外交力、軍事力に優れた東海道一の武将・今川義元ってどんな人物だったの?
2020年6月20日主君・細川晴元をも脅かす存在だった戦国時代はじめての天下人・三好長慶ってどんな人物なの?
2020年6月22日
「麒麟がくる」第5話では、室町時代末期の、京の都で起こっていた政権争いについても描かれていたね。
ここでは、その当時の室町幕府13代将軍、足利義輝と当時の政権争い、中央政権についてまとめてみよう。
目次
【室町時代末期(1548年)の中央政権はどうなっていたの?】
室町時代末期には、将軍家の力が弱くなっていて、京の都では政権争いや内乱が絶えなかったそう。
度重なる戦によって、街は焼かれ、公家や僧侶、さらには将軍までもが逃げ出すという状態だったんだよ。
第5回の放送では、天文17年当時が描かれており、その頃、室町幕府の実権は実質上、将軍家ではなく、管領家の細川晴元だったの。
細川晴元は、家臣である三好長慶に支えられて、幕府の実権を掌握していたんだよ。
【暗殺された第13代将軍、足利義輝はどんな人物だった?】
向井理が演じる第13代将軍足利義輝は、父である第12代将軍・足利義晴とともに、混迷する京の情勢に翻弄された将軍だよ。
塚原卜伝(つかはら ぼくでん)から免許皆伝を受けた将軍としても知られている義輝は、名刀「大般若長光」を操る剣豪将軍だったんだ。
義輝は、幕府の力を取り戻すため、全国の戦国大名と積極的に交流を行ったそう。
義輝の「輝」という字を伊達輝宗、上杉輝虎(上杉謙信)などの諸大名に与えたり、武田・上杉氏など大名間の争いを調停したりもしたんだよ。
義輝は大名側に利用された部分も多いんだけど、大名たちの希望に応えることで上手く取り込んだとも言われているんだ。
義輝が生きた時代は、家臣の細川氏、三好氏が政治の実権を握っていて、将軍が京都を追われる事態にたびたびなっていたの。
しかし、義輝はそれに屈することなく、武家の棟梁であろうとして、剣の極意を会得したんだよ。
【30年という短い生涯を終えた義輝と塚原卜伝と長尾景虎(のちの上杉謙信)の出会い】
足利義輝の生涯はわずか30年という非常に短いものだったんだ。
しかしその中で、人生を左右する大きな出会いがあったよ。
それが、剣聖・塚原卜伝との出会いなんだ。
義輝は塚原卜伝より鹿島新當流(かしましんとうりゅう)を伝授され、剣技だけではなく、心の在り方も卜伝から学んだと言われているよ。
卜伝の直弟子の1人であった義輝は、扇「一之太刀」を伝授されたそう。
そして、もう1人はのちの上杉謙信である長尾景虎だよ。
長尾景虎は越後の龍とも呼ばれる乱世の武将であったにも関わらず、景虎は私利私欲をはさまず、純粋に秩序の回復を願っている姿を見た義輝は、卜伝の教えでありのままの姿と感心。景虎のことを心から信頼し、生涯をかけて大望をともに抱くことができたといわれているよ。
義輝「足利季世記」や「日本外史」で武芸に秀でた剣豪としても描写されているんだ。
この人物像は後世の創作であると言われているものの、宣教師ルイス・フロイスも著書の中で「とても武勇に優れていて、勇気のある人であった」と義輝のことをたたえているよ。
このことからも足利義輝が勇猛果敢な人物であったことがよくわかるね。