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全てを失った荒木村重は晩年、茶人となり活躍したって本当?!

織田信長を裏切り反旗を翻した荒木村重。
村重は有岡城に立て籠もり、妻子や重臣を見捨てて1人生き延びることになるんだ。

ここでは謀反後の荒木村重のエピソードをまとめてみよう。

 

 

千利休像 (長谷川等伯画、春屋宗園賛) PD from wikipedia

 

 

【茶人となった村重】

 

毛利氏を頼って尾道まで逃げ、信長が自刃するまではひっそりと暮らしていた村重。
全てを失った荒木村重は高名な茶人となったんだ。

師匠はかの有名な千利休。

 

村重は利休のもとでめきめきと頭角を現し、利休の弟子の中でも特に優れている「利休十哲」の1人に数えられるようになるんだ。

ただ村重は自らを認めることはなく、自分は取るに足らないどうしようもない男だと意味をこめて自らを「荒木道糞」と名乗ったそう。
また、村重が有岡城から逃亡する際には、その背に名物の「兵庫の壺」を背負って、腰には「立桐筒」を結わえて逃げたと伝えられているの。
命の次に茶器を愛していたとも言われているんだ。

 

将軍レモン
将軍レモン
千利休も弟子として良く迎え入れたよね!!

 

【村重が逃亡する際に手にしていた壺とは?】

 

村重が有岡城から尼崎城へ逃亡する際に背負っていたとされる「兵庫の壺」は茶壷のことであり、かつては武野紹鷗が持っていた名物とされているよ。

また腰から結わえていた「立桐筒」とは「鼓」のことで、能楽の師匠であった観世宗拶から贈られたものだったそう。

 

 

【生き延びた村重の息子は浮世絵の祖であった】

 

有岡城が落城した際、荒木村重の妻・だしは織田軍につかまり公開処刑されてしまったよね。

しかし数え年で2歳であった村重の末子は乳母に救い出されて一命を取り留めていたんだ。

 

村重の末子は、乳母の機転によって石山本願寺で保護されたんだよ。
実はこの村重の末子は「浮世絵の祖」とも称されている「岩佐又兵衛」なんだ。

村重と岩佐又兵衛は晩年に1度だけ対面しているんだけど、この時2人は終始ほぼ無言であったと言われているの。

 

岩佐又兵衛の作品は、人物画から風俗画まで様々なんだけど、画風は独特など。

代表作「山中常盤物語絵巻」では、笑みを浮かべながら人を刺す殺人鬼が描かれるなど狂気に満ちた画風なんだ。
幼い頃に家族は処刑されるなど過酷な運命をたどった又兵衛だからこそ描ける絵ともいえるよね。

 

又兵衛は怨念の絵師とも言われていたんだよ。
村重も茶の湯や能楽など一芸に秀でた部分を持っていたけど、又兵衛はそれをしっかりと受け継いでいるよね。

 

 

【光秀と村重は共通点が多い?】

 

日本の歴史上、最も有名な謀反者と言えば、明智光秀だよね。

 

足軽レモン
足軽レモン
笑。

 

 

明智光秀と荒木村重は同じ謀反者として共通点が多いんだ。

 

まず、主君が織田信長であり、2人とも信長の家臣であったということ。
村重が謀反を起こす前には、光秀が説得役をしているんだ。

 

また、2人とも生え抜きの家臣ではなく、外様であったことも共通しているよ。
元々は違う一族の家臣であった2人は、どちらも信長に大抜擢されて短期間で出世を遂げたんだ。
実力はもちろん、謀反するくらいの度量や野心も持ち合わせていたんだよ。

 

さらに忘れてはいけない共通点なのが、2人とも謀反を起こした理由がいまだに分かっていないということ。
背後に黒幕がいたのでは?とする黒幕説や、信長からの扱いに不満があった…など色々な説が言われているものの、決定的な証拠はないんだ。
2人には本当に共通点が多いよね。

 

将軍レモン
将軍レモン
いまだに謎の多き裏切り謀反事件。二人とも何を思って、何を見出して、何を目指してたんだろうね!

 

将軍レモン
将軍レモン
二人の共通の黒幕がいたとしたら、すっごく面白いのにね!!