまうんだ。
この時、井上源三郎は40歳だったよ。

土方歳三の腕の中で、看取られながら逝去したという逸話もあるんだよ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
土方歳三様の腕の中で。。。幸せ者だぁ〜

甥である井上泰助(12歳)が、井上源三郎の首を持ち帰ろうとするものの、重くて運べず戦いの最中で自らも危うくなったため、仲間から諭され戦場近くの寺院境内に首と刀を埋葬したと言われているんだ。
井上泰助は新選組で近藤勇の刀持ちを務めていたの。

正確な埋葬場所ははっきりと分かっていないものの、墨染(京都市伏見区西桝屋町)の欣浄寺とされているよ。
井上源三郎の故郷である日野市の宝泉寺に「井上源三郎之碑」とお墓があるんだ。

 

新撰組レモン
新撰組レモン
ぜひ、訪れてみたいところですね♪