墨俣城 – 木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)が築いた墨俣一夜城ってどんな話?
2020年4月27日天下普請(てんかぶしん)って何?天下普請で築城されたお城は、しっかり整備!
2020年4月27日江戸幕府(徳川幕府)になると、諸大名の統制のために制定した基本法「武家御法度」ができたんだ。
また、諸大名に対して、居城以外のすべてのお城の破却を命じた「一国一城令」という法令も制定されたんだよ。
今回は、徳川幕府が定めた一国一城令と武家御法度についてまとめてみよう。
どのような目的でこの法令はできたのかな?
【武家御法度とは?】
武家御法度とは江戸幕府二代将軍である徳川秀忠が大名に課した決まり事だよ。
この武家御法度は守るのが大変な法律だった上、違反した武士に対しては厳しい罰が与えられたそう。
武家御法度は大名の行動を取り締まり、反乱を起こさせないようにするために作られたんだ。
武家諸法度は13ヶ条から成っていて、その内容が以下の通りだよ。
・大名は新しく城を造ってはいけない、城の修理をする時は届け出をする
・許可なく結婚をしてはいけない
・大名は学問と武術を磨くことに努めなければいけない
・大勢で酒を飲んだり、遊んだりしてはいけない
・法令にそむいた者を国に隠してはいけない
・自分の国に反逆者や殺害者がいたら、追い出す
・自分の領地に他国の人を住まわせてはいけない
・参勤交代の時、決められた以上の家来を連れてはいけない
・隣の国で変わったことをしようとする者がいたら届け出る
・服装や飾り物は、身分以上の上下の違いを間違えないようにする
・身分の低いものがかごに乗ってはダメ
・武士たちは倹約しなければいけない
・諸大名は能力ある者を用いて、よい政治を行わなければいけない
この内容を見ても、かなり決まり事が多いのがよく分かるね。
目次
【一国一城令ってなんなの?】
一国一城令は、武家諸法度が出される1ヶ月前の1615年6月に発令された制度なんだ。
この一国一城令は、当時の大名が所有していない城を全て壊させるというものだよ。
一つの国にはお城を一つだけ正式に認めるという大名を取り締まるための法律であった一国一城令では、お城を一つだけ認める代わりにそのほかのお城はすべて壊さなければいけなかったんだ。
この一国一城令によって、それまで全国に約3000ほどあった城が、約170まで減少したんだよ。
ただ一国一城令には例外があって、一国を複数の大名が領有していた場合には、一藩につき一城が認められたそう。
伊予国では、複数の大名が領有していたので、今治城、松山城、大洲城、宇和島城が残されていたんだ。
また、一藩で複数の国を領有していた場合も、一国につき一城が認められたよ。
だから、一藩で二つ以上のお城を所有している藩もあったんだ。
三重県を治めていた津幡は、伊勢と伊賀の二国を領有していたから、津城と伊賀上野城の二つのお城が認められていたよ。
【一国一城令の目的とは?】
一国一城令により廃城となったお城の多くは西日本のお城だったんだ。
外様大名の多い西エリアの大名たちの戦力をできるだけ削って、徳川家による全国統治を盤石にすることが一国一城令の一番の目的だったの。
その目的をさらに推し進めたのが、一国一城令の発令の1ヶ月後に公布された武家諸法度だよ。
この武家諸法度の中では、「今後、新たに築城することを禁止する」「城を修復する時には、幕府への届け出が必要」といった内容になっているんだ。
この武家諸法度によって、増築や改築はもちろん、修復することさえ困難になってしまったの。
諸大名にとって城という存在が、いかに戦における脅威になっていたかがよく分かるね。
徳川体制が盤石になるにつれて、軍事施設であった城の機能は徐々に失われていくことになるよ。
【一国一城令のメリットとは?】
一国一城令は、全国の各大名や藩の軍事力を制限するものだったので、悪いイメージが強いんだけどそんなことはないんだ。
壊されたお城は、大名の家臣が持っていたお城だったものもあるから、お城を持つということが大名の大きな特権となったんだよ。
この一国一城令によって、大名と家臣の身分が明確に分かれ、家臣の統制がよりしやすくなったとも言われているんだ。