昔は2万5千以上のお城があったのに、なぜこんなにお城が少ないの?その理由は?
2020年2月24日大河ドラマ「麒麟がくる」の明智光秀ってどんな人だったの?
2020年2月24日お城のてっぺんに飾られているしゃちほこ…あれっていったい何の意味があるんだろう。
そう疑問に思ったことがある人は多いはず。
名古屋城の金のしゃちほこは有名だけど、しゃちほこが何なのか知っている人って実は少ないんだ。
ここでは、しゃちほこについて解説してみるね。
目次
【しゃちほこは空想上の生き物】
天守の屋根に飾られているしゃちほこは漢字では「鯱鉾」と書くよ。
しゃちほこは想像上の生き物である「鯱(しゃち)」の姿をかたどった飾りのことなの。
水族館にいる海のギャングのシャチとは、まったく別物だよ!
空想上の鯱には、龍(虎ともいわれる)の頭を持っていて、胴体は魚、体には鋭いトゲが生えているんだって。
聞いただけでもなんだか怖いね…。
この鯱は、クジラする殺すことができるほどどう猛な生き物であったと言われているよ。
【なぜ天守閣にしゃちほこが飾られるようになったの?】
想像上の生物である鯱(しゃち)は口から水を吐いて火を消す力もあると言われているの。
日本ではお城や寺院など木造建築がほとんどだったから、火事になってしまうとすぐに燃えてしまう…。
そこで、寺院や城郭では、天守や本堂など重要な建物に火除けの守り神として鯱を飾るようになったと言われているんだ。
つまりしゃちほこは大切なお城を火から守るための守り神なんだよ。
【織田信長がしゃちほこを飾り始めた?!】
しゃちほこがお城の上に乗せられるようになったのは、織田信長が安土城を造った時がきっかけ。
安土城の天守や櫓(やぐら)、城門の屋根の上に瓦で作ったしゃちほこを上げたんだ。
その後、信長の跡を継いだ豊臣秀吉が建てた伏見城、大阪城の天守にも金のしゃちほこが飾られていたよ。
信長と秀吉がしゃちほこを天守に飾ったことで、それ以降、お城にしゃちほこを乗せることが1つのステータスになったんだ。
【名古屋城の金のしゃちほこ】
しゃちほこと言えば、名古屋城というイメージする人がほとんどだよね。
名古屋ではしゃちほこがシンボルになっているほど。
しゃちほこは、瓦で作られていることがほとんど。
豊臣秀吉が造った大坂城も瓦の表面に金箔を貼って作ったといわれているよ。
一応、金色はしているものの、金箔を貼っただけなので輝きは少なめ。でも当時はこれが標準だったんだよ。
徳川時代に建てられた名古屋城には、金属製のしゃちほこが登場。
耐久性のある素材を使った金属製のしゃちほこは、高級品で築城者の財力、権力を誇示していたんだ。
名古屋城の金しゃちほこには、雌雄一対のしゃちほこに1940枚の慶長大判を使用。
金の総重量はなんと215.3キロにもなったとか。現在の金の価値で考えると、金のしゃちほこだけで約12億560万円にもなるよ。
しかし幕末の頃には、尾張藩の財政危機によって、赤字を補填されるために金しゃちほこから金を剥いでお金を工面していたそう。
この金はぎ取りは江戸時代に3回行われたんだ。その結果、金色に輝いていたしゃちほこの鱗はすっかり薄くなってしまったよ。
さらに名古屋城は太平洋戦争時の空襲で天守、本願誤伝が消失、しゃちほこもなくなってしまったんだ。
街のシンボルを失った悲しみは深く、戦後すぐに天守再建の動きが起こり、名古屋城は昭和34年に再建天守として復活。
天守のシンボルの、金しゃちほこも復元されたよ。現在の金しゃちほこは約88キロの金を使用しているの。
【どこのお城にしゃちほこはあるの?】
模擬天守まで含めれば、岡山城、大坂城、清洲城、墨俣城など全国各地のお城でしゃちほこを見ることができるよ。
その中でも、信長が居城とした城の中で、清洲城、岐阜城、小牧山城ではしゃちほこが金色になっているんだ。
しゃちほこにも築城者の思いがたくさん詰まっているので、お城巡りをする時には、ぜひチェックしておきたいね。