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外交力、軍事力に優れた東海道一の武将・今川義元ってどんな人物だったの?

今川 義元(いまがわ よしもと)の浮世絵。義元は、戦国時代の駿河国及び遠江国の守護大名・戦国大名。

 

第5話で登場した「小豆坂の戦い」は織田軍vs松平・今川連合軍の争いだったね。

「麒麟がくる」の中では、今川義元を演じているのは片岡愛之助。

第21話の大迫力の決戦シーンは、記憶に新しいよね。
では東海最強の戦国大名であった今川義元はいったいどんな人物だったんだろう。

ここでは、片岡愛之助演じる今川義元についてフォーカスしてみよう。

 

【今川義元ってどんな人物だったの?軟弱なイメージが強いのはなぜ?】

 

今川義元は海道一の弓取りの異名を持っていて、強大な軍事力を持つ有名戦国大名の1人だったんだ。

その家柄と参謀・太原雪斎の後ろ盾によって、斎藤道三(本木雅弘)たちもおびえる東海最強の戦国武将だったの。

この「麒麟がくる」の中では強大な強さを持った勇敢な武将として描かれているんだけど、これまでの今川義元は見た目は公家のようで、柔らかな印象の人物として描かれることが多かったそう。

そのため、今川義元といえば、お歯黒をしていて公家風の姿で、馬にも乗れない軟弱武将というイメージの人が多いんだ。
今回、片岡愛之助演じる今川義元とはかなり印象が違うよね。

 

このように軟弱なイメージを持たれてしまった理由としては、桶狭間の戦いで25000もの大軍を擁しながら、たった2000の織田軍に討たれてしまったことが関係しているのかもしれないね。

さらに義元は尾張に攻め入ったときに、馬ではなく「輿」に乗っているため、馬にも乗れない武将と勘違いされてしまったことも軟弱イメージにつながっているんだよ。

実際には、馬に乗れなかったのではなく、足利将軍家から塗輿に乗ってよいという許可をもらっただけなんだけどね。

 

足軽レモン
足軽レモン
いつも弱そうな武将として描かれているもんなぁ〜

【今川義元が東海道一の武将といわれる理由は?】

 

今川義元は、父・氏親の時に守護大名から戦国大名となり、兄・氏輝の死後、兄弟の家督争いに勝ち、戦国大名今川家の3代目となったんだ。

義元は、それまでの領国だった駿河、遠江からさらに三河まで進出して、3か国を支配し、「海道一の弓取り」と呼ばれていたよ。

 

「海道一の弓取り」とは、弓の達人という意味ではないんだ。
これは東海道一の武将であったという意味で使われているんだよ。

駿河、遠江、三河の3か国の米生産量は少なく、3か国合わせても100万石に達していなかったそう。
しかし、義元には米以外にも財源がたくさんあったんだ。

 

その1つが「金」で、駿河にはいくつもの金山があったそう。
安倍川上流の安倍金山、富士山麓の富士金山などで、金鉱石から金を採取する灰吹き法という精錬法も伝わったため、莫大な産金収入があったとされるよ。

さらに義元は、商品流通経済の掌握で東海道を使った物流を有効に利用していたんだ。
伝馬制度を整備し、城下町駿府の運営を商人頭に任せ、遠江の見付では町衆たちに自治を認めさせたんだ。

自治を認めさせる代わりに年貢を多くださせ、新興勢力ともいえる商人たちと手を結んで国づくりを成功させていったんだよ。

 

レモン姫
レモン姫
弱そうな白塗り将軍は一時的なイメージで、本当は浮世絵で描かれているような勇ましい武将だったかもしれないよね!
忍レモン
忍レモン
東海道一の武将といわれるくらいなんだもんね!

【軍事力と外交力に優れていた今川義元】

 

今川義元の凄さとして、忘れてはいけないのが「軍事力」と「外交力」だよ。

江戸時代の大名家の軍役基準は1万石につき250人と言われているんだ。
桶狭間の戦いで、今川軍は25000もの軍を率いていたので、100万石に相当するよ。

しかし、駿河、遠江、三河は3か国合わせても100万石なく、70~80万石だったそう。
100万石未満で25000もの大軍を動員できたのは軍事力があったからなんだよね。

 

また、外交力という点においても、義元は優れていたよ。
甲斐の武田信玄、相模の北条氏康、駿河の今川義元で「甲相駿三国同盟」を結んでいるんだけど、これは義元の軍師「太原雪斎」が仕掛け人だったといわれているよ。

この同盟を生かして、義元は三河からさらに尾張へと侵攻していくことになるんだ。

 

足軽レモン
足軽レモン
「甲相駿三国同盟」は当時は相当な同盟。相手国は脅威だっただろうなぁ!

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