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光秀による丹波攻めの終盤戦「八上城の戦い」とは?一度裏切られた波多野氏に徹底的な籠城戦を行った?

八上城のある高城山(丹波富士) from wikipedia

 

 

「麒麟がくる」第43話では明智光秀による丹波平定がいよいよ大詰めになるよね。
ここでは丹波攻めでの「八上城の戦い」についてまとめてみよう。

 

 

盃ヶ岳から遠望する八上城(高城山) from wikipedia

 

 

【八上城の戦いとは?】

 

八上城の戦いは第二次丹波攻めとも言われていて、明智光秀の丹波攻略のクライマックスとなる包囲戦のことだよ。

この八上城の戦いが丹波平定の実質的な総仕上げになったと言われているんだ。
光秀が苦戦した丹波攻略の終盤戦ともなった八上城の戦いに勝った光秀は、続けざまに黒井城を陥落し、丹波平定を成し遂げることになるよ。

 

 

【波多野秀治の裏切り】

 

八上城の城主は、波多野氏5代の波多野秀治。
波多野秀治は、光秀が丹波攻めをはじめた当初は光秀の味方についていたものの、途中で寝返って光秀を敗走に追い込んだ張本人なの。

 

光秀による丹波攻めがスタートしたのは天正3年(1575年)のこと。
反信長派であった丹波国人の内藤氏や宇津氏の討伐が目的でスタートしたよ。
しかし信長は今後中国を制する毛利氏と戦うことを考え、これを口実に丹波を平定して吉川元春との戦いに備えて山陰ルートを確保しようと企てたんだ。

 

光秀は、内藤氏や宇津氏、さらには他の丹波国人衆を討伐しながら、有力国人であった赤井氏の居城である黒井城を攻め込んだよ。

これを「第一次黒井城の戦い」と呼ぶんだ。

この第一次黒井城の戦いでは、丹波の国人はすでに大半が光秀の味方となっていたため、光秀優勢の状況で進んでいくの。

 

けれど、黒井城がもうすぐ滑落する!というところで、光秀の味方をしていた波多野秀治が裏切ってしまうんだ。
背後から波多野秀治らの軍に攻撃された光秀は敗走を余儀なくされて、そのまま居城である坂本城へ逃げ帰ることになってしまうの。

 

将軍レモン
将軍レモン
ここでもまた裏切り!
レモン姫
レモン姫
この時代、裏切りが多すぎですわ!!笑

 

 

【なぜ波多野秀治は光秀を裏切った?】

 

はじめは光秀の味方をしていた波多野秀治はなぜ裏切り行為をおこなったんだろう?

実は黒井城の城主である赤井直正の妻は波多野氏の娘で、赤井氏と波多野氏は縁戚関係だったんだ。
このことから、もともと波多野氏は赤井氏と密約を結んでいたのでは?とも考えられているんだ。

 

波多野氏は元々、石見(現在の島根県西部)の国人・吉見氏の一族とされているよ。
戦国時代初期に細川吉兆家の当主・細川勝元に仕え、応仁の乱の後に丹波の多紀郡を与えられて、八上城西麓に巨館を構えたのが始まりとされているんだ。

2代・波多野元清の頃には、細川澄元から離反して、細川高国について丹波での勢力を拡大させたよ。

 

レモン姫
レモン姫
光秀よりも親戚関係を取ったということか。

 

八上城のある高城山(丹波富士) from wikipedia

 

 

 

【八上城の戦いのスタート!光秀は徹底的に城を包囲】

 

裏切られた光秀は、波多野秀治の居城である八上城攻めを、天正6年(1578年)にスタートするよ。
波多野氏と縁戚関係である別所長治が織田信長を裏切り毛利氏へと鞍替えをすると、波多野氏も別所氏に呼応するように動き始めたんだ。

 

その頃、光秀は信長から命令によってあちこちを飛び回りながら数多くの戦に参戦しながら、丹波平定をすすめていたの。
波多野氏の不穏な動きをキャッチした時期も、荒木村重の謀反の対応に当たっており、八上城だけに集中できる状態ではなかったんだ。

 

しかし、光秀は波多野氏に一度裏切られて、それによって敗走に追いやられた苦い経験があることから、すぐに八上城攻めを決定。
八上城を徹底的に包囲して、波多野氏を追い詰めることにしたんだ。

 

八上城の包囲に関しては、光秀自身が指揮をとっていたと言われていて、堀や柵を何重にも張り巡らして、周囲に陣城を構築したんだ。
その包囲は獣すら入ることができないほど厳重であったと言われているの。

 

 

【籠城戦で兵糧攻めを行う光秀軍】

 

天正6年(1578年)9月から八上城攻めはスタートし、翌年の天正7年4月には籠城する者の中から助命を求める声も上がったんだ。
この頃には八上城での餓死者は、500人ほどいたそうで、命からがら城を出た者は餓死寸前だったと言われているよ。

 

しかし光秀はまだまだ気を緩めなかったんだ。
天正7年(1579年)5月にはさらに包囲網を強化して、周囲との連絡を遮断。
落城するまで攻撃を止めることはなく、兵糧攻めを続けたんだ。

 

これによって餓死者はさらに増え、八上城で立て籠もっていた者たちは食べ物が尽きると草木を食べてしのぎ、それすらなくなれば飼っていた牛馬を食べたそう。
飢えに耐えられなくなり、城を出て出撃してきた兵たちに対しては、光秀は容赦なく切り捨てたと言われているよ。

 

 

忍レモン
忍レモン
飢えて力もない兵だから楽勝に切り捨てられただろうね!

 

将軍レモン
将軍レモン
バッサリ!でーす!!

 

足軽レモン
足軽レモン
ズバッとな!

 

忍レモン
忍レモン
ですでーす!!

【八上城の陥落、波多野氏の処刑】

 

長い籠城戦によって戦意を失ってしまった八上城は、天正7年(1579年)6月に落城。
光秀の調略によって、波多野氏の仲間は次々と光秀に寝返り、ついに波多野秀治は降伏することになったんだ。

 

これによって波多野三兄弟は落城後6月4日に信長の居城がある安土に送られ、処刑されたよ。

これによって波多野氏は事実上滅亡したんだ。

 

 

足軽レモン
足軽レモン
裏切りの波多野氏、バイバーイの巻。。。
レモン姫
レモン姫
一族滅亡とは、はかないものですわね。