第15代将軍・足利義昭の兄、第13代将軍・足利義輝は剣豪として知られている?信長との関係性はあったの?
2020年8月27日桶狭間の前哨戦となる大高城への兵糧入れを行ったのは後の徳川家康
2020年9月12日
出入り口にあることから、お城の顔といっても過言ではない城門(じょうもん)。
観光に行ったとき、最初に間近で目にするのはほかでもない城門。
お城の中でも特に重要な建物で、日本だけでなくヨーロッパや中国でもそのお城の玄関のような位置づけをされてきているんだ。
現代の住宅にも門があるように、お城にも外側と内側を隔てる門があったんだね。
お城の城門は一つではなく、複数個所に置かれているのが一般的だったんだ。
今回はお城の城門とはどんなものなのか。役割や種類についても解説していくね!
【お城の城門とは?どんな役割があった?】
門には「お城に侵入しようとする敵兵から防御する」という大きな役目があったんだ。
たんなる出入口じゃなかったんだね。
しかも、お城の中でも必ず視覚に入るものだから、あまり貧相な造りでは威厳がないってことで、ある程度重厚な造りであることが求められたんだよ。
敵兵の障害になるよう、構造や配置にもいろいろと種類があって、一つ一つの門に名前が付けられていたんだ。
曲輪の名称に「表門」か「裏門」を付けて呼ばれるものが多かったというよ。
お城の正面側を「大手門(追手門)」、裏側を「搦手(からめて)門」と呼んだりもするね。
時刻を知らせるために太鼓が置かれた「太鼓門」、敵兵にバレにくい場所に設置された「隠し門」なんていうのもあったんだ。
兵庫県にある姫路城には、昔は84もの門があったんだって!
あまりにも多すぎて、門の名称を「いろは」に従って「いの門」や「るの門」と付けられていたんだよ。一部消失したものを含めると21門が現存しているよ。
【お城の城門の構造と種類は?】
城門の基本構造はコの字型になっていたよ。
扉を挟むようにして「鏡柱(かがみはしら)」が二本あって、その上に冠木(かぶき)が載っていて、鏡柱の後ろ側に支えとなる「控柱(ひかえはしら)」が建てられていたんだ。
基本構造の上に何を載せるかが城門の種類を分ける要素になっていたんだよ。
例えば、大きな一つの屋根で基本構造を覆ったものは「薬医門(やくいもん)」、コの字に沿って三つの屋根を載せたものは「高羅門(こうらいもん)」と呼ばれていたんだ。
戦闘力を兼ね備えた「渡櫓門(わたりやぐらもん)」と呼ばれる門もあるよ。
<藥医門>
矢の攻撃を食い止める=矢食いが由来になっているという説と、医者の門として使われていたのが由来という二つの説があるよ。
かつての病院は扉の隣に出入りしやすい戸を設けることで、患者さんが四六時中病院に訪れることができるような造りにしていたんだって。
城内からの視界が狭くなることから、本来は城門には向かない。
室町時代から武家屋敷の正門で見かけた城門で、平屋の中では一番格式高かったんだよ。
<高羅門>
扉の表面に鉄の板が張られているのが一般的だったよ。この板は防弾性をもっていて、敵の攻撃を防ぐ役割を果たしていたんだ。
屋根が載っているのも、鉄の板を雨から守るためなんだとか。
実際に、堺雅人さん主演の大河ドラマ『真田丸』の舞台である大阪城の高羅門は、扉も門柱も鉄板張りになっているんだよ。
<渡櫓門>
石垣の上に長方形の櫓を渡した城門だよ。神奈川県の小田原城や広島県の福山城、佐賀県の佐賀城にあるね。
お城に向かってくる敵兵を監視できるようになっていて、石落とし(床板の開口部)から下に石を落としたり、鉄砲を撃ったりすることもできるんだ。
<枡形門(ますがたもん)>
四角形に周りを囲んで2ヶ所に門が建てられたものだよ。「桝形虎口」とも呼ばれているね。
高羅門と渡櫓門を組み合わせた桝形門が主流だったといわれているよ。
お城の中でも重要な場所に採用されていたんだって。
東京都の江戸城には外桜田門・田安門・清水門という3つの枡形門があって、どれも国の重要文化財に指定されているよ。
<冠木門(かぶきもん)>
基本構造のみで、屋根の無い門だよ。雨風を凌げないこともあって、あまり城門では見かけない形だけど、熊本城に頬当御門(ほほあてごもん)があるね。
江戸時代には平屋建ての城門の総称を指して冠木門と呼ばれていたんだって。
<埋門(うずみもん)>
基本構造が石垣で挟まれていて、冠木の上に土塀が造られた門のこと。
石垣の下部をくり抜いて通路にしたものもあるよ。姫路城の「る」の門なんかもそうだね。
<その他>
・門を長屋の中に組み込んだ「長屋門(ながやもん)
・門に鉄板を張り付けた「鉄門(くろがねもん)」
・隙間を開けて鉄板を貼った「筋金門(すじがねもん)」
・鉄板の代わりに銅板を貼った「銅門(あかがねもん)」
・基本構造から控柱を省いた「棟門(むなもん)」