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光秀と妻・煕子は夫婦仲がとてもよかった?!夫婦愛を感じられるエピソードをご紹介

称念寺 山門(2020年)

 

前回は明智光秀の妻・妻木 煕子(つまきひろこ)について紹介したね。

 

今回も光秀と煕子についてのエピソードをいくつか紹介しよう。
光秀と煕子はとても夫婦仲がよくラブラブだったと言われているんだ。

2人の仲の良さを伝えるエピソードをいくつか紹介していくね。

 

【病気で顔に跡が残ってしまった煕子を妻にした光秀】

 

煕子と光秀の婚約は、お互いの実家である妻木家・明智家が縁談を進めていたんだ。
結婚の話が順調に進み、煕子の嫁入りが間近に迫った際に、悲劇が起きたの。

なんと煕子が天然痘に感染してしまったんだ。
一命はとりとめたものの、天然痘に感染したことによって、顔に大きな跡が残ってしまったの。
戦国時代においては、天然痘は一般的な病気で、伊達政宗も天然痘によって視力を失ったのは有名だよね。

 

もともと、煕子は非常に美人であったと言われていたんだけど、跡が残ったことで美貌が損なわれ結婚話も流れてしまうのでは…と妻木家は焦ったそう。
当時の結婚は家の存亡をかけた政略結婚が基本だったので、妻木家にとっては一大事だったの。

焦った妻木家は、顔に跡ができてしまった煕子に代わって、煕子の妹を替え玉として光秀の元へ送ったんだ。
光秀と対面する場面になり、替え玉と対面した光秀はすぐに「この女性は煕子ではない」と見破ったそう。

妻木側の家臣たちが、慌てて事情を説明すると、光秀は「容姿は年月、病気によって変わってしまうもの。しかし内面は不変である。」と伝えたと言われているんだ。
結局、跡が残ったことなど気にせず、光秀は煕子と結婚したんだよ。

なんとも素敵なエピソードだよね。

レモン姫
レモン姫
素敵です♪

【身重の煕子を背負って越前へと逃げ延びた?!】

 

光秀と煕子のラブラブエピソードはまだまだあるんだ。

弘治2年(1556年)光秀とその一族である明智家は「斎藤道三 VS 斎藤義龍」のお家騒動に巻き込まれてしまうんだ。
明智家は、道三寄りの中立を決め込むものの、長良川の戦いで道三は敗死。

その後「明智家は道三側についた」と義龍側の怒りを買ってしまうことに…
明智家は大軍に攻め込まれ、本拠地・明智城は落城してしまうんだ。

 

光秀は一族と運命を共にしようするするんだけど、叔父・明智光安に「生き延びろ」と言われ、逃げ延びることを決めたんだよ。
でも、そこで問題が発生してしまうの。

当時、煕子は妊娠中で、嫡の追っ手をかいくぐって逃亡させることは困難だったんだ。
でも、煕子を残して自分1人で逃げることはできないため、光秀は身重の煕子を背負って、越前へと逃走を図ったというエピソードが残っているの。
自分も討たれてしまう可能性が高くなるにも関わらず、煕子を守り通した光秀の愛の深さに感心してしまうね。

結果として、光秀の策は成功!光秀と煕子は命からがら美濃を脱出することができたんだよ。

足軽レモン
足軽レモン
身重の煕子をおんぶして逃走!敵に捕まらなくて本当によかったです!

 

【貧しい暮らしを自らの髪の毛を売って支えていた】

 

光秀と煕子の愛にあふれるエピソードの1つが、貧しかった光秀の暮らしを、煕子の髪を売って支えたというもの。

明智一族の跡取りから、一介の浪人へと転落してしまった光秀は、越前朝倉氏の元へ落ち延びたともいわれているんだけど、その間貧乏暮らしを強いられていたそう。
でも、戦国時代を生き抜くために「金」がどうしても必要だったの。

 

光秀は連歌会を開催するために準備していたものの、連歌会主催にはとにかく資金が必要になるんだ。
光秀は連歌にたけた武将であったことは有名で、連歌は娯楽のためではなく、政治的な意味合いもあったから、連歌会の開催はお金がなくても開催しなければならなかったそう。

光秀は煕子に対して「客人をもてなしてほしい」と頼むものの、家にはもてなすものが何もない状態…
そこで煕子は、自分の髪を売ることで費用を捻出して、連歌会の準備を整えたんだよ。

 

髪を売ることに関しては相談なしに煕子が勝手におこなったんだ。

髪を短く切って容姿が変わった煕子を見て、光秀は「お前、家出をする気ではなかろうか?」と怒りをあらわにしたんだって。
この当時の光秀は、落ちぶれた身の上だったため、光秀は煕子が自分に愛想をつかして家を出てしまうのでは?と考えたんだ。

事情を話した煕子に対して、光秀は深く煕子に感謝をし「天下をとっても煕子以外の妻は作らない」と決意したんだよ。
なんとも涙ぐましい愛溢れるエピソードだよね。

実際、光秀は側室をもうけなかったと伝わっていて(側室がいたという諸説もある)、それが本当であれば正妻である煕子を愛していたことが良く分かるよね。

足軽レモン
足軽レモン
光秀は煕子の外見ではなく内面を見ることができ、本当に愛していたんだね。

【光秀・煕子夫婦の夫婦愛に感動した松尾芭蕉が句を残した?!】

 

明智光秀と妻・煕子が亡くなってからおよそ100年近く経過した元禄2年(1689年)に、俳諧の第一人者である松尾芭蕉が明智夫婦に関する歌を詠んだといわれているんだ。

松尾芭蕉が、のちに「おくのほそ道」としてまとめられる旅行中に、煕子が自分の髪を売って光秀を支えた話が伝わる寺・称念寺が訪問したそう。
その話を聞いて松尾芭蕉は感動したんだって。

その後、芭蕉は弟子である山田又玄の家へ向かうことに。
又玄は才能は確かにあるものの、出世が叶わず貧しい暮らしを強いられていたんだ。

しかし、又玄は芭蕉の訪問を歓迎し、又玄の妻は甲斐甲斐しく芭蕉をもてなしてくれたそう。
気立てのよい又玄の妻の姿を見て、芭蕉はとても感激し、感謝のために歌を送ったんだよ。

その歌は「月さびよ 明智が妻の咄(はなし)せむ」というもの。
「明智が妻の咄(はなし)」というのは、煕子が髪を売った逸話のことだよね。

芭蕉はこの光秀と煕子の逸話になぞらえて又玄に対して、「あなたは出世できずに貧しい状況にあるけれど、これほどまでに素晴らしい妻がいるじゃないか」と語りかけたんだ。
芭蕉をも感激させた煕子の心遣いはすごいよね。

 

レモン姫
レモン姫
貧しい時から支え合ったしっかりと夫婦だったんだね♪
将軍レモン
将軍レモン
明智光秀の思いやりも素敵です♪