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豊臣秀吉の播磨平定「第一次上月城の戦い」とは?

上月城 城山 from wikipedia

 

 

「麒麟がくる」第41回では豊臣秀吉が信長から播磨出陣の総大将を任かされているよね。

ここでは豊臣秀吉の播磨侵攻戦についてまとめてみよう。

 

 

【対立関係にあった織田軍と毛利軍】

 

天正4年(1576年)7月に起きた「第一次木津川口の戦い」で衝突してから織田軍と毛利軍は敵対関係が続いていたの。

信長は第一次木津川口の戦いでは毛利水軍に大敗し、石山本願寺への兵糧、武器、弾薬などの救援物資を入れられてしまったんだ。
つまり毛利軍と本願寺は「反信長同盟」を結んでいる状態なの。

 

敵対する毛利氏に対抗するべく、信長は播磨平定を目指すよ。
その総大将を務めることになったのが、信長の家臣である豊臣秀吉なんだ。

この頃、信長の播磨の制圧状況は、三木城の別所長治を拠点として、御着城、姫路城、龍野城などがあったんだ。
しかし、毛利川は信長が支配している城を囲むように、城壁や砦などを相次いで築いていたの。

 

 

【播磨平定を秀吉に任せる】

 

天正5年(1577年)5月14日、信長は毛利方の水運の要衝となる「英賀城」に集結するとの情報を得たの。
そこで一気に攻撃することを決め、播磨の諸将たちに通達。

この英賀城の合戦では織田軍が勝利。
これによって西播磨での戦況が織田軍に好転したんだ。

信長は同年10月、信貴山城の戦いで松永久秀を討伐後、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)を播磨に派遣することを決めたよ。
播磨の姫路城に着陣した秀吉は、播磨の国衆から人質を取って万全にしたんだ。

さらにその後、丹波南部の朝来郡を攻略して竹田城を落城、さらに佐用郡の福原城に侵攻するよ。

11月27日には、福原城から出てきた城兵と戦い、福原城主・福原則尚を討ち取ったんだ。
この戦いでは秀吉は城兵たちも皆殺しにしたと言われているよ。

 

上月城 城山 from wikipedia

 

 

【播磨平定の第一ラウンドとも言える第一次上月城の戦いとは?】

 

秀吉が播磨に着陣して1ヶ月後には、上月城主の赤松政範と合戦がスタート。

これを「第一次上月城の戦い」と言うんだよ。

上月城(こうづきじょう)は播磨国(現在の兵庫県佐用郡)にあったんだ。

 

福原城を陥落させた秀吉は、翌日11月28日に上月城の周りを15,000もの軍勢で包囲。

井戸を奪って水の供給をストップさせ、上月城の援軍に来ていた宇喜多直家率いる3,000の軍勢と上月城の兵7,000、合わせて1万の軍勢と交戦するんだ。
兵数で勝った秀吉軍は、700ほどの兵の首を斬り落とし、宇喜多勢を備前との国境付近まで追いやるんだ。

 

さらに秀吉軍は上月城への攻撃もヒートアップしてどんどん仕掛けていったよ。
水まで奪われている上月城主である赤松政範は降伏を申し入れるものの、秀吉はこれを拒否。
城の周りには返り猪垣を三重に築いて、完全に逃げられないように包囲。
12月3日に総攻撃を仕掛けたよ。

 

秀吉は、向かってくる城兵の首を切り落とし、女、子供なども容赦せずに殺していったそう。
見せしめとして子供は串刺しにして、女は磔にして備前・美作・播磨三カ国の境目に並べ置いたともいわれているんだ。

なんとも残酷だよね。
その数は200人を超えていたと言われているんだ。
これは毛利軍へのけん制と、毛利にも織田にもつこうとしない播磨国衆への見せしめだったと言われているよ。

 

レモン姫
レモン姫
酷いことを!!
将軍レモン
将軍レモン
容赦なさすぎです。。。

 

【秀吉らしい戦略により上月城を陥落】

 

この戦いでは、いきなり本拠点を狙わずに、竹田城や福原城など周りの支城を落としてから、本拠攻撃をしているよね。

さらに水の供給を遮断して、敵側の戦意を失わせたことは秀吉らしい軍事戦略であったと言われているよ。

西播磨にあった上月城は、毛利軍の拠点である安芸を狙う上では、非常に重要な拠点であったんだ。
そのため、必ず落城する必要があったんだよ。

忍レモン
忍レモン
井戸も奪い、水も飲めず、さらに女子供まで容赦無く。。。
足軽レモン
足軽レモン
歴史に残る秀吉の虐殺ですよ。。。
将軍レモン
将軍レモン
魔王と呼ばれたりする信長よりも冷酷非道じゃないっすか。秀吉くん。。。