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戦国時代の貨幣事情とは?!仲立ちを依頼するのに1000万円必要だった?!

 

「麒麟がくる」第11話では人質交換が行われ織田側が劣勢となっていったね。
光秀は高政(斎藤義龍)に頼み、土岐頼芸との面会にやっとこぎつけたんだ。

そして、なんとか頼芸から将軍家への文とお金を用意してもらって将軍・義輝の元へ行くことに。

 

この話からも分かるように将軍に仲立ちを頼む場合、たくさんのお金が必要だったんだ。
ここでは当時のお金についてまとめてみよう。

将軍レモン
将軍レモン
将軍さまにお会いするだけでも多額のお金が必要だったんだよ。。。

 

【将軍に仲立ちを頼むためには金10枚が必要だった】

 

「麒麟がくる」の中でも登場するけれど、将軍に仲立ちを頼むためにはたくさんのお金が必要だったの。

その当時金1枚が100万円ほどの価値があったといわれているんだ。
将軍に仲立ちを依頼する場合金10枚が必要で、今の価値で換算すると1000万円も必要だったんだよ。

 

室町時代末期には、全国共通の高額貨幣というものはなくて、経済流通では「金」が主流だったんだ。
それぞれ各地の大名によって金貨が鋳造されていたのでは?と言われているけれど、現存しているものはないの。

レモン姫
レモン姫
将軍さまは金の大金持ちだわね!

 

【戦国時代の貨幣とは?】

 

次に戦国時代の貨幣について歴史をまとめてみるね。
戦国時代には、大名同士が勢力を競う中で、鉱山開発も盛んになったんだ。

 

さらに、諸外国との交易を通じて新しい精錬技術も導入されるようになって、金や銀の産出量が飛躍的に増大したんだよ。
大名たちは、基本的には自領内が1つの独立した経済圏だったから、それぞれが産出した金銀を用いて独自の金貨・銀貨を鋳造して、自領内で流通させていったんだ。

 

貨幣が全国で統一されるのは戦国時代ではなく、徳川家の時代、つまり江戸時代になるんだよ。
江戸時代初期には、全国一律に通用する金・銀・銅貨が制定されるんだ。
これによって、貨幣経済は一気に加速するよ。

 

【色々な貨幣が流通していた戦国時代】

 

戦国時代には、全国共通の貨幣もなく、為替レートのようなものも存在しなかったの。
それぞれの大名が自前の金貨、銀貨を発行していたから、全国には多種多様な貨幣が出回っていて、それが取引に使われていたんだ。
戦国時代に有名だった貨幣をいくつかまとめてみるね。

 

・渡来銭

砂金などの輸出品との交換で中国から輸入された貨幣のこと。
渡来銭の中でも明王朝で鋳造された永楽通宝は材質も良くて、重さや形も一定していたから、日本国内でも広く出回ったそう。

・甲州金

戦国大名が私的に鋳造した貨幣の中で、最も有名なのが甲州金だよ。
かの有名な武田信玄が発行した金貨になるんだ。
武田氏の金山開発が、他の国を圧倒していたことがよく分かるね。
甲州金には7種類の貨幣があって、お互いに交換比率がきちんと決まっていたそう。

忍レモン
忍レモン
武田信玄さまの甲州金!武田家領土の金山の力を見せつけていた歴史ですね!

 

【信長の経済政策は優れていた!】

 

戦国時代、全国共通の貨幣はなかったものの、織田信長の経済政策は優れていたといわれているよ。
天下を統一したのは信長ではなく豊臣秀吉だけど、その下地を切り開いたのは紛れもなく織田信長であったんだ。

信長は永禄12年(1569年)に京洛を中心とする畿内領域に通貨法令を発布したよ。
その内容はとても画期的だったんだ。
どんな内容かまとめてみよう。

 

・高額取引には金銀を使用

薬、タンス、茶わんなどの高額取引には金貨、銀貨を使うように指示したよ。
その当時、金貨や銀貨は希少価値が高く、褒美や贈答、海外との貿易の交換品として扱われるのが一般的だったんだ。

しかし、信長は一般的な取引でも金貨や銀貨を使うように変えたんだよ。
この法令によって、金銀が貨幣としての価値を持つようになっていったの。

 

・交換レートを整備した

信長は、通貨法令によって金、銀、銅銭の交換比率を定めたよ。
多種多様な銭が流通していた戦国時代は、価値の保証がない貨幣を商取引に用いるのはとてもリスキーだったんだ。

そのことが、円滑な経済活動の妨げになっていたため、信長はこの状況を整理。
基準となる「精銭」を指定して、それに対するレートを担保することで、経済活動の安定化を図ったんだよ。

 

・鐚銭(びたぜに)の流通促進

鐚銭とは粗悪な銭貨幣のこと。渡来銭などをそのまま型にお用いて私的に鋳造され、流通していた貨幣なんだ。
戦国時代、市場では取引の際に、銭を受け取る側が、質の悪い鐚銭を拒否して、質のよい銭だけを受け取ること「撰銭(えりぜに)」が行っていたの。

そこで、信長は鐚銭と精銭の交換レートも明確に定め、精銭の価値を担保したんだ。
この政策によって、タンスで眠っていた精銭が使えるようになって、市場に積極的に流通するようになったよ。
信長自身も、皇族への献上金や軍勢の宿泊費などをすべて鐚銭で支払っていたという記録も残っているんだ。

信長はこのような経済政策が非常に優れていたと言われているよ。

 

足軽レモン
足軽レモン
今のお金の統一ルーツが織田信長によって行われたということになるのかな。
レモン姫
レモン姫
逆に今までレートを統一しようとしなかった、出来なかったのも戦国時代ならでは、なのかもしれませんね。