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2020年5月20日あって当たり前、だけどなかったらとても困る場所が「厠」。
お城を構成するものの一つなんだけど、「厠」がどんなものか知っているかな?
戦国時代にも、大名たちにとって重要な場所になっていたんだって。
厠が戦の勝敗を左右するとまでいわれるくらいなんだよ!
なんでも、武田信玄は厠で戦略を練っていたとか…。
ここでは「厠の読み方は」「厠とはどんなものか」「厠と戦国大名」の3つのテーマで厠を解説していくね♪
目次
【厠の読み方は?】
厠の読み方は「かわや」だよ。「川屋」「交屋」とも呼ばれていたんだ。
水の流れる溝の上、川上にかけ渡した屋という意味の「川屋」が厠の由来だったという説が有力なんだよ。
人が代わる代わる訪れるから「交屋」という説もあるみたい。
「厠」は奈良時代から使われているよ。
【厠とは?】
厠とは一言でいえば「トイレ」のこと。
「手水(ちょうず)」「雪隠(せっちん)」などと呼ばれたりもするよ。
現代では便所やお手洗いの方が呼び方としては浸透しているよね♪
日本の伝承伝統ではトイレに神様がいるといわれていて、「厠神(かわやがみ)」なんて呼ばれているんだ。
今は洋式が主流になっていて、ウォシュレットがついているものもあるよね。
数は少ないけれど古い建物だと和式便所が残っていたりするね。
奈良時代までは川で用を足すのが一般的で、トイレという設備自体が存在しなかったんだ!現代じゃ考えられないよね。
トイレが誕生したのは平安時代のこと。
戦国時代には洋式・和式という括りはもちろんなくて、武家と庶民とで厠の形状やつくりに違いがあったんだって!
厠はお城の天守や屋敷、御殿などさまざまな場所に設置されていたよ。
【厠の形状やつくりの種類は?】
戦国時代に使われていた厠の形状やつくりをみていこう!
<樋箱(ひばこ)>
大名のような上流階級のひとたちが使用していた厠だよ。
樋箱はトイレが普及しはじめた平安時代から使われていたんだ。
フタを開けたところにまたがって用を足すようになっているよ。
「おまる」みたいなものっていえばわかりやすいかな?
部屋の隅に置かれていたんだけど、使用後の臭いを消すために砂をかける習慣があったんだって。
<汲み取り式(くみとりしき)>
お城や屋敷の中に備えられた厠で、今でいう和式便所に近いのが汲み取り式だよ。
専用の部屋がつくられていて、床に厠が埋め込まれていたんだ。
武家ではこの厠が一般的だったんだって。
家臣が大名のお尻を拭いたり暑い日に仰いだり…トイレのお世話をしていたというから驚きだよね!
大名の厠は6〜12畳と広くて天井も高かったんだけど、それは槍で串刺しにされないため。
万が一敵が襲撃してきたときに逃げられるよう、出入口も二か所設けられていたんだ。
トイレの大きさも戦国大名にとっては死活問題だったんだね!
<辻便所(つじべんじょ)>
大名は当たり前のようにトイレを使っていたけれど、庶民にはそこまで普及していなかったんだ。
道端で用を足すことも珍しくなかったんだって。。。
衛生的にもよくないってことで、庶民のために誰もが使える共同トイレが道端に設けられたんだ。それが辻便所だよ。
板の仕切りが三方向にしかなくて、外から丸見えだったというから現代ではあり得ないよね!
【武田信玄は厠で戦略を練っていたって本当?】
戦国時代の有名な武将「武田信玄」はトイレをとても大切な場所としていて、なんと本拠地の居館・躑躅ヶ崎館に水洗式の厠をつくっちゃったんだ!
信玄のトイレは6畳。
床に畳が張られていて、お風呂から桶で水が引かれていたんだって。
そして、残り湯で排泄物を流すようにしていたんだよ。
二人の家来を香炉担当にして、朝・昼・晩の3回沈香(じんこう)を焚かせたことは有名だね。
落ち着けるからという理由で、厠で諸国からの書付を読んだり戦略を練ったりしていたんだって!
信玄は厠に「甲州山」なんて愛称まで付けていたんだ。
「草木=臭きが絶えぬ」「荷負う=臭うもの絶えず」というダジャレからきているっていう説があるんだよ。
ユーモアにあふれているよね♪