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明智光秀の正妻・妻木熙子(ひろこ)はどんな人物だった?!その正体はよく分かっていない?!

細川ガラシャ生誕の地(明智神社(福井市)

 

「麒麟がくる」第9話では、光秀がのちの正妻となる熙子(ひろこ)と再会を果たしたね。

ここでは木村文乃演じる明智光秀の妻「妻木熙子」についてまとめてみよう。
熙子はどのような人物だったのかな?

レモン姫
レモン姫
木村文乃さん、美人ですよね♪ 素敵です♪

 

【妻木熙子はどんな人物だったの?】

 

光秀の正室で、美濃の土豪・妻木氏の娘でもある妻木熙子は、戦乱に明け暮れ疲弊する光秀の心の支えとなる女性だよ。

生まれ年はわかっておらず、一説によると享禄3年(1530年)説と天文3年(1534年)説があり、長女として生まれたそう。
熙子の家は、明智家と同様に美濃国守護をつとめた土岐氏にルーツを持つ一族だったの。

 

また子供については俗説が多く、もうけたとされる3男4女のうち、母は別であるという異説があるものも含まれるんだ。

長女が明智光春(秀満)の室、次女が明智光忠の室、三女・珠(細川ガラシャ)が細川忠興の室、四女が織田信澄の室となり、嫡男の十兵衛光慶(千代寿丸)、次男の十次郎光泰、三男に乙寿丸がいたとい言われているよ。

 

三女・珠(細川ガラシャ)は有名だよね。
細川ガラシャは、細川忠興の妻で、父・光秀の謀反によって、激しい最期を迎えた人物だよ。
自害して建物ごと炎に包まれて最期を迎えるという激しい死に様となったんだ。

ガラシャが残した辞世の句「ちりぬべき 時しりてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」はとても有名だよ。

この句の意味は「散るべき時を知っているからこそ桜は美しい。そして、人もまたそのような人がこの世にはふさわしいのだ」というもの。

その壮絶な最期と共に人々の記憶に残されることになったよ。

 

熙子に関しては残されている史料が極めて少ないため、その実像が良く分かっていないんだ。
なぜ史料が少ないのか?というと、夫・光秀が正規の謀反人になり敗者となったため、明智家そのものに関する史料が残されなかったんだよ。

レモン姫
レモン姫
明智神社(福井市)に細川ガラシャ生誕の地として石碑などがあるよ。
忍レモン
忍レモン
細川ガラシャはキリシタンでも有名だよね!

 

【光秀との結婚時期も分かっていない】

 

実は、明智光秀と熙子の結婚時期も、定かではないんだ。

ただ、戦国時代の慣例に照らし合わせると、10代頃には夫婦関係にあったのでは?と推測されているよ。

 

光秀の生年に関しては、
・永正13年(1516年)生まれ
・享禄元年(1528年)生まれ
・天文9年(1540年)生まれ
の3つの説が有力になっているので、1528年説であれば熙子との年齢差は2~6歳程度となるね。

レモン姫
レモン姫
10代の頃に正室になっていたとしたら激動の時代を明智光秀と側で共に一緒に歩んできたことになるよね!

 

【「本能寺の変」の時、熙子はどうしていたの?】

 

明智光秀といえば「本能寺の変」で主君である織田信長を討ったことで有名だよね。

本能寺の変で、信長をぼろぼろにした光秀だったけれど、天下人となったのはわずか10日程度。
すぐに、羽柴秀吉(のちの豊臣秀吉)に敗れて、逃走のさなかに非業の死を遂げてしまうんだ。
この話は歴史的にもとても有名だよね。

 

ではその頃、妻である熙子はどうしていたんだろう?
実はこの頃の熙子についても諸説あって、どれが本当なのかはよくわかっていないの。

1つ目の説は「本能寺の変」後に自害したという説。

この時、居城・坂本(滋賀県)を守っていた熙子は、家臣たちに金銀を与えて落ち延びさせていたんだ。
その後、自らは娘婿である明智秀光に命じて、命を絶たせたといわれているよ。
ただ、この説は軍記物語などに基づいた話なんだ。

 

2つ目の説は「病気」説。

1576年ころ、熙子が病気となり、光秀がその病気の治癒を祈祷させた記録が残っているんだ。(吉田兼見に祈祷を依頼している)

病気に関しては10月に病気が治ったと「兼見卿記」に記載があるものの、その翌月に病状が急変して死亡したといわれているの。
光秀が重病となった際の看病疲れが元で病気になって、病死したとも言われているんだよ。

この病気説が起こったのは、本能寺の変が起こる6年前と言われているため、この説が本当であれば熙子は、夫・光秀が行った本能寺の変を知らずに亡くなった…ということになるね。

 

将軍レモン
将軍レモン
どちらの説が本当なのか、ミステリーですな。

 

レモン姫
レモン姫
次回の記事は、二人の素敵なエピソードを集めてみたよ♪