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2020年5月2日
天下普請は、江戸幕府が全国の諸大名に命令して行わせた土木工事のことなんだ。
この天下普請で築城されたお城は、しっかりと整備されたと言われているよ。
今回は、天下普請について分かりやすく解説してみよう。
目次
【天下普請で築かれたお城はどこ?】
天下普請は、江戸幕府が全国の諸大名に命令して、行わせた土木工事で、城郭普請が有名だよ。
でも天下普請の中には、城郭普請だけではなく、安倍川や木曽川の治水工事や、南宮大社の社殿再築などのインフラ整備などの工事もあったそう。
天下普請では石材が大量に必要になったため、大名たちは伊豆や小豆島など石の産出地に石丁場を設けたそう。
丁場跡には現在でも石を切り出した跡、使われなかった巨石などを見ることができるんだ。
天下普請で築かれたお城は以下の通り。
・江戸城(武蔵国・東京都)
・名古屋城(尾張国・愛知県)
・大坂城(摂津国・大阪府)
・高田城(越後国・新潟県)
・駿府城(駿河国・静岡県)
・伊賀上野城(伊賀国・三重県)
・加納城(美濃国・岐阜県)
・福井城(越前国・福井県)
・彦根城(近江国・滋賀県)
・膳所城(近江国・滋賀県)
・二条城(山城国・京都府)
・丹波亀山城(丹波国・京都府)
・篠山城(丹波国・兵庫県)
有名なお城が多いよね。
天下普請では築城名人の藤堂高虎が多くの城の縄張りを手掛けたんだよ。
層塔型天守、枡形虎口など、藤堂高虎の築城技術はコスト面、防御面どちらをとっても他を圧倒しており、全国に広まったんだ。
【天下普請が行われた目的ってなに?】
統一政権下での公共工事のようなものであった天下普請は、築城以外に、河川改修、街道整備などの大規模工事を全国の大名に割り振って手伝わせていたため、「手伝い普請」と呼ばれることもあるんだ。
現場で働く人足の手配、資材まですべて大名持ちだったそう。
天下人にとっては、自分の権力を誇示でき、諸大名の貯蓄を減らして勢力を削ぐことも目的だったんだよ。
でも諸大名にとってデメリットばかりだったか?というとそうでもないんだ。
天下普請に参加することで、最新の築城技術を習得できたんだよ。
全国に見事な近世城郭がたくさん誕生したのは、この天下普請があったからとも言われているの。
【天下普請は大坂の準備のために行われた?】
天下普請は徳川家康が大坂の陣の準備のために行ったのではないか?とも言われているよ。
関ヶ原の戦いから1605年ころまでに、天下普請で築城・修築されたのは伏見城、加納城、彦根城、膳所城など。
関ヶ原の戦いの一連の戦で落城したお城が多く、美濃・京都間の交通路を抑える意味合いもあったんだよ。
また、二条城や福井城もこの時期に、天下普請が行われているんだ。
1605年~大坂の陣までの時期に天下普請されたのは、江戸城の本丸、駿府城、名古屋城、高田城、彦根城、丹波亀山城、篠山城など。
重要政策だった東海道などのが街道整備だけではなく、西国大名への牽制もあった様子がうかがえるね。
豊臣家が存続していたため、家康は西国を気にしていたのかな。
大坂の陣以降に天下普請が行われたお城は、江戸城拡張、大坂城、二条城、彦根城などで、政治的拠点の充実を図るために行われたと言われているんだ。
江戸の大都市化と、豊臣家がなくなった後の経済を掌握するための大坂城の造り替えを重点的に行っているね。
また、幕府の拠点である二条城は、天皇の行幸を見越して拡張整備されたと言われているんだ。
【天下普請で作られたお城は実に見事!!】
全国にある天下普請で作られたお城の築城技術は実に高いんだ。
石垣や堀の作りを見れば、苦労して造られたことがよく分かるよ。
築城技術を競い合って、世界に誇る城郭建築を作り上げた大名たちは本当にすごいね。
天下普請で作られたお城をめぐる時には、築城技術にも注目してみよう。