麒麟がくるで描かれた大迫力の決戦シーンが話題に!桶狭間の戦いとは?
2020年6月11日斎藤道三と対立した信長の父・信秀はどんな人物だったの?
2020年6月11日
2020年NHK大河ドラマ「麒麟がくる」の第2回の放送では、斎藤道三(本木雅弘)と尾張の織田信秀(高橋克典)の「加納口の戦い」が描かれていたね。
では、加納口の戦いはどのような戦いだったんだろう?
また明智光秀の主君である斎藤道三はどのような人物だったのかな?
まとめてみよう。
目次
【「美濃のマムシ」と呼ばれた斎藤道三ってどんな人物だったの?】
本木雅弘演じる斎藤道三は、戦国時代の武将で織田信長、豊臣秀吉、武田信玄らが活躍する時代より少し早い、戦国草創期に下克上を体現した1人として知られているよ。
さらに、斎藤道三といえば、織田信長の妻となる帰蝶(川口春奈)の父という経歴も有名だよね。
斎藤道三は「美濃のマムシ」という異名を持ち、さらには息子に殺されるというセンセーショナルな最期を遂げたことでも知られているよ。
一介の油売り商人から、美濃の国主まで成り上がった斎藤道三は下克上を平然と繰りかえす残忍かつ勇猛な者であったといわれているんだ。
ではなぜ、斎藤道三は「美濃のマムシ」と呼ばれるようになったんだろう?
マムシは皆さんもよく知っての通り毒蛇で、その毒はハブよりも強く、噛まれてしまうと大人でも命を落としてしまいます。
その恐ろしさから「マムシ」という異名がつく者は、粗暴で陰険な性格であることが多いみたい。
斎藤道三のこの異名から、周囲にどう思われていたかがなんとなく分かるよね。
また、マムシは獲物を捕えるとき、獲物を噛んで毒で相手の身動きを封じてから、ゆっくりと丸呑みするんだ。
その様子は、まるで美濃一国を丸呑みしようとしていた斎藤道三の姿によく似ているよね。
【斎藤道三と土岐頼芸との出会い~対立、美濃の国主へ】
麒麟がくるには斎藤道三と対立した土岐頼芸(尾美としのり)も登場するね。
美濃守護土岐氏小守護代・長井長弘に武芸の才能を認められた斎藤道三は、家臣として仕えるようになるよ。
その後、土岐守護の次男である土岐頼芸(尾美としのり)にも認められ、その後、土岐頼芸に仕えるようになるんだ。
斎藤道三は、土岐頼芸とその兄・土岐政頼の相続争いにも介入し、1527年8月には兄・土岐政頼を越後へと追いやり、主君・土岐頼芸を守護代にさせたんだよ。
1533年には父から家督を譲り受け、斎藤道三は長井家の当主となるの。
斎藤道三は主君・土岐頼芸から絶対的な信頼を受けることになり、どんどん力を伸ばしていくんだ。
しかし、そのことをよく思っていないのが、長井長弘。
長井長弘は斎藤道三に対して不満を抱き始めるよ。
その動きを察知して、斎藤道三は早々に長井長弘を殺害し、長井長弘の城であった稲葉山城を居城とし、新井新勘九郎規秀と名乗ったんだ。
1541年、斎藤道三はついに主君である土岐頼芸を裏切る行為をしてしまうの。
頼芸の弟である土岐頼満を毒殺し、これによって主君・頼芸と対立関係になってしまうんだ。
翌年、斎藤道三は頼芸の居城であった大桑城を襲撃し、頼芸を尾張国へ追放してしまうんだよ。
こうして、斎藤道三は美濃の国主になったんだ。
【加納口の戦いってどんな戦いだったの?】
斎藤道三の追放された主君・土岐頼芸は尾張国の織田信秀(高橋克典)を頼るんだ。
ちなみに織田信秀は織田信長の父親にあたるよ。
同じく土岐頼芸より先に追放されていた土岐頼純ともタッグを組んで、斎藤道三の美濃信攻を始めることに…
1547年(天文16年)9月、織田信秀が斎藤道三の居城である稲葉山城を襲撃したのが「加納口の戦い(井ノ口の戦い)」になるんだ。
加納口の戦いが起きた当初は、織田方に勢いがあり、1547年9月22日には斎藤氏の本拠・稲葉山城(現在の岐阜城)のすぐ下まで攻め寄せていたんだよ。
ここまでくれば勝てるというところで、織田軍は慎重になり、22日の夕方4時頃、兵を引くことにしたんだ。
しかし、自軍を半分ほど引き上げたときに、斎藤軍が一気に押し寄せてきてしまうんだ。
信秀のすぐ下の弟・織田信康や、主だった武将の多くが討たれ死ぬという大惨事になってしまったそう。
なんとこの戦いで5000もの兵が討死したとも言われており、大敗を喫したことがよく分かるよね。
多勢に夢勢の中、籠城を決め込んだ斎藤道三は、織田信秀(高橋克典)らの軍を欺く作戦だったとも言われているんだよ。