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2020年5月27日茶湯の天下三宗匠のひとり、津田宗及(つだそうぎゅう)とは?どんな人で何をした人?
2020年5月27日
千利休は、歴史の教科書に必ず出てくると言っていいほど有名だよね。
日本史上最も有名な茶道家である千利休は、豊臣秀吉の側近にまでなったんだよ。
茶の湯を大成した茶人で「茶聖」とも呼ばれる千利休はどんな人物だったんだろう。
さっそくまとめてみよう。
目次
【茶の湯で出世した千利休とは?】
戦国時代は戦いだけではなく、さまざまな文化も生まれた時代だよ。
その中でも武将の間で流行したのが「茶の湯」なんだ。
茶の湯の道で大活躍した千利休は、「わび茶」を完成した茶聖として知られていて、子孫は茶道の三千家として続いているよ。
千利休は17歳の時に、教養や知識を深めるために茶の湯を習い始めたんだ。
永禄13年(1569年)には織田信長に茶の師匠として召し抱えられ、信長の茶会にも参加した記録が残っているよ。
信長の死後は、秀吉に仕えることになった千利休は、秀吉の命令で茶室「待庵」を作ったんだ。
この「待庵」は無駄を削ぎ落した究極の茶室と言われていて、現存する千利休による唯一の茶室で、国宝にもなっているよ。
利休はわび茶の形を完成し、日本文化として茶道の発展に努めた立役者なんだ。
秀吉に重要された利休は、秀吉が完成させた聚楽第内に利休屋敷を構えて、3000石を賜わるなど名声と権威を誇ったんだ。
さらに天正13年(1585年)には正親町天皇から居士号「利休」を賜っているよ。
【秀吉の逆鱗に触れ、切腹した千利休】
秀吉の側近として活躍した千利休だったけれど、2人の仲を切り裂く事件が勃発してしまうんだ。
秀吉の機嫌を損ねたという理由で、千利休の愛弟子が秀吉により、処刑されてしまうの…
これをきっかけに利休と秀吉の関係に溝ができてしまったんだ。
そして天正19年(1591年)に突如、秀吉からの命令によって利休は謹慎処分を受けることになったよ。
このままでは切腹を申し付けられてしまうと利休から茶道を学んだ大名たちは奔走したそう。
秀吉の正室寧々から謝るように助言をされるものの、利休は秀吉に謝ることはぜす、結局秀吉から切腹を申し付けられるんだ。
死後、利休の首は一条戻橋でさらし首にされたんだ…
なんとも悲しい最期だよね…
突然切腹を命じられたその理由は諸説あるんだ。いくつかの説をみてみよう。
・寺の改修にあたり千利休自身の木像を2階に設置し、その下を秀吉に通らせた
・茶器をあまりにも高価な値で売った
・茶道に関して、秀吉の考えと対立した
・千利休の娘を秀吉が嫁にくれ!と願ったが利休がそれを断った
・千利休が人脈関係で余りにも力をつけ過ぎた為、秀吉が利休を危険視した
どれが直接の原因になったのかは分かっていないものの、秀吉が利休を危険視していたというのは有力な説であると言われているよ。
【利休の功績とは?】
利休が残した功績といえば、
・わび茶の完成
・黄金の茶室の制作
が有名だよね。
簡単にまとめてみよう。
・わび茶の完成
千利休は、「わび茶」と呼ばれる茶の湯の様式を完成させたの。
このわび茶は、安土桃山時代に流行した簡素簡略の境地「わび」の精神を重んじ様式なんだよ。
当時の茶の湯というのは、高価な茶碗や、派手な演出が好まれていたんだけど、千利休の「わび茶」はそのような無駄はすべて排除されているんだ。
利休は自ら茶道具をデザインしたり、茶を飲む空間にも手を加えたりしていたよ。
それまで茶席は数奇屋と呼ばれる書院造の一部を使っていたんだけど、千利休は茶室を独立させて「草庵」を生み出したんだ。
・黄金の茶室の制作
千利休の功績として広く知られているのが秀吉の「黄金の茶室」を作ったことだよ。
この黄金の茶室は運搬できる組み立て式の茶室で、正親町天皇や北野大茶湯にも披露されたそう。
当時の記録によると、黄金の茶室は壁、天井、柱、障子はすべて金張りだったの。
この黄金の茶室は派手好きの秀吉の命令で作られたんだけど、利休が考えたわび茶とは対極にあるよね。
そのため、利休は秀吉に対して不満を持っていたのでは?とも言われているんだ。
【千利休の辞世の句とは?】
千利休は、秀吉から切腹を命じられたんだけど、死の前日に自分の思いを言葉にした辞世の句を残したんだ。
千利休の辞世は「人生七十 力囲希咄(りきいきとつ) 吾這寳剣(わがこのほうけん) 祖佛共殺(そぶつともにころす) 堤る我得具足の一太刀(ひっさぐる わがえぐそくのひとたち) 今此時ぞ天に抛(いまこのときぞ てんになげうつ)」というものだったんだ。
現代の言葉にすると
「人生七十年。えい!やぁ!とう!我がこの宝剣で、祖先の仏を我と共に殺してしまえ。この使いこなした刀を引っさげて、今、この時に天にこの身を放つ」という意味になるよ。
怒りの感情が溢れたすさまじい辞世だよね…
わびさびを愛した茶人のイメージとはだいぶ異なる辞世の句からも、秀吉の命令による自分の切腹に納得できない、理不尽な仕打ちであると思っていたことが伺えるね。