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2020年7月6日
京都府亀岡市にある谷性(こくしょう)寺は、「麒麟がくる」の主人公である戦国武将・明智光秀のゆかりの地なんだ。
その谷性寺の門前に、観光園「ききょうの里」がオープンしたよ。
このききょうの里には、涼しげな紫色のキキョウや、整備された庭園散策を楽しめるんだ。
キキョウといえば、明智家の家紋としても有名だよね。
ここでは明智家の家紋についてまとめてみよう。
目次
【明智光秀の家紋はキキョウ】
明智氏の家紋は「キキョウ」なんだ。
キキョウは秋の七草の1つで、上品な青紫の色合いと可憐な姿が親しまれている五弁の野の花だよね。
キキョウ紋は、キキョウ科の多年草であるキキョウの花、葉、茎を図案化した家紋なの。
キキョウという名前の由来は、キキョウの花を仏や神に捧げて、吉凶を占ったことから「吉凶を占う花」として「きっきょう(吉凶)」が「キキョウ(桔梗)」に変化したと言われているよ。
明智氏は、美濃国に移住した土岐氏の支流とされていて、この土岐氏の家紋もキキョウなんだよ。
鎌倉幕府後家人であった土岐氏初代の土岐光衡が、戦陣で兜にキキョウの花を飾って勝利をおさめたことから、家紋がキキョウになったと伝えられているんだ。
つまり、明智家の家紋は、主筋ゆかりの家紋になるんだよ。
またキキョウの紋は、可憐な印象で代表的な女紋でもあるよ。
女紋とは、主に母親から娘へと受け継がれる紋のこと。
【光秀の家紋は珍しい「水色キキョウ」だった?!】
明智氏の家紋は、土岐氏の家紋であるキキョウを受け継いだんだけど、実は明智氏が使用したのは「水色キキョウ」と言って色がついていたの。
植物紋としてたくさんのバリエーションがあるキキョウ紋なんだけど、その中でも明智氏が使用した「水色キキョウ」はとても珍しいんだ。
その名の通り、青系統に着色された色付きの家紋なんだよ。
水色キキョウは珍しいだけではなく、水色でよく目立ったため、織田信長も光秀の家紋を羨ましがっていたんだって。
この水色キキョウは、美濃源氏・土岐氏が戦国以前に「桔梗一揆」と称して結束して、水色の旗を揚げたと言われていて、その名残から使われたそう。
戦国時代当時の染料がどのような発色だったかは良く分かっていないんだけど、通常のモノクロで描かれる場合には「陰のキキョウ」と言い白い線で形を出して、中を白抜きにしないで黒でカラー面を表現したと考えられているよ。
本能寺の変で、織田信長が兵に囲まれたとき、兵士が担いでいる旗に「水色キキョウ」の紋が描かれていたことで、明智光秀の謀反であると信長が認識したとも言われているんだ。
【光秀以外にもキキョウ紋を使用した武将はいる!!】
光秀と同じキキョウ紋を家紋にしていた武将は何人かいるんだよ。
まとめてみょう。
・坂本龍馬
坂本龍馬もキキョウ紋を使用していたそう。
そのため、光秀の子孫なのではないか?という説もでたそう。
実際のところ否定的な意見が主流なんだ。
・山県昌景(やまがたまさかげ)
山県昌景は、武田信玄で有名な武田家の武田四天王の1人。
山県昌景もまた、キキョウ紋を家紋にしていたんだよ。
美濃山県氏といわれる一族で、土岐氏と同じく源頼光の流れを汲んでいるとされるので、先祖は明智光秀と同じなんだ。
そのため、家紋も同じキキョウ紋であったとされているよ。
・加藤清正
加藤清正は、藤原道長の流れを汲んでいる道長流加藤氏の一族。
道長流加藤氏の家紋は蛇の眼とキキョウ紋だったと伝わっているんだ。
【ききょうの里に行ってみよう!】
京都府亀岡市にある谷性寺の門前に開園した「ききょうの里」の園内には、明智家の家紋とされる紫、白など色とりどりのキキョウが咲いているよ。
アジサイの花もあるため、しっとりと雨露濡れた梅雨時期の花を楽しむことができるんだ。
キキョウと言えば紫色がメジャーだけど、園内には珍しいピンク色や八重咲のキキョウなども咲いているよ。
ききょうの里は、毎年ききょうが咲く時期のみオープンするんだ。
今年は7月31日までの期間限定なんだけど、亀岡市に行った際にはぜひとも立ち寄ってみたいね。
営業時間は午前9時~午後16時までで、入園料は600円。
亀岡市にある「麒麟がくる 京都大河ドラマ館」の入館券を提示すれば割引があるよ。